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【中東映画】を観る時に思うこと、思い出すこと。※『1票のラブレター』(2001/イラン、イタリア)より

   ↑  2016/06/16 (木)  カテゴリー: 映画いろいろ・・・







『1票のラブレター』というイラン、イタリア制作映画を再見しました。
静かなユーモアに包まれた映画なので、なんだか久々に落ち着いた時間を過ごせました。

この映画の遠く広い空を見ていたら、なんだか色々なことを思い出してしまった・・・・

というわけで、今日はちょっといつもと趣向を変えて書いてみようと思います。ただ感想を書くだけなのも、なんだかちょっと飽きたのもあるんですけどね(笑)。







10年くらい前のことです。私は、日に5回「アザーン(اذان)」の声に包まれる町に住んでいました。



アザーンというのは、イスラム教の礼拝時間を知らせるモスクからの呼びかけ。とても美しいんですよ。

私は広い意味では「仏教徒」で、いやほとんど無宗教で、それに「無神論者」なんだと思っています。それでも、特にモスクで聴くアザーンには心落ち着くものを感じました。仏教のお経と響きが似ていると思うんですよね。


日本に戻ってきてからは、時々聞こえてくる「たぁ~けやぁー、さお~だけぇぇぇー」のスピーカー音を聞いて「あらーもうそんな時間?」なんて思うことも。あの遠くから聞こえるスピーカー音の伸ばし加減が・・・似ている気がするんだ!







それ以前はというと・・・・私はイタリアのナポリで伊語を勉強していました。この理由もまたスゴカッタのですが(笑)、でも思い立ったら絶対に行動せずにはいられない私は仕事をしながら独学で猛勉強(半年間)→イタリア語学校とプライベートレッスン(半年間)の後、そのままさっさとイタリアへ行ってしまった

で、肩やらオヘソやら出ていても全然気にしない「好きな服を着てるだけー、悪いことしてないよ~」のPRINCESS PRINCESSみたいな(古くてスミマセン笑)生活から、なぜかこれも運命だったのか、今度は肌も髪も露出しないイスラムの国へ。この行動力と適応力は「無謀」と言うのかな?「若さ」だったのかな?・・・いや、今でもやっちゃうかな(笑)。







地平線のずっと向こうまで、オリーブ畑が広がる国。
ここで私は、地元の人たちと同じように生活することになりました。


 
朝は新鮮な玉子や野菜、ヨーグルトで料理して、子どもたちには出来立てのゴマパンをパン屋さんへ買いに行ってもらい、いつもいつも淹れたての熱い紅茶を飲んで、時々モスクでアラビア語のクルアーンを教えてもらって、その後には甘~いお菓子をちゃっかりご馳走になっちゃったり。

断食(ラマダン)にも挑戦しましたよ。
約1ヶ月のラマダン中は、毎日日が暮れた後に断食がとけるので、夕食は家族みんなが集まって特別なご馳走(イフタール)をワイワイ食べるのです。毎晩、お祝いみたいな日々でした。







都会から遠く離れた地方では、大人の女性は髪をヒジャブ(スカーフ)で覆う人がほとんどでした。本当に時々、真っ黒な布で目だけを出しているアバヤ姿の人を見かける時もありましたが、ほとんどがスカーフ姿。もちろん私もずっとスカーフ着用。

ヒジャブってね、材質や柄はもちろんですが、巻き方や留め方、覆い方にも様々なバリエーションがあって、特に都会では毎年のトレンドもあったりして流行色もどんどん変わるんです。「今年はオレンジ系が流行るらしいわよ~」なんて女性どうしで情報交換も。


だから、男性陣が家を空けた時などは皆でスカーフを外して大ファッション大会!

 
普段は絶対見せないけれど、女性たちのスカーフの下はね、皆すごく素敵な髪飾りでヘアセットしていたり、とってもキレイなブロンドだったり。見えないオシャレは、ご主人だけに見せる美しさなんですね。「このカラー、どこでやってもらったの?」とか「あそこの靴屋さんの態度が悪いのよー!」とか。いわゆる【女子会】のノリ全開です(笑)。


確かに、宗教という名のもと"慣習"や"しきたり"として男性たちにスタイルを強要されたり教育を制限されている地域も残念ながら存在しますが、少なくとも私の住んでいた地域の女性たちは「私たちはムスリマである!」という堂々たるプライドを持った確固たるライフスタイルを貫いていました。迷う必要のない彼女たちの人生はすごく強い


muslima05.jpg
それにとても強かで、実は「カカァ天下」(笑)。
一見夫を立てているように見えるのですが、実のところ本当に家庭を動かしているのは女性たちだったりして。かあちゃんは強いな!







そして、忘れられない思い出。
とある観光地のモスクに行った時のことです。


礼拝前に手などを洗ってお浄めするウドゥ(الوضوء)の洗い場で、待ち合わせをして立っていた私にあるお婆さんが声をかけてこられました。

あ、これは本当によくあることだったのですが、私がモスクに行くと、明らかに「平たい顔族」の人間なので(笑)どこに行っても必ず「あなた中国人?日本人?」と興味津々で話し掛けられました。

で、私は日本から来たこと、イスラム教やクルアーンについて少しずつ教えてもらっていることを話し、「でもイスラム教徒ではないんですよ」とも伝えました。少し申し訳ない気持ちで。すると、そのお婆さんはとても穏やかな表情で「あなたは優しい子なのね」と仰ったんです。そして「あなたが日本人でも仏教徒でも、私たちは何も変わらないのよ。きっと神様もあなたを見ていて、守ってくださいますよ」と。

私は、言葉に詰まりました。

すごい衝撃だったんです。たぶん、親鸞聖人に「悪人正機説」を説かれて回心した盗人とか、銀食器を盗んでも許されたジャンバルジャンみたいな気持ち。オ、オレも救っていただけますのかー!という(笑)。

いや、正直なところ私は神さまに救っていただかなくても結構なのですが、でも私が驚いたのは"排他的""攻撃的"な面を持ちやすい宗教というものが、個人の捉え方によってはとてもつもない包容力を持つのだな、と。解釈の違いなのか、個人の心の持ち様なのか。

『運動靴と赤い金魚』 でも書きましたが、私には宗教心というものがないので彼らと同じ生き方はできません。でも、彼らの持つ信仰心から教えられ、気付かされたことは本当に沢山ありました。現在、私が暮らしていた場所はISとの戦闘地域に接しているため一家はヨーロッパへと移住し、私ももう訪れることはできません。だからこそなお一層、彼らと共に暮らしていた日々が、今の私の中で生き続けているのだと思います。






『1票のラブレター』は、イスラムの伝統的な島を舞台に、民主主義の実現のため健気に投票を促す選挙管理委員の女の子とそのお供をすることになった呑気な警備兵との1日を、シュールでユーモラスに綴ったイラン映画です。


選挙管理委員の女の子が呑気な警備兵の男の子とジープに乗って口喧嘩になったり、それでも一緒に手を洗ってゴハンを食べたり、途中コンパクトミラーを出して身だしなみを整えたり。

「中東映画」という枠で見れば確かに"遠い国の話"でしかないのですが、でもこれは、どこにでもある不器用な恋の物語なんですね。ラストの警備兵くんの台詞なんて、音楽に日本の琴の音を使っていることもあって、その淡い恋心に"胸キュン"すること必至です。



本来、この映画が発しているメッセージというのは、"米国が推し進めてきたような政治文化"を持たない地域(宗教や信仰などが絡みに絡んだ場所)で民主的プロセスを持つ選挙制度を適用しようとすることの困難さや懐疑性など・・・なのかもしれません。イランの映画ですので。

でも、何よりも、まず私の心に真っ直ぐ飛び込んでくるのは「人が人を想う気持ちはどこの国でも同じこと」という単純なことなのです。本当に当たり前のことなんだけれど私が【中東映画】を観る時には、いつもそんな"懐かしさ"がぐっと込み上げてくるのです。



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  2016/06/16 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『少女ヘジャル』 (2001/トルコ)

   ↑  2015/09/08 (火)  カテゴリー: シリアス、社会派




少女ヘジャル [DVD]



●原題:Hejar/Büyük adam küçük ask
●監督、製作 、脚本: ハンダン・イペクチ
●出演: シュクラン・ギュンギョル、ディラン・エルチェティン、フュスン・デミレル 他
●一線を退き、孤独な生活を送る元判事ルファトが住むアパートが武装した警官に襲撃され、隣人一家が皆殺しにされた。たった一人生き残ったクルド人少女ヘジャルは行き場もなくルファトの部屋の前にたたずむ。クルド語しか話さないヘジャルとルファトの間に立って橋渡しをしてくれたのは、身分を隠し、トルコ人として偽って生きてきた家政婦のサキネだった。ルファトは、サキネとヘジャルにクルド語で話すのを禁じるのだったが・・・。トルコ国内で公開5ヵ月後に上映禁止となったものの、アカデミー賞外国語映画賞トルコ代表となった作品。




※この記事は、2013年のレビュー記事を再見・加筆したものです。
久しぶりにいい映画にあたりました。嬉しいなぁ。
で、ちょっと思い出したことを。

かの地に滞在していた頃、クルドの話が人々の口にのぼるたびに"良いクルド人""悪いクルド人"という単語をよく耳にしたものでした。貧しくとも問題を起こさず国内の政策に従い生きているクルディスタンと、クルド労働者党(PKK)武装組織に代表されるような反政府意識のあるクルディスタン。

そう、私にとってクルド問題は遠い国の遠い話ではないのです。
というのも、古い友人が"良い"側のクルド系出身だったから。軍隊でゲリラ部隊と銃を向け合っていた人間にとって、"悪い"側のクルディスタンは憎むべき存在でしかなく、話題に上るときは嫌悪の感情しかなかったように思います。

でも"悪いクルド人"なんて本当にいるのでしょうか。
誰の側から見た言い方なのでしょうか。







国全体が【クルド文化】や【クルド人】という存在を抑圧していた中、この作品は、羽交い絞めにされた力を解きほぐすような一筋の柔らかな光。私にはそう感じられました。

国家を持たない民として、最愛の家族まで失ってしまった幼いヘジャル。
だからこそ、その小さな体いっぱいに力の限りに叫ぶクルド語を誰も止められはしないのです。小さな少女の正直で痛烈なその思いは、観る側の心を最後まで揺さぶり続けます。

そして、クルド問題をトルコ国内で初めて取り上げ、この映画を製作したのが"女性監督"だったということも興味深いもの。

アラブ・イスラム世界の中では最も西欧文化にも近く、近代化された国家とはいえ、イスラーム世界ではほぼ見られない「自転車に乗る女性(しかも老齢!!)」をチャーミングに演出する軽やかさを見て、私はこの作品をいっぺんで好きになってしまいました。車を運転する女性のことを、地方ではまだあまり良く思われないほどなのですから・・・。



主人公の老人ルファトとヘジャルという2人を取り巻く人々の、その小さなドラマが丁寧に綴られていることにも温かみを感じます。家政婦サキネの人生、未亡人ミュゼェイェンの都会に暮らす孤独、そしてクルド人としての苦悩を抱えるエブドゥ。

たとえ政治的・民族的問題を抜きにして観たとしても、この作品の優しくも力強い印象はまったく変わりません。この映画、もっともっと広く知られてほしいなぁ。






むかし、クルド出身の人のお店に入って値段の交渉をしたことがありました。

明らかに「外国人」の私が友人から教えてもらったクルド語で話しかけたところ、「こんなことがあるなんてなぁ!」と店主のおじさんに大笑いされ、可愛らしい小皿セットのおまけを頂いてしまいました。表情がぱぁっと明るくなったあの店主の顔が忘れられません。この映画を観て、そんなことを懐かしく思い出しました。



※この映画の時代背景について 「少女ヘジャル」公式サイトより一部抜粋

トルコ国内でクルド人問題が最も激しかった頃の1998年、クルド人の存在そのものが拒否され、クルド語も話せなかった時期がこの映画の舞台となっています。しかし、現在ではクルドの民俗音楽のCDが発売されたり、クルド語による芝居の上演、一部の学校でクルド語教育が行われるようになっているとのこと。

軍部の影響力や、EU・米国に向けた政治的立場や思惑、国内世論など様々な政治的要因が絡み合って状況も変化しているようですね。


 Türkiye’nin ilk Kürtçe karnelerini aldılar【ZAMAN】
Türkiye’nin ilk Kürtçe karnelerini aldılar【ZAMAN】
トルコ初のクルド語小学校で、初のクルド語通知表を受け取る
(2015年1月24日付/ザマン紙)




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  2015/09/08 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『キャプテン アブ・ラーイド』 (2007/ヨルダン)

   ↑  2011/10/16 (日)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ
Captain Abu Raed (2007) IMDb 
●原題:كابتن أبو رائد / CAPTAIN ABU RAED
●監督、脚本:アミン・マタルカ
●出演:ナディム・サワラ、ラナ・スルターン、フセイン・アッソース
●アンマンの国際空港で清掃員として働くアブ・ラーイドは妻にも先立たれ、おだやかな老いの日々を過ごしていた。そんなある日、ゴミ箱からパイロットの帽子を拾って家に持ち帰ったことで彼の暮らしが少し変わる。アブ・ラーイドを本物の機長だと思いこんだ子供たちに本で読み知った外国の話をするようになり、決して豊かではない彼らの生活に関わるようになっていくのだった。子供たちの1人ムラードは、アブ・ラーイドが偽機長だと主張する。しかしムラードは父親の暴力に人知れず苦しんでいた・・・。





なんと50年ぶりに作られたというヨルダン映画!

昨年NHK-BSで「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」作品として放映されたのを一度観ていたのですが、今年も思わず観てしまいました。がっちりアラブ映画なのかと思いきや、その予想をさらりとかわしてくれるスタイルに参ってしまうのです。

感動大好き!のハリウッドが思わず手を伸ばしたくなるような、誰もが共感して入り込めるグローバル性のあるストーリーと、ヨルダン特有とかアラブ世界特有という、謂わば西側から見た"泥臭いフィルター"が掛かっていない普遍的な人間像、ヒューマンドラマが丁寧に描かれているのが、この映画の大きな特徴です。





例えばイラン映画のような所謂「中東映画」としてのイスラームの世界観を"生活感"として物語のベースには織り込んでいるものの、何故これほどまでにそれらを感じないのだろう?と不思議に思っていたのですが、やはりこの映画はヨルダンという国家が、国を挙げて世界に送り出した記念すべき一作だったようです。【The Royal Film Commission Jordan(ヨルダン王立映画協会】という、まだ2003年設立・2004年活動開始という組織のバックアップもあり、「アラブ映画」というものへ人々が抱くイメージを翻そうという、いわゆる逆手の手段が見事に功を奏したようです。


脚本も手掛けたアミン・マタルカ監督が、この映画に込めた目標は3つ。
1)夢を追うシンプルな物語で、世界にヨルダンという国を表現できるような美しい映画を作ること。
2) ヨルダンの若者がフィルムメーカーとしてのキャリアを追求できるような、ヨルダン映画業界の発展・可能性のある例を作ること。
3)世界中の何百万人もの人々の心に届けることができる最もパワフルな伝達手段―ドラマやコメディを通じて、ヨルダンの豊かさや多様性を示すこと。
(※インタビュー記事「Announcing "Captain Abu Raed" A Jordanian Feature Film...إطلاق مشروع الفيلم السينمائي الاردني "كابتن ابو رائد」より)

ヨルダンに生まれながら移民としてアメリカへ一家で移り住み、現在もロサンゼルスに在住しているアミン・マタルカ監督は、故郷である「ヨルダン」と海外から見た「ヨルダン」という、二つの風景を知っている人なのではないかと思います。そんな彼が生み出した『キャプテン・アブ・ラーイド』は、映画音楽の使い方にしても制作環境にしても、故郷の風を感じさせながらも、どこかアメリカナイズされた雰囲気を持つ「ヨルダン映画」となったわけです。いずれにしても、"使い分け"が出来るということは今後大きな強みとなっていくことでしょう。私自身にも、とても新鮮な風でした。




・・・・そう、このトレーラーからもハッキリと感じられるように『キャプテン アブ・ラーイド』で忘れてはならないのが、音楽を担当した米国出身の音楽家オースティン・ウィントリー(Austin Wintory)の、透明感あふれる柔らかな音楽の存在感です。
※ウィントリーの公式サイトはコチラ→【Austin Wintory.com】

彼は様々なジャンルのメディアで活躍している音楽家なのですが、アミン・マタルカ監督の前作でも一緒に仕事をしており、その流れでこの映画の音楽も担当したようです(Interview: Austin Wintory―IndieGames.comより)

アラブ俳優の起用、全編アラビア語で語られる物語、そしてヨルダンでの撮影という「アラブ映画」という世界の中で、彼とマタルカ監督はまったく新しいスタイルを築き上げました。アラビア風の曲調もうまく織り込みながら西洋スタイルのオーケストラを使うことによって生み出される音楽が、この映画に一層の温かさを吹き込むのです。





多くを語らず謙虚で知識も豊か。「賢人は足るを知る」と冗談を言って、空港の清掃員として日々黙々と働く初老のアブ・ラーイド。


自身も辛い過去を背負いながら、自由な心を持つ子どもたちと次第に関わりを持ち始めたことから、アブ・ラーイドは彼らの環境を案じて手を差し伸べ、身を挺して子供らを守ります。彼らを救い、彼らの夢を守るために・・・。

もしハリウッド映画であったなら、ラーイドの運命をこれほどまでに残酷なものへとはしなかったでしょう。それでもこうしなければならなかったのは、きっとマタルカ監督や制作側が「現実としっかりと向き合わなくてはならない」というメッセージを残したかったからなのでは・・・と思いました。子供たちへ、若い世代へ、この国の未来を託そうとする彼らの思いと重なります。






 エルハズネ (宝物殿)


因みに。ヨルダンといって思い出すもの・・・・
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のラストシーン!
ペトラ「エル・ハズネ」です。

映画撮影に協力的な国として評判の高いヨルダン。映画というのは、舞台となる国家や地域のことを世界に向けて発信できる一大プロジェクトでもあるのだなぁと、今回改めて思いました。映画の持つパワー、影響力とは本当にスゴイものです。



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  2011/10/16 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『シリアの花嫁』 (2004/イスラエル、フランス、ドイツ)

   ↑  2011/02/15 (火)  カテゴリー: シリアス、社会派
Bitters End配給作品『シリアの花嫁』公式サイトへ  【DVD】シリアの花嫁
●原題:THE SYRIAN BRIDE
●監督:エラン・リクリス
●出演:ヒアム・アッバス、マクラム・J・フーリ、クララ・フーリ、アシュラフ・バルフム、ジュリー=アンヌ・ロス 他
●結婚式の今日は、花嫁モナにとって最高に幸福な日となるはず。しかし、彼女の姉のアマルは悲しげな顔をしていた。なぜなら一度“軍事境界線”を越えて花婿のいるシリア側へ行ってしまうと、二度と家族のもとへ帰れないのだから・・・。彼女たちをはじめ、家族もみな、国、宗教、伝統、しきたり…あらゆる境界に翻弄され、もがきながら生きていた。モナは決意を胸に境界線へと向かうが、そこで思い掛けないトラブルに見舞われ…



ここ数週間、エジプトで起こった市民による歴史的反体制運動をずっと見守ってきました。

実はこの『シリアの花嫁』を観た1月にはレビューメモはあらかた出来上がっていたのですが、チュニジアで起こったデモの行方が、日々大きなうねりとなって確実にアラブ諸国へと広がっていくのを見て、記事のアップをもう少し待つことにしたのです。

というのも、エジプトが劇的なまでに変化を遂げようとしている中、この映画の舞台であるシリアとイスラエルの関係にもその影響が波及する可能性は多大であり、エジプトの今後の動向によっては、この映画に寄せる思いも随分と変わってくるような気がしたからです。中東各国が各々の思惑からエジプトの動向を注視する中、イスラエルは孤立を深め、そのイスラエルの中東和平交渉の現状破棄状態を黙認してきたアメリカも右往左往しているように見受けられます。

世界(=アメリカとも言える)に見捨てられたと言われているパレスチナ問題は、西岸地区支配のPLOが親米・イスラエル寄りだったムバラクを失ったことにより、現在勢いを増しているムスリム同胞団のハマスがその影響力を増大させていることでイスラエルを動揺させているはずです。中東世界の構図が変化していく正に過渡期に、私はこの映画を観たことになります。





いう訳で前置きが長くなりましたが、そろそろ映画の話に入ることにしましょう。この映画は、鑑賞前にある程度の国家事情や地理的な知識や解説を頭に入れておくことが大きなポイントとなってきます。簡単ですが、下記にちょっとだけまとめてみました。

ゴラン高原
内閣府 国際平和協力本部事務局(PKO)サイト「ゴラン高原」へジャンプします
1948年のイスラエル建国以来、4次にわたる中東戦争を経て続いていたイスラエルとシリアとの間の紛争は、1974年に両国間で「兵力引き離し協定」が締結され停戦ラインが引かれました。そこで設立されたのが、国際連合平和維持活動を行う【国際連合兵力引き離し監視隊(UNDOF)】です。しかしイスラエルは、ゴラン高原を戦略的重要地域(つまりイスラエルの水源)であるとして、1981年に「ゴラン高原併合法案」を国会で可決、「ゴラン高原は自国の領土である」と主張するようになりました。

ゴラン高原に残留を許されたシリア人は約17,000人ほどいると言われていますが、その多くは希望すれば【イスラエル国籍】を取得できるものの拒否し続け、シリア国民にもなれないまま無国籍状態となっているのです。



そしてこの映画は、現イスラエル占領下のゴラン高原に住む女性が、シリア国内に住む男性と結婚式を挙げることになったある1日を描いた物語となっています。

ちなみに、花嫁の姉アマルを演じているヒアム・アッバスは、自爆攻撃を決意する『パラダイス・ナウ』のパレスチナ青年の母親役でも存在感を光らせた他、アメリカ映画『扉をたたく人』や、フランス映画『画家と庭師とカンパーニュ』、はたまたジム・ジャームッシュ作品など幅広い世界で活躍されている素晴らしい女優さんです。





映画の冒頭、最も幸せであるはずの結婚式の朝に、沈み込むように悲しげな姉妹の会話が続きます。彼女達の様子から次第に「いったんシリア国内へ境界を越えて嫁いでしまうと、二度とイスラエル領内であるゴラン高原の故郷へは戻れない」という厳しい現実が横たわっていることが明らかにされていきます。更に、嫁ぐ妹モナの孤独を更に深めているのが、彼女のこの結婚は再婚であるということ。

通常日本人の感覚で考えてみると、なぜ一度も会ったことのない男性とのこれほど厳しい条件のある結婚を承知したのか?という疑問が浮かぶかもしれませんが、イスラム圏の人間から見ればさほど珍しいことではありません。

現在の国や地域の習慣による差はあるでしょうが、夫を亡くしたり離別した寡婦と再婚することは良いこととされ、女性も独り身よりは伴侶を得ること、家庭を持つことがよしとされるため、子を持つ離婚した女性でもすぐに親戚筋の男性を紹介されて再婚する・・・・そんな話をよく見聞きしてきました。戦乱が多く、夫を亡くした女性たちが生活できなくなることに配慮した時代の宗教観なのでしょう。自由恋愛が見受けられる都会では考えられないものですが、信仰深い習慣の残る地方などでは今でも見かけられる結婚形態なのです。



確かに『シリアの花嫁』という映画は、確かにこういった地域独特の宗教観や、国家間における国際政治問題などをバックボーンにはしていますが、そこから浮かび上がってくるのは「家族の絆」や「結婚の在り方」「しきたりや伝統との向き合い方」「女性の自立」など、地域を限定することなくどんな国の人々でも経験するようなライフステージにおける普遍的なテーマです。

しかも家族をテーマとしたこの映画は多数の人物が登場するのですが、どのキャラクターたちも隅々まで丁寧に描ききられている点、しかもシリアスに徹することなく、さり気ないユーモアも忘れないという、強くて温かな視線に私は感銘を受けました。花嫁であるモナを取り巻く環境は過酷であっても、その分だけ始めはバラバラだった家族の存在が大きく、強くなっていくのです(これらを映画的に見ても、見事に回収することのできる伏線の張られ方も、なかなか気持ちの良いものでした)。





そんな家族たちが様々な思いを胸に、いよいよモナを境界まで送り届けるのですが・・・・ここから更に試練の連続となってしまうのです。

他国の人間であれば軽々と行き来のできるほんの数十メートルの道路を間にして、人の気持ちが通わない国の規則や諸事情によって挙式そのものが危ぶまれる事態へと物語は進んでいきます。そして、誰にもどうすることもできない行き詰まりをみせたところで、このラストは唐突にやってくるのです

そこでモナがとった行動は、国境における緊張感を考えればかなり衝撃的なものではないかと察しましたが、案の定、伊藤千尋(朝日新聞社ジャーナリスト)さんが講演されたという内容が書かれた記事に目を通してみたところ「花嫁は殺されても文句が言えない場所を通って行った」と解説されていたようでした(【軽薄短笑~新潟県上越・妙高発~】yasu様のサイトより一部引用させていただきました)。

モナと、そしてそれを確認した姉の思いが重なる力強いこのラストシーンは、恐らく日本人である私などには到底思いも至らないほど、譲ることのできない深い決意と希望が込めれたものなのだと私は信じたいのです。そして忘れてはならないのが、この映画は「シリア映画」ではなくイスラエルが中心となって制作したものだということ。シリアへのゴラン高原返還問題が現在の中東情勢の中で、今後政治カードとして利用されることなく(自国の領土問題が解決できていない国民である私が言うのも何なのですが・・・)いつの日か解決されることを、私も願ってやみません。





因みに、この映画を観て個人的に思うことも多々ありました。
移民だった元夫の故郷へ戻っての結婚式は、この映画の風景にとても近いものだったのです。とても懐かしく思い出していました。

男たちは空に向かって銃で祝砲をあげ、リボンの巻かれた車でクラクションを鳴らし続けて街中を回り、同行していた両親からは「こ、これは映画だ・・・」と唖然とされた懐かしい思い出もあります。

残念ながらこの結婚を続けることはできませんでしたが、外国人の私を温かく迎えてくれた義理の母や父、親族たちの優しさを忘れることはありません。髪の色や目の色が元夫に似ている我が子も、いずれ自分のルーツを探す日が来るはずです。その時が来たら良い事を沢山話してきかせたい。子どものもう一つの国を一緒に歩ける日が来たらどんなに良いだろう。そんなことを思い起こさせてくれる映画でもありました。





■追記■
もう一つの「シリアの花嫁」の話が、イスラエル英字ネット「HAARETZ.com」で写真付きで報じられていました。「シリアの花嫁が今年1月6日、国境を越えて同じドゥルーズ派のイスラエル側花婿と結婚式を挙げた」とのこと。彼女もまた、自分の故郷へ戻ることはできないのです。このような結婚の景色は、年に数回あるということです。




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『僕たちのキックオフ』 (2008/イラク・クルディスタン地域、日本)

   ↑  2010/12/17 (金)  カテゴリー: シリアス、社会派

●原題:KICK OFF/A Little Ground for Play
●監督、脚本:シャウキャット・アミン・コルキ
●出演:スワン・アテュフ、ゴワール・アンワル、ロジャン・ハマジャザ 他
●イラク北部の都市キルクーク。家を失ったクルド人たちがスタジアムの中に仮住まいを作って住んでいる。若い娘ヘリンに淡い恋心を抱く青年アスーは、子供たちのために「少年サッカー大会」を開こうと計画する。試合当日、クルド人少年のチームとアラブ人少年のチームのゲームは混戦模様になるが・・・。





まずは、この作品の社会的背景を。

イラクのクルド人は、サッダーム・フセイン政権下(1979~2003)の苛烈な弾圧や虐殺により土地や財産を奪われ行き場を失いました。

イランと同盟を組んだクルド人勢力による武力闘争が激しかったイラク北部のキルクーク(この映画の舞台)は、フセイン政権時代にアラブ人を外部から移住させてクルド人を追い出した【アラブ化政策】がとられた町です。



大きな地図で見る


同政権の崩壊後にイラク軍はキルクークを放棄したため、イラン国境に近い東部のスレイマニヤなどのクルド人自治区の人々が押し寄せ、前政権下で家を追われたり家族を殺された者たちによる裁判が多数起こされたり、また、アラブ人・クルド人・トルクメン人らの支配権争いによる民族対立から自爆テロも頻発するようになったのです。







この映画は、こうした現実的な背景のほとんどの要素が一体どこまでが映画なのか分からないほどに映し込まれています。モノトーンに近い暗く沈みこんだ独特の色彩感はまるで閉塞感そのもののようで、とても哀しい印象を受けました。



住居を追われたクルド人らが身を寄せて暮らすキルクークの荒廃した競技場。

給水車も決められた日に来ることもなく食糧も配給に頼る不安定な日々。それでも人々は、僅かな水でウドゥー(礼拝前の浄め)を行ったり、恋をしたり、イタズラをして怒られたり、ささやかな日常生活を営んでいます。

そんな中、民族対立の根深いこの地域で、こどもたちによるサッカー大会を開催しようと青年アスーは計画します。職もなく、未来への展望もなく、さらにはサッカー場の住居でさえ役人から立ち退きを迫られる日々。その"キックオフ"こそが、若者や子供たちにとって僅かな光となるはずでした・・・





ドラマチックな展開もなく、また声高に何かを叫ぶことなく終始抑えたトーンで淡々と描かれるこの映画の手法は時にドキュメンタリーにも近いものがあり、監督いわく「"戦後"という似た状況があるからかもしれない」という言葉の通り、イタリア映画で起こった【ネオ・レアリスモ】を彷彿させるものです。

ややもすれば希望も幸福も探すことのできない不条理で悲痛な映画とも捉えられそうですが、これが現実であり、この作品にこれ以上の"何か"を求めることは観る者の勝手な都合でしかないでしょう。

現実の社会問題を真正面から捉えたこの映画は、制作途中に何度も脅迫にあったといいます。この映画の価値は、まずそれらに屈せず完成まで漕ぎつけたという、毅然とした存在感なのだと強く感じ入りました。




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  2010/12/17 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit
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