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『少女ヘジャル』 (2001/トルコ)

   ↑  2015/09/08 (火)  カテゴリー: シリアス、社会派




少女ヘジャル [DVD]



●原題:Hejar/Büyük adam küçük ask
●監督、製作 、脚本: ハンダン・イペクチ
●出演: シュクラン・ギュンギョル、ディラン・エルチェティン、フュスン・デミレル 他
●一線を退き、孤独な生活を送る元判事ルファトが住むアパートが武装した警官に襲撃され、隣人一家が皆殺しにされた。たった一人生き残ったクルド人少女ヘジャルは行き場もなくルファトの部屋の前にたたずむ。クルド語しか話さないヘジャルとルファトの間に立って橋渡しをしてくれたのは、身分を隠し、トルコ人として偽って生きてきた家政婦のサキネだった。ルファトは、サキネとヘジャルにクルド語で話すのを禁じるのだったが・・・。トルコ国内で公開5ヵ月後に上映禁止となったものの、アカデミー賞外国語映画賞トルコ代表となった作品。




※この記事は、2013年のレビュー記事を再見・加筆したものです。
久しぶりにいい映画にあたりました。嬉しいなぁ。
で、ちょっと思い出したことを。

かの地に滞在していた頃、クルドの話が人々の口にのぼるたびに"良いクルド人""悪いクルド人"という単語をよく耳にしたものでした。貧しくとも問題を起こさず国内の政策に従い生きているクルディスタンと、クルド労働者党(PKK)武装組織に代表されるような反政府意識のあるクルディスタン。

そう、私にとってクルド問題は遠い国の遠い話ではないのです。
というのも、古い友人が"良い"側のクルド系出身だったから。軍隊でゲリラ部隊と銃を向け合っていた人間にとって、"悪い"側のクルディスタンは憎むべき存在でしかなく、話題に上るときは嫌悪の感情しかなかったように思います。

でも"悪いクルド人"なんて本当にいるのでしょうか。
誰の側から見た言い方なのでしょうか。







国全体が【クルド文化】や【クルド人】という存在を抑圧していた中、この作品は、羽交い絞めにされた力を解きほぐすような一筋の柔らかな光。私にはそう感じられました。

国家を持たない民として、最愛の家族まで失ってしまった幼いヘジャル。
だからこそ、その小さな体いっぱいに力の限りに叫ぶクルド語を誰も止められはしないのです。小さな少女の正直で痛烈なその思いは、観る側の心を最後まで揺さぶり続けます。

そして、クルド問題をトルコ国内で初めて取り上げ、この映画を製作したのが"女性監督"だったということも興味深いもの。

アラブ・イスラム世界の中では最も西欧文化にも近く、近代化された国家とはいえ、イスラーム世界ではほぼ見られない「自転車に乗る女性(しかも老齢!!)」をチャーミングに演出する軽やかさを見て、私はこの作品をいっぺんで好きになってしまいました。車を運転する女性のことを、地方ではまだあまり良く思われないほどなのですから・・・。



主人公の老人ルファトとヘジャルという2人を取り巻く人々の、その小さなドラマが丁寧に綴られていることにも温かみを感じます。家政婦サキネの人生、未亡人ミュゼェイェンの都会に暮らす孤独、そしてクルド人としての苦悩を抱えるエブドゥ。

たとえ政治的・民族的問題を抜きにして観たとしても、この作品の優しくも力強い印象はまったく変わりません。この映画、もっともっと広く知られてほしいなぁ。






むかし、クルド出身の人のお店に入って値段の交渉をしたことがありました。

明らかに「外国人」の私が友人から教えてもらったクルド語で話しかけたところ、「こんなことがあるなんてなぁ!」と店主のおじさんに大笑いされ、可愛らしい小皿セットのおまけを頂いてしまいました。表情がぱぁっと明るくなったあの店主の顔が忘れられません。この映画を観て、そんなことを懐かしく思い出しました。



※この映画の時代背景について 「少女ヘジャル」公式サイトより一部抜粋

トルコ国内でクルド人問題が最も激しかった頃の1998年、クルド人の存在そのものが拒否され、クルド語も話せなかった時期がこの映画の舞台となっています。しかし、現在ではクルドの民俗音楽のCDが発売されたり、クルド語による芝居の上演、一部の学校でクルド語教育が行われるようになっているとのこと。

軍部の影響力や、EU・米国に向けた政治的立場や思惑、国内世論など様々な政治的要因が絡み合って状況も変化しているようですね。


 Türkiye’nin ilk Kürtçe karnelerini aldılar【ZAMAN】
Türkiye’nin ilk Kürtçe karnelerini aldılar【ZAMAN】
トルコ初のクルド語小学校で、初のクルド語通知表を受け取る
(2015年1月24日付/ザマン紙)




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  2015/09/08 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『パンドラの箱』 (2008/トルコ、フランス、ドイツ、ベルギー)

   ↑  2010/12/08 (水)  カテゴリー: シリアス、社会派
PANDORA'S BOX 【wikipedia】
●原題:Pandora'nin Kutusu/PANDORA'S BOX(英)
●監督: イェシム・ウスタオウル
●出演:ツィラ・シェルトン、ダリヤ・アラボラ、オヌル・ウンサル 他
●イスタンブールで暮らす3人の姉弟。長女は息子との関係がこじれていることに悩み、次女は先の見えない恋人との関係に苦しむ。弟は芸術家を名乗り、荒れた生活をしている。都会に出てきてもう長い年月が経ち、3人は互いに親しく会うこともなくなっていた。そこへ、黒海沿岸の故郷の村で暮らしていた母が行方不明との知らせが入る。言い争いを繰り返しながらも村へ向かった3人は、山の中で見つかった母をイスタンブールに連れ帰るのだったが、年老いた母は奇抜な行動をとるようになっていた。病院で診断された病名は認知症だった・・・。「NHKアジア・フィルム・フェスティバル」第9回(2008年)上映。2008年「サン・セバスチャン映画祭」最優秀作品賞、最優秀女優賞(ツィラ・シェルトン)受賞作品。




昨年の放映に続き、今年もまた母と時間をとって一緒に観た作品です。とても静かでセリフが少なく、それがとても印象的で、この作品の最初から最後までの一切をこの1年間ほとんど忘れたことのないとも言い切れるくらい、ずっとずっと忘れられなかった映画でした。また観られて本当によかった!





登場人物たちの瞳や、じっと佇む後姿、肩を並べて座る二人、ものを食べる姿や沈黙の時間などが(恐らく言語を理解できなくても何の問題もないほど)語られる言葉をギリギリに排除した分だけ、観る側に直に染み込むように伝わってくるんですね。また、この映画で映し出される現代社会において様々な問題を抱える人々の姿というのも、どの国でもどの文化でも恐らく共感できるだろう部分なので、まったく違和感なく入り込むことができる。「映画」の特性を活かし切った、とても良質で優れた作品だと思います。


ギリシャ神話において、プロメテウスが「天上の火」を盗んで人間に与えたことを怒ったゼウスが人類に災いをもたらすためにパンドラという「女性」を作り上げ、彼女に持たせた「あらゆる災い」が詰まった箱(壺)というのがパンドラの箱と言われているものです。彼女は開けてはいけないと言われていたものの、その好奇心から箱を開けてしまい、あらゆる災いが地上に飛び出してしまったため「パンドラの箱」という言葉は「開けてはいけないもの」「災いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味するようになりました。

しかしこれには続きがあって、諸説解釈はあるのですが、パンドラが急いでその箱の蓋をしたので希望だけが残った、ともいわれています。





地方での暮らしや生い立ちから逃れるため、都会へ出て過去を忘れようとする姉弟たち。そんな中、山で独り暮らしていた母親の認知症の問題。開いてこぼれ落ちた「パンドラの箱」のように、あらゆる問題に直面せざるを得なくなる人間の姿を、この映画はただじっと見つめていくだけです。が、その中に、確かにわずかではあるものの「希望」の兆しは確かに見え隠れしているような気がしてなりませんでした。

ふとした瞬間に正気を取り戻したような言葉で長女を戒める母親の思い。
愛されなかったと思い続けた次女の生き方。
生きることに投げやりになっていた孫が祖母に「生きて」もらいたいがために決意する究極の選択。

どれも辛い現実であり映画としてもやや暗く哀しいトーンになるのですが、しかしそこには心掻き乱されるような不穏さを感じることはありません。山へ帰ろうとするおばあちゃんの強い思い。それは、しっかりと地に足をつけて生き抜いてきたのは他の誰でもなく、おばあちゃんただ一人だということ。そして、それでも「誰も何も間違ってはいないのだ」と心を強くして見届けてあげることができる静かな思いが、胸の奥に広がるのです。また一年、もう一年、そうやってずっと心に残っていく作品なのだろうと、私は信じています。





余談なのですが。
主演のおばあちゃんを演じるツィラ・シェルトン(1918年生まれの92歳!)は、なんとフランス人の女優さんだったのです。いやー、私今回観るまでまったく知らずにいました。この映画のためにトルコ語をマスターしたとのこと。本当にビックリです。私はてっきりトルコのおばあちゃん女優さんだとばかり思っていました。
映画界は本当に広い!そして素晴らしいものです。



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  2010/12/08 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『イラク-狼の谷-』 (2006/トルコ)

   ↑  2010/04/03 (土)  カテゴリー: シリアス、社会派




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●原題:Kurtlar vadisi - Irak / Valley of the Wolves: Iraq
●監督:セルダル・アカル
●ネジャーティ・シャシュマズ、ビリー・ゼイン、ゲイリー・ビジー、ハッサン・マスード他
●アメリカによるイラク戦争で高まったイスラム圏での反米感情を背景に、本国トルコで人気のドラマを映画化して大ヒットを記録した。イラク北部のクルド人自治地区を舞台に、イラク駐留アメリカ軍の傍若無人に怒りの鉄槌を下す一人の元トルコ諜報員の活躍を描く。



先月書いた『バンテージ・ポイント』(2008/アメリカ)と対にしてupです。




この映画のテーマは「アメリカ、敗北」
予告編の作りが非常にうまいです。普段見慣れているハリウッド映画の「敵味方ポジション」を逆に置き換えてみれば、すごくわかりやすい。

全体的な作りはハリウッド作品のような“洗練さ”には遠く及ばぬものの、独特のコテコテ風味と「アメリカ、トルコ、クルド」の三つ巴ベースが頭にあれば、日本人でもポリティカルアクションとして楽しめるかもしれません。私のトルコ人の知り合いは、興奮気味に「コレが悪いヤツ!こっちが味方!!」と唾を飛ばして説明してくれます(笑)・・・が、上映当時のアメリカでは、そんな余裕はなかったようです。



まず、トルコ人が大興奮しアメリカ人が唖然としたもの・・・それは、極悪人として出てくる「アメリカ人」「ユダヤ人」の配役でしょう。ビリー・ゼインとゲイリー・ビジーが、もう言い訳のできないほど完璧なステレオタイプの超極悪アメリカ人として描かれています。なぜ出たんだ!?というくらい。

ハリウッドの比較的リベラルな俳優たちでさえ、イラクの民間人を虐殺する野蛮人として米国軍を描くトルコのフィルムに、アメリカ人俳優が参加したことにさすがにショックを受けたようです。自由の国アメリカですら、上映禁止&軍関係者は上映している映画館に近づくことも許されなかったというわけですから、その衝撃度は想像の遥か上をいくもの。



「トルコ人がヒーロー」という知識くらいは事前に持っていたのですが、観終わってみると、流石にここまでの描かれ方でよくビリー・ゼイン(私は『ツイン・ピークス』の彼が好きだった・・・)はオファーを受けたもんだなーと思い、彼のインタビューを色々探してみたんです。そのなかの1つ【ニューヨークタイムズ】のレポートによれば
「この映画の【反米】のトーンは苦ではなかった。戦争の惨禍は、世の中に知られるべきだ」「私は平和主義者なので、この映画によって行動を起こした」「私はあらゆる類の戦争に反対しています」と、テレビでのインタビューで彼が答えていた
とのこと。当時のブッシュ政権の対中東政策に猛反発の意を示したということなのでしょう。(NYタイムズ紙といえば、当時イラクの大量破壊兵器問題で誤った記事を載せたことを後になって訂正したり、政府との情報操作問題など後々色々あったところでしたねぇ・・・)




「ビリー・ゼインとゲイリー・ビジー キャリアを大虐殺」(!!)とまでアメリカ国内で非難された一方、『ランボー』シリーズなどの所謂「米国アクション映画」などとこの作品を比較して、「自国が正義!なんていう映画はよくあるじゃないのよ」と擁護する人も勿論いたようです。・・・がしかし、この映画にはもう少し根深い問題があったんですね。

というのも、「トルコはアメリカの同盟国じゃないか!アメリカが昔作った「対ソ連」ものの映画の時とはワケが違うんだぞ!」という点。ここはもう、筋金入りで保守共和党ブッシュ寄りの【ワシントンタイムズ】がきっちり言い放っているんです。
反米主義の波に乗ったこの新しいフィルムは、トルコで記録的な聴衆を引き付けていてエルドアン首相の妻からも承認されている。この映画の中で、ガムをクチャクチャ噛んだ米国軍人は結婚式でイラク人を冷酷に撃ち殺し、他のシーンではアブグレイブ刑務所での事件を連想させる。さらに、ユダヤ人医師はイラク人の囚人の臓器をイスラエルや西欧諸国に売り捌くのである

確かに作品公開当時、トルコの首相夫人は「私はこの映画をとても誇りに思います」と発表しているんですよねぇ。おまけに外務大臣やトルコの議会の議長までもが、この映画のリアリズムを称賛したそうなんです。それはもう、アメリカからしてみれば「いくらなんでもアメリカ大統領夫人や議長までもが、乱暴で人種差別主義の映画を褒めちぎったことなんか一度もないぞ!」といったところなんでしょう。盟国から言われてしまいましたしね。





アラブ・イスラーム世界では異質な存在であり、尚且つ親米寄り立場のトルコが、自国を守るヒーロー映画を作って大ヒットしたのは、素直に国民感情を見事に掬い上げたからです。これまでアメリカが、映画という娯楽の中で見ていた「正義」と「悪」の立ち位置を単純に(といってもその関係は複雑ではありますが)引っ繰り返されただけで、今まで自分たちが平気でやっていたのと同じことされて、上映拒否までしてしまうという大国アメリカの悲しさよ。

誰でも自分のアイデンティティーやコミュニティーを否定される扱いは辛いものです。ちょうど今、日本では『ザ・コーヴ』の問題もありますね。が、それに対してただやたらに感情的に猛反発して拒否するのではなく、他者からの視線が一体どこから発信されているのかを確認してみるのも悪くないのではないのかなぁ、と思うのです。実際それが自分に向けられると意外と難しいものなのですが、でもそれができない限り、突き上げた拳の向かう先を間違えたまま私たちは生きていくことになるのではないかと感じるのです。ここにきてちょうどよい、時代を映し出すリトマス試験紙のような映画だと思います。





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  2010/04/03 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit
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