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『ザ・ドア 交差する世界』 (2009/ドイツ)

   ↑  2016/02/25 (木)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー




ザ・ドア ~交差する世界~ [DVD]



●原題:DIE TUR / 英題:THE DOOR
●監督:アノ・サオル
●出演:マッツ・ミケルセン、ジェシカ・シュヴァルツ、ヴァレリア・アイゼンバルト、トマス・ティーマ 他
●自らの不倫中に娘を事故で亡くし、妻にも愛想を尽かされ全て失った画家のダビッド。自暴自棄となった彼はある日自殺を試みるが、そこで不思議な扉を発見する。その扉は、娘を失ったあの日に繋がっていた。信じられない思いながらも、ダビッドは扉のあちら側にいる娘を救出することに成功する。ところが、安堵もつかの間ダビッドは不審人物と見なされ襲われてしまい、勢い余ったダビッドは相手を殺してしまう…のだが、なんと相手は“もう1人の自分”だった・・・





映画配給会社【GAGA】が運営するオンラインシアター。
今日の映画は、この「青山シアター」で鑑賞です。

GAGA.jpg
私は無料の会員登録だけしてあるのですが、これまで数回ほど最新作のオンライン試写会に当選したり、年に一度のアカデミー賞主要部門のレース予想や無料配信もあったりして、ちょこちょこですが利用させていただいています。

現在は「未体験ゾーンの映画たち 2012-2015」で上映された作品の中から人気作を一挙配信!ということで、2016年3月25日(金)まで誰でも無料で1作品鑑賞出来ます

「未体験ゾーン」ということなので、ラインナップとしてはホラーとかホラーとかホラーとかばっかりで「私もう絶対ムリ!!」な勢いだったのですが、私の好きなスティーブ・カレルやライアン・ゴズリングの出演作品など面白そうなミステリーやコメディ系もあったので1作品に絞るの、最後までけっこう悩みました(笑)。







というわけで、今回はドイツ映画『ザ・ドア 交差する世界』に決定。


決め手は、主演のマッツ・ミケルセン(画像左)
"北欧の至宝"と呼ばれ、『007 カジノ・ロワイヤル』での悪役ル・シッフルや、米国ドラマ「ハンニバル」でのレクター博士など国際的に活躍する名優であり、いつもどこか憔悴したような、深い孤独を感じさせるクールで寂しげな目がインパクトに残る俳優さんです。

※画像右は北欧ミステリーの火付け役とも言われた「THE KILLING/キリング」に出演していたお兄さんのラース・ミケルセン。渋いです。


マッツ・ミケルセン主演作品として、当ブログでは『アフター・ウェディング』を過去に紹介していますが、最近では第65回カンヌ国際映画祭で男優賞受賞した『偽りなき者』が話題になり、またデンマーク発の西部劇『悪党に粛清を』もいよいよ5月からレンタル開始され、私の「北欧映画ってヘビーな内容が多くて苦手だわ・・・」という後ろ向きな気持ちを今少しずつ持ち上げてくれているのが、このマッツさんなのです。


因みに、私がいつもすごいなと思うのは、マッツ・ミケルセンが出演する映画の言語バリエーションの豊富さです。

彼はデンマーク語の他に、スウェーデン語、ドイツ語、英語、ロシア語、フランス語を話すそうなのですが、それは様々な国の言葉の映画をたくさん観ることによって習得していったのだそう。先の『アフター・ウェディング』では確かヒンディー語でも話していましたしね。英語を母語としない欧州俳優のこういったバランス感覚が私はとても好きです。

・・・・なんてすごく褒めておきながら、時々「ミッツさん」だったか「マッツさん」だったか分らなくなったりもします。本当にごめんなさい。







この『ザ・ドア 交差する世界』は、過去と未来を繋ぐ扉がもたらす【パラレルワールド】を舞台としたSFサスペンス。

ですが、互いに干渉し合わない並行世界(時間差はあり)の話なので、この類の映画にありがちなタイムパラドクスに頭が混乱したり矛盾や複雑さを気にしたりすることは一切ありません。

どちらかというと、主人公ダビッドが別の世界線にいる"自分"を殺して"同一人物"として生きていこうとする中で(ここはサスペンス)、果たして同じ愛する人と共に生きていけるのか? "誰か"を犠牲にしたことによるその代償は?という、人間ドラマに重点が置かれた物語のように感じました。



"一番大事な時に大切な物を守り切れなかった"という、背負いきれない絶望に打ちのめされ、何もかもを失った主人公ダビッドの痛々しさ。その彼の荒んだ心の中の風景のように、凍てついた冬の世界で見つけた季節外れの青い蝶に誘われて、過去の"あの時"に戻ったダビッド。

自分の失敗を恥じ、過去を悔やみ続けたきた彼は、今度こそ娘の命を救うのです。

もし、ここでやり直せたら?
自分が願っていた通りの世界になるのか?




「"パパ"に何をしたの?」

運命は残酷。
歯車は一度外れたら決して元通りにはならず、"誰か"を犠牲にした上での代償は重く、悲劇が悲劇を生んでいくのです。

もう一度人生をやり直せたとしても「それが最良の選択だった」と、どの時点で決まるのでしょう。今、愛している人の手を決して離してはいけない、人生に後戻りなどなくとにかく前を向いて生きていくしかない。悲劇の起こったあの場所に座り込む主人公のラストシーンに胸が痛みました。・・・・・・切ないです。

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  2016/02/25 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『吸血鬼 ボローニャ復元版』 (1931/ドイツ、フランス)

   ↑  2012/05/30 (水)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー




カール・Th・ドライヤー コレクション 吸血鬼 ボローニャ復元版 【DVD】


●原題:VAMPYR / 英題:THE STRANGE ADVENTURE OF DAVID GRAY
●監督:カール・テオドール・ドライエル(カール・Th・ドライヤー)
●出演:ジュリアン・ウェスト、モーリス・シュッツ、レナ・マンデル、シビル・シュミッツ、アンリエット・ジェラール 他
●フランスの田舎町を旅する青年アランは、不気味な古城がそびえる町を訪れ、領主の助言で城を訪れる。そこで貧血になっている娘レオーネを見た領主は、吸血鬼の仕業だと判断。アランは吸血鬼についての知識を蓄えて、吸血鬼に立ち向かおうとする。カール・Th・ドライヤー監督の『吸血鬼』を、ボローニャのシネマテークが現存する中で最も原形に近いと言われているドイツ語版プリントを元に復元。




吸血鬼ノスフェラトゥ

フリッツ・ラング コレクション:M


思えばこの映画より10年も前の『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年/ドイツ)は、日夜のシーンをそれぞれ暖寒色に分けてキッチリ区別していたし、同じ1931年のドイツ作品『M』は、現代映画として丸々通用するような構成力とストーリー性に優れていました。故に、一口に「1931年制作のクラシック映画」といっても、流石にこの『吸血鬼』はいわゆる"アート映画"なんだろうなぁと思いました。



サイレントからトーキーに移り変わりつつあった時代。誰の真似でも模倣でもなく、様々な工夫や趣向を凝らして「世界」を創り上げていくことのできた20世紀初頭の映画。こういった実験的で芸術的な感覚は、今観るととても斬新で新鮮。モノクロ画面の中で"染み"がゆっくりと広がって、それが"血"に見えてくる怖さ!そんな想像力に刺激されながら観るのは、なかなか良い体験になりました。ま、気を確かにして眠らなければ、ですが(私は2回記憶が途切れて、3度目のチャレンジで完走したので笑)。




当時、この映画の製作資金を出したのはロシア系貴族の青年ニコラ・ド・グンツブルグ男爵。彼は「ジュリアン・ウエスト」という名を使ってこの映画に出演しています。そう、なんとそれは主人公の「アラン・グレイ」というからビックリ。「なんて高貴そうな顔立ちの俳優さんなんだろ~」と思って観ていたので大いに納得。


ハイライトとも言うべき幽体離脱と棺のシーン。これはもう必見。
1957年のスウェーデン映画『野いちご』での、サイレント映画を意識したという【悪夢のシーン】を思い出してしまいました。映像表現の素晴らしさ、力強さというのは時代性などまるで無関係なのだと確かに思わせてくれました。

画面の端で蠢く黒い影。呪われた女性の恐ろしげな表情。死への恐怖。やはり人間が元来持っている"恐怖の感情"というのは、昔も今もまったく変わらないものなんでしょうね。

吸血鬼@映画生活




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  2012/05/30 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『レクイエム ~ミカエラの肖像』 (2005/ドイツ)

   ↑  2012/05/03 (木)  カテゴリー: シリアス、社会派

●監督:ハンス=クリスティアン・シュミット
●出演:サンドラ・フラー、ブルクハルト・クラウスナー、Imogen Kogge、Anna Blomeier、Nicholas Reinke、Walter Schmidinger、Jens Harzer 他
●南ドイツの小さな町。信心深い両親のもとで育ったミカエラは、意識障害の持病を抱える内気な少女だった。大学進学を機に青春を謳歌し始めた彼女を病魔が襲う。原因は自分の罪のせいだと考えたミカエラは牧師に救いを求め・・・。監督のハンス=クリスティアン・シュミットは、ドイツ映画界でいま最も評価の高い若手の一人。主演のS・ヒューラーは、映画デビューである本作でベルリン映画祭最優秀女優賞を受賞した。




1976年、ドイツで実際に起きたアンネリーゼ・ミシェルという少女が悪魔祓い実施中に栄養失調等が理由で死亡した事件。アメリカ映画『エミリー・ローズ』でも同様の事件をモチーフにしていた覚えが。

ショッキングなテーマを扱っているだけに、この『レクイエム~ミカエラの肖像』というドイツ映画も「サイコスリラー」というジャンルに分けられがちだけれど、実際は少女の短い人生の心の内を浮き彫りにした繊細で悲しいドラマだとなと感じました。

キリスト教の「原罪」という思考に加えて悪魔を道連れに殉教した聖者への憧れが重なり、ミカエラの身体にてんかんと思われる発作が重く圧し掛かっていくにつれ彼女の心が壊れていく過程を、映画は客観的に静かに映し出していきます。厳格過ぎる母親からの自立、両親の愛情を確認したかったミカエラ。宗教よって縛られた心は、殉教という死の形でミカエラに安らぎを与えましたが、"神の思し召しで苦しみを受け入れる"という、真っ直ぐ死へと伸びていく世界からは誰も彼女を連れ戻すことが出来ませんでした。心の支えとなってくれるはずの宗教が、なぜ彼女を死へと導いてしまったのか?「宗教」を心の拠り所にしている人々は世界中に沢山いるはずのに・・・


てんかんの発作で将来への不安でいっぱいだったミカエラには、実際心から頼れるものがなかったのかもしれない。一番近い存在であるはずの両親は大学進学を拒む存在であり、発作については隠し通さなければならないから。本当は助けてほしい相手から「ロザリオ」を渡されるミカエラ。恐れ憎み、それでも手を伸ばしたい存在である母親からもらったロザリオに触れられない・・・・ここから彼女の中の崩壊が加速していくことに。「憎悪」をぶつける理由が「悪魔」となって現れ、乗り移った時だけ「本音」という恐ろしい言葉が吐き出されていた気がしました。

悪魔の声はミカエラ自身の心からの叫びだったのかもしれない。助けて欲しい、見捨てないでほしい、と。映画の中でミカエラはこの言葉を発するのだけれど、それは両親へではなくエクソシストの神父へと向けられたものでした。とても悲しい。





父親に抱えられて自宅に運ばれるシーン。母親にお風呂に入れてもらうシーン。

ほんの僅かな時間だったけれど、ここで私は不覚にも涙がこぼれてしまいました。自分の子どもがこれほどまでに消耗し切った身体になっていたことに、どれほど衝撃を受けたでしょう。そのあまりの軽さに戸惑いの表情を見せる父親。「ママ、迷惑をかけてごめんね」「いいのよ、もう休みなさい」――母親がミカエラをお風呂に入れて体を流してあげるシーンは、まるで彼女は小さな子供のようでした。こうやって甘えること、スキンシップをとることを彼女は望んでいたのではないかと。そう思わずにはいられませんでした。

いつ治るのかも分からない、辛く耐えがたい発作の連続。身体の不安は恐怖となって、彼女の心をも閉ざしてしまいました。もし発作について両親が献身的に彼女を支えてくれていたら。大学進学や将来への不安も、ともに見つめてくれていたら。ミカエラから死を追い払ってくれたかもしれない、彼女は神に死を望まなかったかもしれない。そう思ってしまう。ミカエラの崇拝した神様は、生の道を照らし続けてくれたのではないかと。



実在したアンネリーゼ・ミシェルの死亡時の体重は、わずか31㎏しかなかったといいます。自分の子どもを抱きしめ、抱え上げる瞬間に感じる大切な大切な重み。ミカエラが自ら死を選び、衰弱して亡くなっていったことに泣けて仕方ありませんでした。


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  2012/05/03 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響曲』 (1922/ドイツ)

   ↑  2011/10/06 (木)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー



吸血鬼ノスフェラトゥ [IVCクラシックフィルムコレクション] <2004/9/24>


●原題:Nosferatu – Eine Symphonie des Grauens
●監督:F・W・ムルナウ
●出演:マックス・シュレック、アレクサンダー・グラナック、グスタフ・フォン・ワンゲンハイム、グレタ・シュレーダー 他
●ブレーメンで妻エレンと幸福な結婚生活を送っているフッターは、ある日トランシルヴァニアのオルロック伯爵という人物のもとへ館の売買契約を結ぶために派遣されることに。亡霊の地とも呼ばれるトランシルヴァニアへ行くフッターの身を案じるエレンだったが、彼は何も心配することはないと旅立ってしまう・・・。



字幕を追いながら、あるいは活弁士の声を聴きながら観る無声映画。"動く絵本"を読んでもらっているようなイメージがあるので贅沢なまでにワクワクと楽しく、久々でとても新鮮でした。もっとも、私が映画を観始めた初期の時代(中高生の頃)に観たフリッツ・ラング監督のドイツ映画『メトロポリス』の衝撃は、未だ忘れられるものではありません。

今回レビューを書く『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、BS-NHKがドイツのムルナウ財団所有のオリジナル完全版を放映してくれました。屋外ロケによる大胆な構図と迫力が素晴らしいこの作品をハイビジョンのクリアな映像で観ることができて感動!受信料払っていて良かったなぁ。『吸血鬼ノスフェラトゥ』はドイツ表現主義作品として映画史上に君臨する名作といわれています。ドイツ表現主義の定義や解説については様々なサイトや書籍などで専門的な説明がなされていますので、ここでは割愛させていただきます(「ドイツ表現主義―映像」wikipedia)




この映画が制作された1922年というのは日本でいえば大正11年。翌年、日本では関東大震災が起こったという時代です。1920年代はサイレント映画全盛期というわけで、サスペンスフルなストーリーはもとよりロングショットの中を斜めに横切っていく役者の動きや、微生物を細部まで映し出す接写など、作品全体の構図が非常に洗練されています。役者の声やセリフ、効果音などに全く頼ることが出来ない無声映画だからこその「映像」による徹底されたテクニックなのでしょう。ムルナウ監督の美学を感じさせる、計算し尽されたカメラワークに圧倒されます。


例えば、映画の冒頭、まだ物語が始まる以前の段階で夫フッターから花束をプレゼントされた妻エレンが「きれいなお花なのに、どうして命を摘み取ってしまったの?」と悲しげな表情を見せる場面や、挨拶もそこそこに通りを急ぎ足でいくフッターに「そう慌てなさんな、お若いの。急いだところで運命は変わらんよ」と話しかける老人。二度目に観た時に気づいたのですが、まるでこれから起こる悲劇を暗示、連想させるようなやり取りを何気なく入れているんですね。構成力にも唸らされてしまいます。



また、迫りくる悪夢のような"恐怖描写"は「不気味」の一言では片づけられないような幻想的な印象すらありました。フッターよりも先にトランシルヴァニアを発った吸血鬼オルロック伯爵がヴィスボルクの街へと近づいていくにつれ徐々に行動に異常をきたすエレンの状態は、これ以降の吸血鬼の物語に漂うある種の官能的な雰囲気を感じさせるものがあります。

ゆっくりと近づいていくオルロック伯爵と恐怖に怯えるエレンとをカットバックで交互に映し出すゾッとするような映像は、人間が原始から持つ"恐怖心"というものををジリジリと煽るホラー映画の原点なのかもしれませんね。





オルロック伯爵が眠る棺を載せた帆船が海原を進んでいくという、何気なく挟まれるほんの20秒ほどのワンカット。これが現代の映画なら何ということのないシーンなのですが、この時代の作品にしてこういった"ド迫力"の映像が撮れること、表現できることの、優雅にしてエネルギッシュ、クールでいて力強い表現力の豊かさに恐れ入ってしまうばかりの93分です。

昨今流行している3D映画よりも、素晴らしい出来のサイレント映画の方がずっとずっとリアルな感じがするのは何故なのだろうと思いました。不思議です。

吸血鬼ノスフェラトゥ@映画生活





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  2011/10/06 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『天空の草原のナンサ』 (2005/ドイツ)

   ↑  2011/08/06 (土)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ




天空の草原のナンサ デラックス版 / 洋画


●原題:DIE HÖHLE DES GELBEN HUNDES / 英題:THE CAVE OF THE YELLOW DOG
●監督:ビャンバスレン・ダヴァー
●出演:ナンサル・バットチュルーン、ウルジンドルジ・バットチュルーン、バヤンドラム・ダラムダッディ・バットチュルーン、ツェレンプンツァグ・イシ、ナンサルマー・バットチュルーン、バトバヤー・バットチュルーン
●モンゴルの草原で暮らす遊牧民一家の長女ナンサは6歳。ある日、ナンサは洞窟でかわいい小犬を見つけ連れて帰るが、父親に飼うことを反対されてしまう。父が町へ行っている間に手放すよう言われるが、ナンサは父の代わりに手伝っていた放牧中に小犬とはぐれてしまい・・・。



ドイツ映画ではありますが、モンゴルの遊牧民一家のお話。すべてモンゴル語です。

犬と子供が出てくる映画ということで、小さな者の可愛らしさだとか都会の文化から離れた場所に生きる人々の"ナチュラルさ"などをゴリ押しにしてくる映画だったらイヤだな、と少し穿った気持ちで観始めた部分もあったのですが。いやいや。空の青、山の影、白い雲、大地の緑がクッキリと画面を分けるモンゴルの雄大、荘厳な景色。これらを目にしただけでも、どーんと心が広がっていくような気がしました。一度訪れてみたい国の一つです。



自然が相手の生活には余計な物、余る物というのがないのですね。家畜のフンは燃料やおもちゃにまでなってしまうし、風や草木は子供の遊び相手にもなります。ただこれは、大自然が美しくて羨ましいとか癒されるとか心豊かになるとかいう単純な話ではなくて、自然と共に生きる人間は、自分の力・人間の力というものには限界があるという"畏れ"を感じつつ、同時にそこに生きることがどれほど尊いものかを彼らは知っているのだなぁと感じました。それがきっと、『天空の草原のナンサ』に出演しているバットチュルーン一家や遊牧生活を、力強く美しく見せているのだろうと思います。




チベット仏教の教えのひとつ「輪廻転生(一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく永遠に継続される)」の話が、映画冒頭以外にも何度か出てきます。中でも印象的なのが、悪天候の中、道に迷ったナンサを招き入れてくれたお年寄りのお話でした。命というのは何度でも自由に人間に生まれ変われるというものではなく、この世に人間として生を受けたことは、落ちてくる米の粒が針の先に刺さる確率と同じくらい難しく、そして尊いものなのだということ。また、犬が欲しいのに飼えないと言うナンサに対しても「手の平を噛んでみようとしてもうまく噛めない」という例え話によって「目の前にあっても手に入らない物がある」ということを優しく話してくれるのです。

自然界から離れ、何でもコントロールすることが可能だと思っている物質文化の世界にどっぷり浸かって生きていると、大概のものは手に入れることが出来るという錯覚に陥ります。手に入らないもの、届かないものがあることを忘れ、今自分のいる人工的な世界が無限だと感じるような日常を、私はこの映画を観ながらクラクラと眩暈がするように思い返していました。私のように傲慢な人間は、確実にチベット仏教の世界においては人間には生まれ変われず虫になるのだろうなぁと恥入りつつ・・・。


遊牧民として移動するために解体する家(ゲル)の形状や、赤ちゃんをすっぽり入れるとスリングにもなる民族衣装のデールなど、その実用的な物のシンプルさ、機能性などにうーん!と感心してしまいました。飼っている山羊の乳からチーズを作ったり、ナンサが着るデールをお母さんが手作りしていたり、風車でわずかな電気をおこしたり。そういった何気ない一つひとつの生活の場面は何の主張もしてはいないものの、忘れてはいけない大事なことのように感じるのです。

だからなのでしょうか、お父さんが町から買ってきてくれたオモチャの犬や柄杓のプラスチックのカラーが、妙に毒々しく不釣り合いに映りました。ドキュメンタリー"風"の作品であるため、その部分はやはり町と草原で暮らす人々の生活感の差を演出したものだったのかもしれませんが、その一方で「生活するためには遊牧だけではやっていけない、町で仕事を探す方がいいかなぁ」と話すお父さんの言葉も、ある意味現代社会で生きていくことの難しさについて考えさせられるものでした。



そういえば、モンゴルの遊牧民というのは大家族で住んでいるのかとばかり思っていたのですが、この映画のバットチュルーン一家は「核家族」でした。お母さんは食材作りや食事の準備、家事などをしつつ、夫が不在の間は家畜の世話、移動の時はその準備など、小さな子供たちと一緒に過ごす時間もなかなかありません。電化製品で家事が簡略化されているわけではないので当然と言えば当然なのですが、子どもを野外で一人で遊ばせておくんだな!とか、6歳のナンサに家畜の放牧を任せるんだな!とか正直ドキドキものでした。子供って一直線過ぎて何をするか解らなくて怖いのは、どこの国でも同じことですね。それを優しく、厳しく見守るお母さんの姿が印象的でした。



最後に、この映画の原題でもある「洞窟の黄色い犬」の伝説について・・・
『むかしむかし、お金持ちの家族が住んでいました。ある日、その家のとても美しい娘が重い病気になってしまいました。どんな薬を飲んでも治りません。そこで父親は賢者に相談に行きました。すると賢者は「黄色い犬を飼っているだろう? その犬を追い払わなくてはならない」と言うのです。でも父親は、家族や家畜を守ってくれている犬を殺すことなんてできません。そこで、犬をほら穴に入れて出られなくしました。父親は毎日エサを持っていきましたが、ある日、犬はいなくなってしまいました。すると娘は本当に治ったのです。でも娘が元気になったのには、ほかに理由がありました。娘はある若者に恋をしていたのです。黄色い犬がいなくなり、2人は何者にも邪魔されずに会えるようになったのでした・・・』。
『天空の草原のナンサ』ビャンバスレン・ダバー来日会見【All About】より一部抜粋

この黄色い犬がその後どうなったのか、ナンサはおばあさんに尋ねます。その答えは、果てしなく広がるモンゴルの地に生きる遊牧民たちの、そしてチベット仏教の「輪廻転生」の世界観を優しくナンサに教えてくれるものでした。


良い映画を観た後って、清々しい気持ちを感じますよね。この映画はそんな風を久々に味わえた作品で、なんだかとても嬉しくなりました。観ることが出来て本当に良かったです。

天空の草原のナンサ@映画生活




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  2011/08/06 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit
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