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『シチリア!シチリア!』 (2009/イタリア、フランス) ジュゼッペ・トルナトーレ監督についてあれこれ②

   ↑  2011/09/27 (火)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ




シチリア!シチリア!スペシャル・エディション [ フランチェスコ・シャンナ ]


●原題:Baarìa
●監督、脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ
●出演:フランチェスコ・シャンナ、マルガレット・マデ、リナ・サストリ、アンヘラ・モリーナ、サルヴォ・フィカッラ、ヴァレンティノ・ピコーネ 他
●1930年代、イタリア。シチリアの田舎町バーリアに牛飼いの息子として生まれたペッピーノ。やがて成長した彼は政治に目覚め、共産党の活動に参加。運命の女性、美しいマンニーナと出会い恋に落ちるが、政治活動のせいで彼女の家族には拒絶されてしまう。それでも愛し合うふたりは逆境を乗り越え、自分たちの夢に向かって歩き出す・・・。





映画の冒頭、ピエトロという男の子がコマを回して遊んでいます。
カードゲームに熱中している大人たちの使いでタバコを買いに行くのですが、なんと必死に走る彼の姿は、あっという間に空を飛んでしまうのです。

「・・・こんなベタな描写って」と思っているうちに、物語は次々とエピソードを見せてはフェイドアウトを繰り返すため、なんて雑な編集なのだろうと私はしばらく訝しんで観ていました。が、この"ぶつ切りのフェイドアウト"が紡ぐ各エピソードは、時間が経つにつれて、まるで夢の断片のように流れ去っていく「時」を表しているかのように思えてくるのです。


Wikipedia in italiano【Bagheria】 Wikipedia in italiano【Bagheria】
Wikipedia in italiano【Bagheria】より
「Baaria(バーリア)」とは「Bagheria(バゲリーア)」のシチリア語発音です。

シチリアは、アフリカ大陸やギリシャの影響を深く受けた侵略・支配の歴史や、社会の根幹に教会・政治家・マフィアたちが絡む深い闇を抱く点などが北イタリアとは大きく異なり、荒々しくも美しい土地の表情を持ちながらも土着の"生"の生々しさを見せる場所。パレルモの東、コンカ・ドーロ盆地の中央に位置するバーリア(バゲリーア)は、17世紀半ば頃、ブテラの君主によって建てられたヴィラから発生した街であり、この映画の中でも幾度となく現れては強烈な存在感を放つVilla dei Mostori(怪獣のヴィラ)と呼ばれる「Villa Palagonia」が大変有名です。

地域によって様々な顔を見せるイタリアという国の中でも強い異文化の香りを放つシチリア、バーリアですが『シチリア!シチリア!』の中では、三世代に渡る主人公たちの物語に近代イタリア史がうまく組み込まれており、彼らの生活にそれらを見て取ることができます。イタリア国内では『シチリア!シチリア!』は「我々の国の歴史を網羅するフレスコ画だ」とも評価されていました。劇中で確認できる大まかな歴史的事件やエピソードは、以下の通りです。

1930年代: ムッソリーニのファシスト党によるファシズム政権の時代
1940年 : イタリア、第二次世界大戦に参戦
1943年 : 7月10日 連合軍によるシチリア島上陸「ハスキー作戦」開始
     (ファシスト政権に反感を持つシチリアマフィアが米軍と内応し、同軍を支援した)
1946年 : 王政廃止に関するイタリアの国民投票
1947年 : 5月1日 ポルテッラ・デッラ・ジネストラの虐殺事件
1950年代: イタリア南部開発政策による農業改革
1954年 : テレビ放送の開始(RAI)
1960年 : タンブローニ内閣に対する武力衝突が各都市で起こる
1962年 : アルベルト・ラトゥアーダ監督によるマフィア映画『Mafioso』の撮影
      シドニー・ルメット監督作品『橋からの眺め』公開
1968年 : 年金改革に対する労働運動、学生運動激化 
1972年 : 5月7日 イタリア国会議員総選挙
1981年 : 画家レナート・グットゥーゾ
      フランチェスコ・ロージ監督の『三人の兄弟(Tre fratelli)』がナストロ・ダルジェント監督賞受賞
Wikipedia in italiano【Baarìa】の年表をもとに作成







例えばこの映画では画家レナート・グットゥーゾ(Renato Guttuso)詩人イニャツィオ・ブッティッタ(Ignazio Buttitta)がたびたび登場します。シチリアの血を濃く持つ彼らが、労働者のために権力と戦ったり戦後イタリア社会に現れたネオレアリズモ潮流の代表格となっていったのは当然の流れであり、そのような歴史を身近に感じられるエピソードの一つとも捉えられるのですが、逆に言えば日本で誰もが知るアーティストとも言えないため、イタリア文化に馴染みがないとその辺りの感想は難しいかもしれません。1956年にソ連共産党のフルシチョフが行った「スターリン批判」前後の時期においても同様で、主人公であるペッピーノが何故それまで傾けていた政治への情熱から幻滅し落胆した様子を見せていたのかも、ドラマ的にはあまり詳しくは描写されずアッサリとしたものでした。

そういった点から見れば、明らかにこの映画は万人受けするタイプの作品ではなく、イタリアや近代史に興味のない人、ヒューマンドラマや温かな感動を求めたい人などにとってはただの長々しい不親切で政治色の強い大河ドラマに見えてしまうかもしれません。



しかし、私がこの映画に強く惹かれたのは元々イタリアに興味を持っていたからということ以上に、トルナトーレ監督のこの映画への情熱に対して抗し難い魅力があったからです。

その一つは「言葉」でした。繰り返し聞こえてくる人々のシチリアの言葉、年老いた人々のしわがれた叫び声、イタリア国内では標準語の字幕をつけなければ理解できないほどの強い方言。これらがシチリアの人々の強靭な生命力を心に響かせ、有無を言わせぬほどの説得力を持ち、物語性を高めているように思われました。

今回、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、過去に描いてきた"シチリア"よりもかなり独創的な表現方法でずっと奥まで踏み込んだ"自身の物語"を紡ぎ出しているのですが、そこにあるのは確固たる信念だけで、迷いを感じさせるものは微塵もありません。それはきっと、この作品が監督の人生の大きな転機から生まれたものだったからなのでしょう。

2007年にローマで暴漢に襲われ、生死の境をさまようという事件に見舞われ晴れて回復したのち、あらためて生きる喜びを実感したトルナトーレ監督は、現在や過去、未来といった時間の行き来すらも飛び越えた自身のルーツを見つめ直す必要性を強く感じたのかもしれません。『シチリア!シチリア!』はこれまで彼が生み出してきた過去の作品の、いわば「心臓部分」であり、過去の作品の焼き直しなどでもなく(確かにリンクは感じられるものの)それまでとは全く違った方向を向いたものに感じられます。



映画では「巨岩の裏に宝がある」という言い伝えが出てきます。
一つの石で3つの岩に当てることができれば、黄金の詰まった洞窟の口が開くというもの。ペッピーノは折々にこの場所へやってきては石を投げるのですが、一度も成功することはありませんでした。しかし・・・

映画をご覧になった方は、言い伝えのような「奇跡」が起こったと思われたでしょうか?
トルナトーレ監督はこの場面で、唐突とも思えるほど映画的でもあり現実的でもあるシンボリックな演出を施していました。バーリアのことを「よかったこと、悪かったこと、全て。愛することもできるし、憎むこともできる」とインタビューで述べているように、マフィアによる野蛮で陰惨な暴力の影が漂う日常や汚職・賄賂の横行など古く悪い慣習を否定も克服もできない現実への思いを、トルナトーレ監督はそこに滲ませているように思われたのです。例えば都市計画のモデルの上を這わせる盲目の議員の手は、まるで地を這う黒いヘビのようだと・・・私はそんな風に感じました。



そして、エンドロール。
流れゆくクレジットの中で、私たちはバーリアで育った芸術家たち――レナート・グットゥーゾやイニャーツィオ・ブティッタ、ダチア・マライーニ(Dacia Maraini)、フェルナンド・シアナ(Ferdinando Scianna)など、漂うように流れては消えていく彼らの声を耳にすることができます。これら、人々の怒号や家畜の鳴き声、通りの人々などバーリアの生の生活感を映し出したのは、ほんの10歳だったトルナトーレ監督でした。8ミリで撮ったホームビデオには彼の故郷への思いが詰まっているのです。

そしてこの最後に・・・私たちはトルナトーレ監督自身の声――1979年にPCL(イタリア共産党)市会議員として最年少で任命された時代の「共和国と地方、市の利益、調和のために良心と分別を持って義務を果たすことを誓います」という宣誓の言葉を聴くことができます。

7:10 "Quantu stradi e paisi, eccitati carusi, e quantu trenu, a scinniri ed acchianari"
7:23 "Peppuccio, stacchicci 'u coddu, ca a pasta s'arrifriddò"
7:31 Renato Guttuso: "un artista parla solo delle cose che conosce delle cose che sa....delle cose con le quali ha vissuto una comunione profonda da sempre....da quando non era neppure cosciente"
7:57 Dacia Maraini: "ci sdraiavamo sulla terrazza di Villa Valguarnera....e parlavamo dell'universo..
io ero piccola, avevo dieci anni"
8:15 "..peri tri, peri quattru, peri cincu, peri sei, peri setti, peri ottu, tippete, tappete.... pani, vinu e biscotti"
8:21 "a' giustizia, a' disoccupazioni nun c'avissi statu cchiu'.......tutti i vecchi anziani strarrammati di Paraddisu, tutti i fimmini cchiu' lindi"
8:34 "..vinieva mischinu ogni sera tutte le sere, mischinu, un cristianu bonu, s'assittava.."
8:45 "caro Paolo, hai concluso la tua giornata, illuminata da un ideale che oggi.. accomuna centinaia e centinaia di milioni di lavoratori in tutto il mondo"
9:09 "un lungo funerale nero di formiche segue la salma di una zanzara....eroicamente caduta"
9:33 "perchè se vado a fare un reportage di guerra, o la fame in Africa....la faccio perchè poi devo tirare fuori cinque foto per il giornale.. che sono, eh"
9:44 "all'una scinnevunu da canaletta 'nna carina....."
9:57 "io nella mia coscienza mi sono sentito per trent'anni un confinato....da trent'anni manco da Bagheria"
10:05 "nel nome del Padre, del Figlio e dello Spirito Santo"
10:16 "e allora ci vuole sempre l'uomo, sempre è inutile....mancando l'uomo, il mondo è finito"
10:27 "Cola trasi, ..astrizzati, 'ca sta biniennu ta' patri!"
10:31 Giuseppe Tornatore: "giuro di adempiere le mie funzioni con scrupolo e coscienza....nell'interesse del Comune, in armonia agli interessi....della Repubblica e della Regione"








割れる卵、未来を予知する老婆、奇妙な彫刻など。土着の風習を表しながらも、普遍的な人生のほろ苦さや厳しさ、命の美しさなどを詩的に描いた『シチリア!シチリア!』は、日本公開時の宣伝文句「人生は、どこを切っても美しい。」どころか、どこを切ってもトルナトーレ監督自身の血が流れているのです。

商業性や大衆性を期待されながらも「作家性」と言うにはあまりに濃すぎる自分自身の血を、トルナトーレ監督は無視することが出来ないのかもしれません。良いことも悪いことも愛し憎み、それでも慈しむように故郷を見つめるジュゼッペ・トルナトーレ監督の温かく強い眼差しに、私は心打たれました。甘い郷愁や綺麗事だけを並べての魅力に頼ることない正直な力強さが、この映画の魅力でした。

次回作・・・これまで一度もトルナトーレ作品を心待ちにしたことがなかった私ですが、今後作られる映画を早く観てみたくなってしまいました(・・・人は変われば変わるものなのです笑)!そして、ここまで辿り着くきっかけを作ってくれたブロガーさんに大感謝です。こうなると『海の上のピアニスト』のティム・ロスにも感謝しないといけないかもしれませんね(笑)。

今回わかったことは、映画監督も生きている人間なので作風も人生観も変わるかもしれない。存命中はむやみやたらに「好きだ、苦手だ!」と思わずにジャンジャン作品を観にいってみよう、チャレンジしてみよう!ということでした←これだけか(笑)!







映画『シチリア!シチリア!』番外編
ここからは、この映画で私的に面白かったなぁ~ということをメモしておこうと思います!

■その1:Villa Palagoniaについて

このレビューの冒頭でも少し書いたのですが、Bagheria(バゲリーア)のこの不思議な存在感を放つvillaの彫刻が『シチリア!シチリア!』の中でもかなりインパクトを持って登場します。アルベルト・ラトゥアーダ監督によるマフィア映画『Mafioso』の撮影シーンで「奇妙さが映画に似合う。唯一無二だ」とも語られている通り、同じイタリア人から見てもかなり異彩を放つものなのでしょう。シチリアに行くチャンスがあれば、パレルモから足を延ばして是非とも訪れてみたいものです。
※ヴィラ・パラゴーニアのHPはこちら:Villa Palagonia - Homepage


■その2:イタリア映画界を代表する俳優たちの友情出演
この映画で何にビックリさせられたかと言えば、イタリア映画界で活躍する俳優たちがほんの小さな役で顔を出していることなんですね。特にルイジ・ロ・カーショが「嫁さんはキレイ!」で登場した時は、驚きのあまり引っ繰り返りそうになりました。モニカ・ベルッチもなぜあんな役で脱いだんだ!?凄すぎる(笑)!他にも、ローマからの記者役で『トスカーナの休日』や『向かいの窓』のラウル・ボヴァ、街中の商売人にベッペ・フィオレッロ(Beppe Fiorello)など。

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奇しくもルイジ・ロ・カーショは『ペッピーノの百歩』という作品で、やはりシチリアの小さな町を舞台にマフィアとのかかわりを絶とうとして暗殺された実在の青年ペッピーノ(『シチリア!シチリア!』の主人公と同名)の役を演じていました(おまけに『輝ける青春』(2003/イタリア)で私が初めて言葉を交わすことのできた思い出の俳優さんでもあります)。これだけ俳優が集まるというのも、やはりトルナトーレ監督の人徳のなせる業なのでしょう。


■その3:映画フィルムを見ると時代の流れが見える

まるで『ニュー・シネマ・パラダイス』の1シーンかと錯覚するような、フィルムの切れ端をコレクションするペッピーノの息子ピエトロ。彼が大事そうに見つめるフィルムの1コマ1コマから、時代が変化していく様子を見ることができます。

・父ペッピーノと一緒に観に行ったのは『橋からの眺め』(1962/イタリア、フランス)
・『アルゴ探検隊の大冒険』(1963/イギリス)
・『国境は燃えている』(1965/イタリア)
・『シシリーの黒い霧(SALVATORE GIULIANO)』(1962/イタリア)
・『奇跡の丘』(1964/イタリア、フランス)
・『続・夕陽のガンマン』(1966/イタリア)
・『天使の詩』(1966/イタリア)
・『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』(1966/アメリカ)


■バーリアは多くの芸術家の生んだ土地
今回『シチリア!シチリア!』を観て思ったのですが、この地にある独特の文化・政治・宗教・コミュニティといった形態がユニークな人々を育てる土壌となり、数多くのアーティストがここから輩出されているんですね。勉強になりました。このレビューを書くにあたって参考にしたサイト、資料などを残しておこうと思います。

【Bagheria News】:バゲリーアのニュース、スポーツ、イベントなどなどローカルな情報が満載のサイト。もちろんトルナトーレ監督の特集もあります(ここではシチリアでの呼び名であるのPeppuccio Tornatoreと記載されています)。

10代の頃、この映画でピエトロがしていたのと同じように結婚式やパーティなどでの写真撮影サービスなどを行っていたというトルナトーレ監督が、10歳の時から撮りためたモノクロ写真集『ジュゼッペ・トルナトーレ写真集 シチリア1966-1979』
「ジュゼッペ・トルナトーレ写真集―シチリア1966‐1979」出版社:トレヴィル
―10才の時から写真を撮り始めてそれ以後の10年間に、自分では遊んでいるものとばかり思い込みながら、気付かない内に映画への取り組み方の基本を学んでいたに違いない。なぜなら素朴なこれらの写真のおかげで今日、私が映画の登場人物達を創造し、生かすことができるのだから―
ジュゼッペ・トルナトーレ






・・・・というわけで。
「映画」と「イタリア」という大好きなジャンルだっただけに、ついつい山盛りで好きなことばかりを書いてしまいました。来年はあまりブログを更新できそうにないので、今後しばらくは気軽な気持ちでレビューを書いていけたらと思います。取りあえず(一人で勝手に)やり切ったので、トルナトーレ監督に対して思い残すことはもうないな!(笑)



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  2011/09/27 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『海の上のピアニスト』 (1999/イタリア、アメリカ) ジュゼッペ・トルナトーレ監督についてあれこれ①

   ↑  2011/09/23 (金)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ






【DVD】海の上のピアニストティム・ロス [10003-30721]


●原題:THE LEGEND OF 1900 / La leggenda del pianista sull'oceano
●監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
●出演:ティム・ロス、プルイット・テイラー・ヴィンス、メラニー・ティエリー、クラレンス・ウィリアムズ三世、ビル・ナン 他
●第二次世界大戦の終戦直後。マックス・トゥーニーは愛用のトランペットを金に換えるために楽器屋を訪れた。彼はトランペットを売った後になって、店主にもう一度だけトランペットを吹かせて欲しいと頼む。彼の演奏を聴いた店主は、同じ曲がピアノで刻まれたレコードを持ち出し、曲と演奏者の名前を尋ねた。すると彼は、「1900 (ナインティーン・ハンドレッド)」と呼ばれた男の物語を語り始めるのだった・・・。



・・・実は、私はずっとジュゼッペ・トルナトーレ監督が苦手でした。

『ニュー・シネマ・パラダイス』の登場により、それまで低迷気味だったイタリア映画界に再び輝きを取り戻したイタリア屈指の名監督という高評価があることは、勿論納得できることです。あの映画で涙を流した人、大好きな映画として心に残っている人は多いでしょう。しかし、世界を感動で包んだと言われる名作『ニュー・シネマ・パラダイス』でなぜかそこまで心動かされなかった自分の感覚に違和感を覚えたのがそもそもの始まりで、続いて『みんな元気』『マレーナ』『題名のない子守唄』まで観て、私の勝手な苦手意識が"決定打"となってしまったのです。どこかが、何かが合わない・・・と。自分の感覚にずっと自信がなく、鑑賞を避けてきた映画監督さんだったのです。

ところが、私が全幅の信頼を寄せているブロガーさんが『海の上のピアニスト』のレビューを書かれていたじゃないですか。うーん、これはもう一度"自分の映画に対する感度"を確かめるチャンスかもしれない!と突然思った私は、ずんがずんが歩いて200歩しかない近所のレンタル店(近すぎる!)で早速借りてきました。このことが、まさかのジュゼッペ・トルナトーレ監督を追う長い旅になろうとは・・・(笑)





率直にズバリ言えば、私個人にとってこの映画は、特に何か大きく感情を揺さぶられるような作品ではありませんでした・・・スミマセン。本当に私はズレているんだろうな。それどころか、それまでドーンと私の中に大きくあった"苦手意識"のようなものすら感じませんでした。・・・逆に、トルナトーレ監督作品の中で一番"らしくない"作品だなぁとも感じました。いつにも増して(目を閉じていても理解できそうなくらい)モリコーネ節が威勢よく雄弁に物語っている気もしました。

トルナトーレ監督の作品が「ハリウッドで通用する」ということは、ボーダーレスで偏りのない映画作りが出来ているということなのでしょう。誰にとっても見やすく巧い映画作家だという点はよく解りました。主人公1900の出生秘話をポンポンとリズムよく寓話的に描く点など、とても面白いですよね。大袈裟だとも思うけれど、映像も相変わらず美しいです。



トルナトーレ監督にとっては「初の英語映画」ということでした。
アメリカでの批評は概ね好評でしたが「最高に美しい映画」と言われる一方「感傷が鼻にツク大袈裟な映画」という批評家のレビューもちらほら目にしました。【寓話】と【リアリティ】のバランスがうまく取れていないせいかもしれない、だから観る人によって感じ方が真っ二つに分かれてしまうのかもしれない、と私は感じました。

もしこの物語が完全に寓話に徹して、たとえばヴァージニア・ウルフ原作でティルダ・スウィントン主演の『オルランド』のように数世紀にも渡って生き続ける伝説の人が主人公だったとしたら・・・モリコーネの音楽、トルナトーレ監督の映像と相まって最高に美しいお話になったかもしれません。逆に「伝説」を信じたくなるようなリアリティに徹したのであれば、もっと1900の人物像をしっかり描きこむ必要があったかもしれません。いずれにしても、この作品はそれが中途半端なように思えました。

それとこれは個人的な話なのですが、私はティム・ロスという俳優さんが苦手なのです。
そのせいでこの物語に入り込めなかったという言い訳もあります。顔がいつも同じ"演技"をしているように見えるんです。それでちっとも感情移入ができないので、女性用船室に潜り込むシーンなどは気味悪ささえ感じました。ファンの方本当にスミマセン!(1900の生い立ちや性格、女性への初恋やその想いなど理解してあげられる描写ではありますが、でもちょっとあれだけは本当に勘弁してほしかった・・・笑)

だた、「俳優が苦手だから」という子供じみた理由でこの映画が好きじゃないのよね、という単純な話ではない気が自分の中で直観的にしたのです。もしこれだけの理由なら「好きじゃなかったですオシマイ」と言えるはずなのに、どうしてもトルナトーレ監督の作風が、私が昔から気になっている理由がどこかに隠れている気がしたのです。




私はしばらく考えていました。

以前からトルナトーレ監督が苦手だったこと、この映画が引っ掛かること、それはどうも出演俳優や物語のせいでもなさそうなこと。そうなってくると、やはり最後に残るのは「ジュゼッペ・トルナトーレ監督の性質」にかかってくるのだろうということ。

トルナトーレ監督は「イタリア人」と言われますが、それは大雑把なカテゴリーであり、やはり彼は出身地「シチリア」の血を濃く感じさせる何かがあります。一般的に言われる「明るい太陽」「人生を愛する陽気な人々」といった"陽"のイタリアのイメージは所謂「ナポリ人」の気質から来ているものですが、トルナトーレ監督の場合はその明るい太陽の中に潜む部分・・・侵略や破壊、異民族による支配など、まるでシチリアが辿ってきた残酷な運命のようなもの。イタリア映画の"暗部"に通じるところ。恐怖、挫折、憎しみや暗く深い死生観など、彼の映画に接すると私はそんな"暗さ"がいつも気になるのです。


1986:『“教授”と呼ばれた男』<未> (監督/脚本) 
1989:『ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版』(監督/脚本)  
1989:『ニュー・シネマ・パラダイス』 (監督/脚本)  
1990:『みんな元気』 (監督/脚本)  
1991:『夜ごとの夢/イタリア幻想譚』 (監督)
1994:『記憶の扉』 (監督/脚本)  
1995:『明日を夢見て』 (監督/脚本)  
1999:『海の上のピアニスト』 (監督/脚本)  
2000:『マレーナ』 (監督/脚本)  
2000:『トルナトーレのシシリアで見た夢』<未> (出演)  
2006:『マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶』 (出演)  
2006:『題名のない子守唄』 (2006) (監督/脚本)  
2009:『シチリア!シチリア!』 (監督/脚本)  






【中古】【DVD】【レンタル版】教授と呼ばれた男


それは、彼のフィルモグラフィを眺めていて気が付いたことでした。
彼は『ニュー・シネマ~』以前に初の長編映画デビュー作として、ナポリとその近郊を支配したマフィア、カモッラの首領の話である『教授と呼ばれた男(IL CAMORRISTA)』を撮っていたんですね。それで私は急いでレンタルしてきて確認したのですが・・・・観ていて本当に辛くなるほどの暴力の連鎖を描いた物語であり(これが実話に基づいているというから怖いのです)、そして凄惨なまでの描写でリンチや拷問、容赦のない痛々しいまでの復讐劇が繰り広げられるこのバイオレンス映画こそが、トルナトーレ監督の原点ではないのかと思ったのです。

誤解を恐れずに言えば、「あの『ニュー・シネマ~』を撮った人が『題名のない子守唄』のような映画を撮るなんて・・・」という、まるでトルナトーレ監督がヒューマンドラマの名手のように言われていること自体にずっと違和感を覚えてきた自分の感覚に、このことが真っ直ぐ繋がったのです。むしろ、その逆ではないのかと。彼の持つ、どこか攻撃的な部分はどこからきているのだろう、そう思いました。


ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 [ フィリップ・ノワレ ]


明日を夢見て [ セルジオ・カステリット ]


『ニュー・シネマ・パラダイス』同様【シチリア&映画への熱い思い】という「2点セット」を描いたという『明日を夢見て』は、レンタル店でも見つからず残念ながら未見状態なのですが、彼の映画製作において繰り返し現れるシチリアという舞台、そしてそれに込められるシチリア人たちへ想いは、彼がどれだけかの土地を愛しているのか(「愛」という言葉で足りるのかわかりませんが)、そのDNAによって強く深く刻み込まれたシチリアの血でトルナトーレ監督作品が隅々まで満たされていることには明らかなのでしょう。

彼の映画を読み解くヒントは、やはり「シチリア」でした。

そこで私は、2009年の『シチリア!シチリア!』でジュゼッペ・トルナトーレ監督が一体何を描いていたのか強烈に知りたくなりました

そこでまた私はずんがずんが200歩かけてレンタルしてきたわけですが・・・うーん、ここでなんと私はトルナトーレ監督の"変化"を感じ、生まれて初めて彼の作品にピピッとアンテナが動いてしまったのです。151分という長編、評価は祖国イタリアでも真っ二つ。それでも私は3回観て、全力で『シチリア!シチリア!』を擁護したい気持ちでいっぱいになりました。

というわけで、また長くなりそうですのでこの続きは『シチリア!シチリア!』 (2009/イタリア、フランス) ジュゼッペ・トルナトーレ監督についてあれこれ②で。

海の上のピアニスト@ぴあ映画生活




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  2011/09/23 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『サラバンド』 (2003/スウェーデン)

   ↑  2011/09/16 (金)  カテゴリー: シリアス、社会派







サラバンド [DVD]


●原題:SARABAND
●監督:イングマール・ベルイマン
●出演:リヴ・ウルマン、エルランド・ヨセフソン、ボリエ・アールステット、ユーリア・ダフヴェニウス、グンネル・フレッド 他
●巨匠イングマール・ベルイマン監督が1974年に制作したTVドラマ「ある結婚の風景」の続編。弁護士のマリアンは30年以上前に別れた元夫のヨハンを訪ねる。ヨハンは田舎に隠棲していたが、彼とそりの合わない息子のヘンリックとヘンリックの娘カーリンが数ヶ月前から近くのコテージに滞在していた。二年前に妻アンナを癌でなくして以来、ヘンリックはカーリンを妻の代わりに愛情で縛り付け、彼女をチェロのソリストとして育てようとしていた。一方カーリンは、父の押し付けがましい愛情に反発しつつも音楽家として自立することや父を置き去りにしていくことへの不安を抱いていた。そんな彼らの葛藤や愛憎が、マリアンの前で繰り広げられていくのだった。

シネフィルイマジカによる公式サイトはこちらから




『ある結婚の風景』 (1974/スウェーデン)から19年。
笑顔がまったく変わらないマリアンがカメラに向かって話し掛けるプロローグ。若かりし頃の"元夫婦"の写真が山のように見え、あのドラマの紆余曲折を知っている視聴者なら思わず惹き込まれる滑り出しです。

ベルイマン作品で見かける"個人的な打ち明け話"を画面越しに語りかけてくるこの親密さは、まるで懐かしい知り合いに言葉をかけられたかのよう。マリアンは63歳。ヨハンは86歳。実際に過ぎ去ったその実物大の年月の流れが、物語の時間を自然に感じさせてくれます。



この画像、ドラマ版をご覧になった方なら何か見覚えありませんか?

『ある結婚の風景』最終話で、心を許して本音で語り合えるようになった二人の背後に掛かっていたオブジェです。実は、これとソックリの代物が『サラバンド』にも登場するのです。ヨハンの息子ヘンリックの娘(つまりヨハンの孫)カーリンとマリアンが、女同士意気投合してお酒を飲みながら語り合うシーンに、一瞬ですが見ることが出来ます。ちょっとした遊び心なのでしょうか。打ち解けあう二人の人物の後ろで、また目にすることが出来ました。





この物語は、4人の登場人物のうち"2人"による会話で進められていくシンプルな構成をとっています。が、限られた空間内で限られた人物に起こる出来事なだけに、その密度の濃さは圧迫感となり観る者までもを追い詰めていきます。

 

 
"家族"という近い間柄が、狭過ぎる人間関係の中で息苦しいほどの束縛を生み、次第に異常性を加速させていく様は下手なホラー映画よりもずっと恐ろしいものです。飛び立とうとする娘を前に絶望する父ヘンリック。彼とその父ヨハンとの壮絶な愛憎劇が重なることにより、彼の精神状態が次第に崩れ落ちていく辺りから物語の緊張感は危うさを増し、限界点を迎えます。イングマール・ベルイマンは容赦のない描写で人間の凶暴性、悪魔性をじりじりと炙り出していくのです。



そのような中、気になったのは写真でしか登場しないヘンリックの亡き妻「アンナ」の存在でした。彼女の存在感こそが『サラバンド』をベルイマン作品として非常に特徴的、象徴的なものにしていると感じるのです。

アンナは「不在」という強固な存在感によって、ある意味生き残っている家族を抜き差しならない関係に陥らせています。生前の彼女は夫の精神的支えとなり、娘を愛し、義父ヨハンとのバランスも維持してきましたが、彼女の存在が欠けることを皆が危惧したように、アンナ自身も"それ"を恐れていました。実際その通りになった時、彼らは生きているにも関わらず、死者の存在に対して癒しや救いを得ようと未だ求め続けているのです。

それはまるで、牧師の子でありながらベルイマンが生涯自問し続けた「神の不在」のように。

宗教に対してまったく拘りのない私からすれば、救いや癒し、導きとなるはずの"宗教"がどうして罪悪感に苛まされる存在となってしまうのか?どうして自分自身を苦しめるもととなってしまうのか?それはもう私には到底理解できるはずもないのですが、ベルイマンのこの苦しみは常に彼の映画に付きまとう影のようなものでした。答えはもうそこにはないのに「"不在"の存在」にすがろうとする人たちのように・・・・。






一対一の距離感しか持たない男性2人とは異なり、マリアンは神と向き合い、恐怖と孤独を抱え赦しを求めていたヨハンを救い、そして最後には自分の娘と心を触れ合わせることを果たします。

ベルイマン作品は、彼の宗教観や社会観が「芸術」として強く打ち出される強烈で独特なものが多く、生きる苦しみや信仰や神に対する畏れなど重いテーマを掲げてきたものが多くありましたが、この『サラバンド』は、それまでの(やや自伝的な)苦悩から一歩解き放たれた安堵感や赦しを最終的に見てとることが出来る作品となりました。

この映画は、日常的な「家族」「結婚」などをテーマとしたドラマ版をモチーフとし、更にこれまでの映画と共通する壮絶な人間関係の中に生まれる希望や幸福、絶望や失意といった人生観や精神論を凄味のある描写で展開していくことに変わりはありません。しかし、数々の女性遍歴を持つベルイマンの公私に渡るパートナーとして長きに渡り共に映画制作を行ってきた女優リヴ・ウルマンの言葉で始まり、彼女演じるマリアンの目を通して語られる作品であること・・・つまり、ウルマンの口から語られた物語だからこそ、この作品には意味がもたらされたのだと思うのです。

リヴ・ウルマンは『秋のソナタ』を「あれは男性の視点で描かれている作品なのよ。母親の罪の意識を男性が脚本にして映画にしたものよ」とさらりと言ってのけた女優(『想い出のイングリッド・バーグマン』より)なのです。彼女は、ベルイマン監督が作り出す作品をまるごと受け止めていました。『サラバンド』で彼女がヨハンを受け止めたことは、ベルイマン自身を抱き締めたことと同じなのでしょう。ベルイマン監督が妻イングリッドへと捧げ「遺作」として発表したこの作品には、神の沈黙がもたらす苦しみとともに、彼を安らぎへと導いているものも垣間見える気がしてなりませんでした。この作品は、ベルイマンが作るべく完成した"最終到達点"だったのでしょう。






■追記
【レビューを書けないままの映画・・・(テオ・アンゲロプロス監督)】という記事を前回書いたのですが、この映画もまた『ある結婚の風景』(TV放映版)を今年の1月に観て以来ずっと書くことができず、今回やっと言葉に出して完成したレビューとなりました。

ベルイマン [ 小松弘 ]


以前からイングマール・ベルイマン監督について知りたいと思っており、2月に上記の書籍「ベルイマン」や、『秋のソナタ』で主演したイングリッド・バーグマンの自伝などを読んだりしていたのですが、3月11日の大震災によりそんな映画寄りの気持ちも吹き飛んでしまいました。

が、少しずつですが生活にリズムが戻ってきたこと、そして、どうやら来年は記事を更新できる時間がグッと減る可能性が大きくなりそうなので、今後は出来る限りこのブログでやり残していることを片づけてしまおう!と思っています。まだまだ観たい映画、書いてみたい映画作品が数多くあって、本当に時間って足りないものだなぁとこんなところで痛感しております。まいったなー!


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  2011/09/16 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

レビューを書けないままの映画・・・(テオ・アンゲロプロス監督『エレニの旅』『シテール島への船出』)

   ↑  2011/09/12 (月)  カテゴリー: シリアス、社会派
私はいつも映画のレビューを書く際、作品の感想をなるべく思ったままに書こうと思っていますが、観たのだけれどもレビューを書いていない作品というのも幾つかあります。ま、大抵は「(良し悪しは別にして)自分の中に大きく残るものを感じられなかった・・・」と思うケースがほとんどなのですが・・・

ところが今年も後半戦に入って暫く経ちますが、何一つ言葉が見つからず半年以上何も言えないままでいる作品が二つ残っているのです。ギリシャ出身のテオ・アンゲロプロス監督作品です。どうしてもどうしても書いておきたい映画作品なのに、レビューを書くための言葉が見つからず、映画を観た感情の表現方法が全く見つからなかったのです。


テオ・アンゲロプロス監督インタビュー 毎日新聞8月
そんな矢先、アンゲロプロス監督のインタビュー記事を新聞で目にしました。

御年76歳になられるこの巨匠は、激動のギリシャにおいてすでに次回作に取り掛かっているというではないですか。あぁこんなところで立ち止まっている間に、私は監督にも時代にも取り残されていく~!と強く思いまして・・・思いついたのは「"レビューを書くことが出来ない"というレビューを残しておこう!」という方法でした。情けない話ですが、今の私にはこのくらいのコトでしか表現出来そうにありません。




今回はレビューが書けないなりに、アンゲロプロス監督の主なフィルモグラフィと監督の作風、それと映画感想メモだけをまとめておこうと思ます。

【テオ・アンゲロプロス映画祭】
※写真は【テオ・アンゲロプロス映画祭】サイトより

【現代史三部作】『1936年の日々』『旅芸人の記録』『狩人』
第二次世界大戦を挟んだギリシアの歴史を描いたもの。トルコからの侵略、ナチスの侵攻、イギリスの進出と圧政、そして大戦後の左右両派による内戦と右派軍事独裁体制、という複雑な歴史を描き、共産主義を一つの理想と捉えた"ユートピア思想"的なもの。

【国境三部作】『シテール島への船出』『こうのとり、たちずさんで』『ユリシーズの瞳』
世界的な共産主義の退潮と独裁体制の崩壊に伴い「20世紀最大の理想の一つである共産主義」に別れを告げ、「国境」に視点を移す。

【20世紀三部作】『エレニの旅』『第三の翼』(日本未公開)
20世紀を通して描く1本の長編『トリロジア』の上映時間が膨大になりすぎるため、3部作として製作されることとなったのが本三部作。第三部は『今日か明日』となる予定であり、「3つの大陸、7つの国(トスカーナ、ウズベキスタン、ベルリン、ニューヨークなど)にまたがる映画となる」とのこと(「エレニの旅」テオ・アンゲロプロス監督来日記者会見【FUN!FUN!MOVIE】より)

【作風】
長大な長回しが話題にされる。彼の真骨頂は、思想を如何にして映画表現として実現するかと挑戦し続けていることにある。彼の特徴的な、長回し、同一シークエンス(カット)内における時間の転移、人物のストップモーション的な利用、360度パン、クローズアップの不使用、などは、彼のその挑戦と大きく結びつく。

(中略)テーマ、表現手段(手法)共に峻厳である余り難解さや退屈さを指摘されることも少なくない。だが、映画に対する挑戦意識と到達した地点は、現存する中ではもっとも高い作家の一人である。

ギリシャでは、しばしば「子供が寝付かないで困るときはアンゲロプロスを見せろ」と言う。長回し、少ない台詞などに関して言われる冗談である。
wikipedia[テオ・アンゲロプロス]より一部抜粋


1970年代に制作された【現代史三部作】は未見なのですが、1980~90年代の【国境三部作】のうち『こうのとり、たちずさんで』だけは大好きなマルチェロ・マストロヤンニの出演作品を追っていて鑑賞したことがありました。民族紛争の絶えないバルカン半島における"国境"をテーマにした作品です。

そしてちょうどその頃、やはり同じバルカン半島のマケドニアを舞台とした『ビフォア・ザ・レイン』(1994/マケドニア、フランス、イギリス)という、戦争による悲劇をまるでメヴィウスの輪のように時空を超えたプロットで描いた作品を観て強い衝撃を受けたこともあり、学生なりに深く考えさせられた思い出の作品でもあります。

【VHS】キング・オブ・フィルム 巨匠たちの60秒 [KINGS OF FILMS]【字幕】■(1995) 未公開■


それからこれは私の宝物のような映画なのですが『キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒』という作品にもアンゲロプロス監督は出演されています。その名の通り、泣く子も黙る映画界の巨匠たち40名による驚くべき夢の短編映画集なのですが、ここでも監督は独特の映像美で「オデュッセイア」の一文"奇妙な島に流れ着いたものだ"を52秒で描き込んでいます。

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それでは以下に、今年鑑賞してまったく言葉にならなかった作品2つのメモを、未完成ながら正直にそのまま書き記しておこうと思います。




『エレニの旅』(2004年/フランス、ギリシャ、イタリア)





【Blu-ray】エレニの旅(Blu-ray Disc)/アレクサンドラ・アイディニ [KKBS-34] アレクサンドラ・アイデイニ


●原題:Τριλογία 1: Το Λιβάδι που δακρύζει/ TRILOGIA I: TO LIVADI POU DAKRYZEI
●出演:アレクサンドラ・アイディニ、ニコス・プルサディニス、ヴァシリス・コロヴォス、ヨルゴス・アルメニス、エヴァ・コタマニドゥ 他
●1919年から30年間のギリシャの歴史を、ヒロイン、エレニの人生に重ねた、巨匠テオ・アンゲロプロスの一大叙事詩。ロシア革命によってオデッサを追われたギリシャ人難民のなかに、孤児のエレニがいた。彼女は、引き取られた家の息子アレクシスと結ばれ、双子を出産。しかしアレクシスの父がエレニを妻にしようとし、エレニとアレクシスは過酷な運命に翻弄されていく・・・。


【20世紀三部作】の第一作目
構想2年、撮影2年、上映時間2時間50分。ギリシャ現代史を一枚の絵巻物に仕上げたような悲しく美しい映画。20世紀における一人の女性の運命と愛情の物語を、遥か遠い国の遠い歴史かと思いきや、徐々に第二次世界大戦、アメリカ軍の沖縄上陸、と確実に私の近くにも忍び寄ってくるのを感じる。

長回し1ショットの映像は動かぬ一枚の絵画のようでもあり、生活の一部を切り取ったかのようなリアルさもあり、本当に本当にため息の出るような素晴らしさだった。映像が、ただただ胸に染み入ってくるようだった。これが本当に「映画」なのか。戦争の歴史に翻弄されるエレニの健気な強さも、最後の絶叫には引き裂かれる思いがした。

≪これほどにも完璧に、あふれる情熱で、リアルで叙情的な映画をつくる作家はいない≫
【イタリア、スタンパ紙】


≪デジタルとコンピューターの時代にアンゲロプロスは映画の原型をうちだした≫
【ドイツ、ディー・ウェルト誌】


※イントロダクションやスト-リーの詳細・解説は「エレニの旅」日本公式サイト





『シテール島への船出』(1983年/ギリシャ、イタリア)



シテール島への船出(Blu-ray Disc)/アキス・カレグリス【RCP】


●原題:Ταξίδι στα Κύθηρα / TAXIDI STA KITHIRA / VOYAGE TO CYTHERA
●出演:ジュリオ・ブロージ、ヨルゴス・ネゾス、マノス・カトラキス、ドーラ・バラナキ 他
●『シテール島への船出』を準備している映画監督の身辺を「現実」と「映画中映画」の二重構造で描く。現代の都会。朝、映画監督のアレクサンドロスは撮影所に向かう。おりから、彼の作品の主役になる俳優のオーディションが行なわれているが、彼の気に入る者はいない。そんな矢先、ラヴェンダーの花を売る老人を見かけたアレクサンドロスは「この老人こそイメージに描く老俳優だ」と直感し、老人を追って地下鉄に乗り港へ行く。埠頭まで追ったところで彼は老人を見失ってしまう・・・。同じ場面のまま映画中映画になり、彼は妹と二人で、32年前にロシアに亡命した父の帰国を待っている・・・。





【国境三部作】の第一作目
言葉が見つからない。言葉を失う、とはこのことかもしれない。
「エゴイメ(私だ)」というセリフが繰り返される中で、現実が徐々にシンクロするように劇中劇と交錯するシーンに眩暈のような感覚を覚えた。芸術的な美しさに圧倒されているというのも勿論あるのだけれど、かつて家族を捨ててまでソ連へと亡命した父を迎える家族の姿。皆年老いて、希望もなく、何もない世界に取り残されたような孤独を抱きながらも、再会した妻が寄り添う想いは・・・。

ただ静かに、静かに進む物語のラストシーンの美しさは、幻想的であり、切なさ、遣り切れなさが残る。このシーンだけあれば他に何もいらないと思えるほど、これほど心に焼き付く映画のワンシーンを私は観たことがないかもしれない。


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  2011/09/12 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『バス停留所』 (1956/アメリカ)

   ↑  2011/09/03 (土)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ




バス停留所 [ マリリン・モンロー ]


●原題:BUS STOP
●監督:ジョシュア・ローガン
●出演:マリリン・モンロー、ドン・マレー、アーサー・オコンネル、ベティ・フィールド、アイリーン・ヘッカート 他
●モンタナの牧場で生まれ育った世間知らずのカウボーイ青年ボーは、ロデオ大会に参加するために付き添いのヴァージルとともに、アリゾナ州フェニックスにやってくる。生まれて初めて都会にやって来たボーにヴァージルは「女を作れ」と言う。「女を探すなら“天使"を探す」と張りるボーは、酒場の歌手チェリーに一目惚れ、強引に結婚を決めてしまう。嫌がる言葉に全く耳を貸さない傍若無人なボーを恐れたチェリーは慌てて逃げ出すのだったが・・・。劇作家ウィリアム・インジの舞台劇を原作とするマリリン・モンロー主演の映画。






マリリン・モンローといえば、映画を観ないという人や古い映画は観たことありませんという人でも、一度は絶対に目にしたことがあるだろう"超"有名な女優さんです。が、そうやって知っているつもりでも、実際に映像で動いているモンローを映画でちゃんと観た時には、強い衝撃を受けたものです。あれほど柔らかな身のこなし、立ち振る舞い、甘やかな声や眼差しを持った女性がこの世に存在していたなんて!

常に「セックスシンボル」としてのイメージが付きまとい、そこから脱したかったマリリン・モンローが「演技」を学ぶため、ニューヨークのアクターズ・スタジオでレッスンを受けて舞台を経験した後、ハリウッドへ復帰した第一作がこの『バス停留所』でした。


うーん、しかし。
ドン・マレー演じるモンタナの"田舎者"カウボーイのキャラクター設定は、今の時代では考えられない粗暴さ(一応、朴訥ということなんでしょうが)で、この全く奥行きを感じられない男性目線からの「か弱くて優しい性格の美女」というマリリン ・モンローがまるで"モノ扱い"のようにも見えてしまい、モンローが過剰なまでに品を作りキメの色っぽいポーズをとるシーンなど、なんだか可哀想に思えるほどでした。

個人的に言ってしまえば、呑気に「牧歌的だねぇ~」とは思えず、これはもう感情移入といった気持ちが入り込む余地などまったくありませんでした。1950年代というまだまだ保守的な時代だったとはいえ、当時はこれが普通に受け入れられていたのでしょうかねぇ・・・。もし、今の時代にこんな映画を作ってしまったら(投げ縄で女を捕まえようとするシーンなんて特に!)、きっとフェミニスト議員連盟なんかが黙っちゃいないでしょうね(笑)。時代の流れや物事への考え方、価値観などは、本当に数年であっと言う間に変化してしまうものですね。



ただ一方で、この翌年の『王子と踊り子』でもそうだったのだけれど、モンローのうっとりするような、あのとろけそうな魅力には、同性の私から見ても参ってしまうものがあります。

マリリン・モンローは、儚げで少女のように無垢でなオーラを持ちつつ、この世の男性すべてを虜に出来るほどのグラマラスさで「アメリカでも最もセクシーと言われた」女優さんでしたが、彼女の本当の魅力はそんなセクシャルなことよりも、彼女がスクリーンの中で放つあの独特の間の取り方にすべてを包み込んでくれるような安堵感や、母性的な温かさを私は強く感じるのです。

『パルプ・フィクション』の中でもファビアン(マリア・デ・メディロス)がブッチ(ブルース・ウィリス)に言っていたじゃないですか。「女の子のお腹がふっくら丸いとセクシーに見えない?」と。マリリン・モンローのちょっと膨らんだお腹や、豊かな腰回りとお尻といったボディラインは、セクシーであると同時にどこか「母性」を感じさせるものがあります。

人一倍、愛を求めて苦しんだと言われる彼女でしたが、マリリン・モンローの魅力は今もなおスクリーンの中で燦然と輝き、観る者の心を魅了し続けているのは確かです。いつの時代に観ても、彼女は柔らかく輝く光のように見えるのです。

バス停留所 @映画生活




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  2011/09/03 | Comment (0) | Trackback (2) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit