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『TIME CRIMES タイム クライムス』 (2007/スペイン)

   ↑  2013/01/28 (月)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー





TIME CRIMES [ カラ・エレハルデ ]


●原題:LOS CRONOCRIMENES / TIMECRIMES
●脚本、監督、出演:ナチョ・ビガロンド(イグナシオ・ヴィガロンド)
●出演:カラ・エレハルデ、カンデラ・フェルナンデス、バルバラ・ゴエナガ、フアン・インシアルテ
●森の中の一軒家に引っ越してきたエクトルは、ある日気を失っている裸の少女を見つける。その時、突如現れた謎の男に襲われた彼はある施設に辿り着くが、そこで“1時間前の世界”にタイムトラベルしてしまう。人類初のタイムトラベラーとなった現在の“エクトル2”が生き残るためには、タイムトラベル前の“エクトル1”との干渉を避けながら、その行動を正しく補完しなければならない。だがその一連の行動が、稀代の殺人事件を巻き起こすことに・・・。






登場人物はたったの4人(ま、厳密に言えば演じているのは総勢5人)
そのうち研究員の役には監督自ら出演!(↑画像右側)

内容はタイムパラドックスを扱ったSFもの、でも撮影は森の近くの邸宅二つだけ・・・という、いかにも「アイディアがあれば面白い映画を撮れるんだ!!」というアツイ思いがジンジン伝わってくる、なんだかちょっと映画好きの人間にとっては見過ごせない作品でした。


ま、色々気になる点は多いんですよ。


主人公の行動はおバカすぎだし、流れも不自然過ぎるし、なにしろ包帯も巻きすぎだし(笑)!

「おっさん、もうちょっと落ち着いてくれよ~」とか「なんでわざわざ怪しすぎるようなコートを着込むんだよー」とか「え、一目散に走って逃げるのかー!」とか (←未見の方には意味不明で申し訳ないデス)

よく言えば、バンバン伏線を回収していく大胆で勇気ある構成力。都合よくガンガン進んでいくスピード感のある力技。これらがこの映画の魅力なのかもしれません。



スケベなおっさんの無駄にエネルギッシュな行動力というのがこの映画の悲劇の発端なんですが、この笑っていいのか真面目なのかよく分からないホラー&サスペンスのテイストを熟知なさった監督のセンス、素晴らしいと思います(ま、ラストはやや憂鬱にはなるんですけどね・・・)





因みにナチョ・ビガロンド監督はもともと幼少期からSF愛好家で、これまでずっとSF映画を作ることが夢だったのだそう。しかしスペインではまだまだSF分野の歴史が浅く、ドラマやコメディを制作する方が簡単なこともあって、業界の人々を説得することも難しかった・・・・のですが、2003年にビガロンド監督が制作した『7:35 in the Morning(7:35 de la Mañana)』というショートフィルムが、なんと2004年度の【アカデミー短編映画賞】にノミネートされたことによってスペインでも知名度がアップ。そこで「将来長編映画を撮るチャンスが出来たら絶対SF映画を作ろう!!」と決意し、そこから出来上がったのがこの『TIME CRIMES タイム クライムス』だったというわけです。

スペインのインタビューではこの作品について「SF、ホラー、スリラー、いくつかのコメディとエロティックのジャンルを交差させ、観客を驚かせるため88分間それらを持続させているんだ」と答えていました。お気に入りはダリオ・アルジェントであったり、或いはブライアン・デ・パルマ監督の『ボディ・ダブル』ヒッチコック作品だとか。

ものすごーく筋が通っていますね!(笑)






そして最も興味深かったのが、敬愛するというデヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』からの影響について。

『セブン』は、確かに"90年代の映画"としてよく知られているけれど、あの映画の戦略は、例えば『フレンチ・コネクション』のような70年代の映画のようにも見せていたことだった。『Timecrimes』は、特定の年代を感じさせるようには作らなかったんだ。50年後に誰かがこの映画を見たとして、観る人に「これは一体いつの時代の映画なんだろう?」と混乱してもらいたい。この映画では現代的な要素もあるし、同時に70年代や80年代の「ドクター・フー」のようにも感じる部分もある。『セブン』での不穏な要素には現代的な感じがしないでしょう。

そう!確かに私も「あのマシーンのレトロさは何なんだろう!?」と思いましたもん。そうか、狙いどおりだったわけだ(笑)。


※上記インタビュー記事の原文はコチラから
【Electric Sheep】
TIMECRIMES: INTERVIEW WITH NACHO VIGALONDO (2 May, 2009)
【Cineando】
Nacho Vigalondo: “La principal vocación de Los Cronocrímenes es sorprender al espectador” (28 junio, 2008 )








いろいろ突っ込みながら楽しく鑑賞させていただきました。ハリウッドでのリメイクのお話もまだ立ち消えにはなっていない様子。ハリウッドに渡ったら、あのスケベなおっさんのアグレッシブさがどのように演じられるのか!?ラストの後味の悪さは感動ものに変わるのか!?はたまた彼は凄いヒーローになってしまうのか!?・・・うーん、これはなかなか興味深いです。



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  2013/01/28 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

2013年ブログはじめ

   ↑  2013/01/18 (金)  カテゴリー: 雑記φ(..)
2013年もすでにスタートして1月半ばまできてしまいました。まもなく、一年のうちでも最も寒さが厳しいといわれる"大寒"の時期になってしまいますねー。


えー、今年も雪だるまを作ってみました。
「スノーマン」ではなくて「ゆきだるま」です。



今年の冬休みは・・・
年始にこどもと公園に遊びに行ったら、なんと氷の張った池に落ちてしまった同年代くらいの親子さんを発見し、全力で救出して参りました。というかこっちが死ぬかと思った!(笑)それと、以前お世話になっていたイタリア人の先生が突然日本にやって来たので、川崎大師に案内したらわたくしが大風邪をひいてしまいました。。。それから、年末年始にかけては当ブログの内部改革を行ったり。






そういえば最近、過去記事の映画レビューを転載し直していたのですが、普段ですらちゃんとしたレビューを書いていない私があまりに酷い自分の過去の感想文を読んで"恥ずかしい"の感情を通り越して涙が出て参りましたよ。。。ホント、あまりにひどすぎて!! それで転載するだけでも大変な作業なんですが「こんな機会はめったにないだろう!」ということで、逆にこれをチャンスとして【映画再見】→【再レビュー】→【新規投稿】することに決めました。2008年より前に書いた記事は全滅ですが、時間をかけてまた書いていきたいと思います。

そんなわけで、今年もスタートです。どうぞ宜しくお願いいたします♪


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  2013/01/18 | Comment (4) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『アフリカの女王』 (1951/イギリス)

   ↑  2013/01/18 (金)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ
AfricanQueen.jpg



アフリカの女王 [ ハンフリー・ボガート ]


●原題:THE AFRICAN QUEEN
●監督:ジョン・ヒューストン
●出演:ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘプバーン、ロバート・モーレイ、ピーター・ブル 他
●1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が起った頃、アフリカのドイツ領コンゴでは、ドイツ軍が村の掠奪を行い、宣教師はそのショックで死んでしまった。彼の妹ローズは天涯孤独の身となってしまったが、村々に食糧や郵便をくばる川蒸気船「アフリカの女王」号を操るチャーりーという男が船にのせてくれることに。しかし、彼らの行く手には激流や大瀑布、そしてドイツの戦艦が待ち受けていた・・・!




『アフリカの女王』という映画のタイトルを聞いて絶対に思い出すのが、カンカンに頭にきたヘプバーンが酒瓶からドボドボとジンを流してしまうシーンと、意気投合し始めたお二人が熱烈にキスするシーン。

一般的にボガートは「煙草の煙」「襟を立てたトレンチコート」「不敵な笑み」といったハードボイルド映画によるイメージが大きいわけですが、でも絶対に彼はこの作品のような、人間味丸出しのモジモジ&ニタニタしたおっちゃん役が似合っている!!と私は思うのです。私は、この映画のボロボロよたよたで人間味温かなボガートが一番好き。




この映画は、この作品自体のことよりも、撮影途中にジョン・ヒューストン監督が象狩りに夢中になってしまってスタッフみんなが焦りまくったという逸話(『ホワイトハンター ブラックハート』でクリント・イーストウッドが監督・製作・出演して描いている)や、ボガートの酔っ払い振りは演技じゃなくて本当に飲んだくれていたんだ、というようなエピソードの方が有名すぎるんですよね。そして、この作品は当時アメリカを吹き荒れていた"赤狩り"の窮屈さから飛び出し、本物の自由と闘った彼らのパワーがあります。


学生時代に図書館で一気に読んだ『「アフリカの女王」とわたし』。キャサリン・ヘプバーンが記したこの著書が本当に面白かったのです。この内容については、ぜひまたこのブログでも書いてみたいなぁ。この映画は、映画製作に携わる人々の情熱やバイタリティに満ち溢れているのですから。

アフリカの女王@映画生活






■追記:2013年1月
え~、突然ですが、毎年行っている「健康診断」に先日行って参りまして。
待っている時間には、毎年のことなので本を一冊携えていくのですが、今年はこの「『アフリカの女王』とわたし」を持っていきました。読んでいたら映画のことも懐かしくなって、この映画またまた再見してみました。



お堅い女性宣教師と飲んだくれの船長が、二人でアフリカのジャングルの中を流れる川をナチスドイツの攻撃をかわしながら蒸気船で下る!という、いわばこの映画は冒険アクション&ロマンティックコメディ。首元までキッチリ服を着込む女性が過酷な環境の中で次第にオープンになり、やがては熱烈な恋をしてしまうというその過程が、ほぼ全編泥だらけ&汗まみれにもかかわらず、キャサリン・ヘプバーンの茶目っ気のある演技によって輝いて見えます。


映画『アフリカの女王』のほとんどのシーンは、当時はまだベルギー領だったコンゴとウガンダで撮影されました。
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8週間にも及ぶこのアフリカ奥地での撮影は「『アフリカの女王』とわたし」を読まずとも、1951年という時代のことを考えればその大混乱ぶりは難なく想像できてしまうところですが、製作時のクルーたちの年齢も凄いんです。彼らの年齢やステータスを考えると、そのバイタリティに敬服してしまいます。

●監督:ジョン・ヒューストン 45歳
●製作者:サム・スピーゲル 48歳
●主演:ハンフリー・ボガート 52歳
●主演:キャサリン・ヘプバーン 45歳

≪私はなにも、その土地の動植物をテクニカラーで撮りたくてアフリカまで出かけたわけではない。ある種の環境におかれた俳優たちがある種の生活を体験すると、それがかならず彼らの演技に表れてくるのだ。そこにさまざまな困難がともなうというまでもないが、映画ができあがってみると、その困難が役柄を豊かにしていることはとてもよくわかる≫アフリカで撮影した理由を問われてヒューストンはこう語っている。
「アフリカの女王」とわたし 訳者あとがき(p.229)



そして、これと同時に『アフリカの女王』という映画を思う時に無視できないのは、当時のアメリカ社会を覆っていた重く暗い影・・・「赤狩り」についてです。以下は2010年11月30日 NHK-BShiで放映された『永遠のヒロイン その愛と素顔(第2回)私が愛される理由 ~キャサリン・ヘップバーン~』という番組から、『アフリカの女王』製作当時についての内容です。少し長くなりますが抜粋してみます。

第二次世界大戦後の米ソ対立の最中、マッカーシー率いる「非米活動委員会」がハリウッドに思想調査に入り、政府の方針に批判的な映画製作者の洗い出しを始めたのです。キャサリンが共に映画を作っていた監督や脚本家が次々と非愛国的思想の持ち主として名指しされ、仕事が続けられない状況に陥りました。政府は、調査に反対する俳優に対するの圧力を強め、次第にハリウッド全体に自由な言論が許されない状況になっていきました。


そんな中、言論の自由を求める有名俳優を中心とした【言論自由の会】が組織され、ハンフリー・ボガートやローレン・バコールらとともにキャサリンも名を連ねました。

非愛国者のブラックリストにキャサリンの名も挙げられ、彼女の映画を上映しないという映画館も現れました。次第に仕事もやりづらくなっていく彼女の窮地を救おうと、スペンサー・トレイシーは映画の企画を準備していました。愛国心とは何か?を問いかける作品でした。スペンサーが演じたのは、選挙キャンペーンにあけくれる大統領候補。キャサリンは、彼に本当の愛国心を気付かせる妻の役でした。
(フランク・キャプラ監督:1948年『愛の立候補宣言』)

しかし、キャサリンへの逆風はおさまりませんでした。

1950年。彼女はアフリカにいました。【言論自由の会】の仲間たちとともにハリウッドを飛び出し、前例のないアフリカ長期ロケに挑んだのです。不当な侵略と闘うために命がけでアフリカの川を下る女性宣教師の姿は、アメリカで自由を求め孤高を貫くキャサリンの姿と重なり、多くの共感を呼びました。


この解説にあるとおり『アフリカの女王』とマッカーシズムの影響とを切り離すことはできないでしょう。しかし、不思議なことにキャサリン・ヘプバーンは『「アフリカの女王」とわたし』の中で"マッカーシズムへの反発"については何一つ触れていないのです。ハリウッドでの映画製作が危うくなりかけていたことも、自身が"非愛国者ブラックリスト"に名を連ねられていたことも。


Bacall, Bogie, and Hepburn fly to Africa

私は「『アフリカの女王』とわたし」を再読しながら、そして再度この映画を観ながらとても強く感じたことがあります。ヘプバーンは赤狩りの影響によってハリウッドの友人たちや自分自身までもが窮地に立たされたことも、逆風に晒されていたことも、それらを何一つ理由にはせず、そんなハリウッドからは飛び出してどんな圧力からも邪魔されず、やりたいこと、好きな事を大胆不敵にもやってのけたという、漲る自信とこの作品に携わったことへの誇りとを。


目標を定め、臆することなくドイツ軍艦に立ち向かっていった映画の中のの堂々たる彼女の姿が、それを証明しているかのようです。





ハリウッドに吹き荒れたマッカーシズムについてのメモ

ハリウッド・ブラックリスト(Hollywood Blacklist)
1940年代後半から1950年代中ごろ、マッカーシズムによる赤狩り旋風が吹き荒れる中、その中心的機関であった非米活動調査委員会(House Un-American Activities Committee:HUAC)が取調べを行なうため、ハリウッドを中心とする娯楽産業で活躍していた映画監督、脚本家や映画俳優などの芸能人の中で人生のある時期に共産党と関連があったとして列挙した人物のこと。


ハリウッド・テン(Hollywood Ten)
HUACの召還や証言を拒否して議会侮辱罪で有罪判決を受けた主要な10人。
アルヴァ・ベッシー (脚本家)
ハーバート・ビーバーマン (映画監督・脚本家)
レスター・コール (脚本家)
エドワード・ドミトリク (映画監督)
リング・ラードナー・ジュニア (ジャーナリスト・脚本家)
ジョン・ハワード・ローソン (作家・脚本家)
アルバート・マルツ (作家・脚本家)
サミュエル・オーニッツ (脚本家)
エイドリアン・スコット (脚本家・プロデューサー)
ダルトン・トランボ (脚本家・映画監督)


言論自由の会(The Committee for the First Amendment:憲法修正第一条のための会)
アメリカ合衆国憲法修正第1条(the First Amendment)では「言論の自由・表現の自由」が保障されている。ハリウッド・テンの彼らにその権利と保護を与えるべきと、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール、ウィリアム・ワイラー、ジョン・ヒューストン、ジーン・ケリーなどによって形成された。HUAC公聴会で抗議するためワシントンを訪れた。


Frame By Frame: Hollywood Blacklisting

University of Nebraska-Lincoln(ネブラスカ大学リンカーン校)の映画学 Wheeler Winston Dixon教授による、ハリウッドのブラックリストの原因と影響についての解説。
※英語字幕が付いているのでリスニングに弱い私でも大丈夫だった!!(笑)


『我が家の楽園』 (1938/アメリカ)
  『我が家の楽園』 (1938/アメリカ)
イタリア移民として映画界で成功を収めたフランク・キャプラ監督は、第二次世界大戦中は米国陸軍通信部隊として従軍し、プロパガンダ映画『我々はなぜ戦うのか(Why We Fight)』シリーズ等を製作し愛国心を示す。しかし赤狩り旋風時には非米活動調査委員会から容共的人物とみなされ、戦後の映画製作活動は失速していく。1948年の『愛の立候補宣言』で主演したキャサリン・ヘプバーンの言葉が印象深い。
「彼は本物の"古き良きアメリカ人"でした。特定の支持政党を持たない、フェアな人間であり、自由を愛する人でした。アメリカ生まれの私たちには当然のことでも、移民の彼にはその真の価値がわかっていたのでしょう。彼の政治的信条は、言うなれば"アメリカに住む喜び"だったのです。」「素晴らしき哉、フランク・キャプラ」第6章「赤狩り」より引用 /集英社新書 井上篤夫・著


『グッドナイト&グッドラック』 (2005/アメリカ)
  『グッドナイト&グッドラック』 (2005/アメリカ)
アメリカ中のあらゆるマスコミが、自分自身が赤狩りの標的になることを恐れてマッカーシーに対する批判を控えていた時代。人気キャスターのエドワード・R・マローは自らがホストをつとめるCBSの番組「See it Now」で、言葉だけを武器に「共産主義の脅威と戦い自由を守る」との言葉を盾にして強引かつ違法な手法で個人攻撃を行うマッカーシーのやり方を公然と批判し、赤狩りによって社会に蔓延した"恐怖"へと立ち向かっていった。




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  2013/01/18 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『サハラ戦車隊』 (1943/アメリカ)

   ↑  2013/01/18 (金)  カテゴリー: アクション、パニック





サハラ戦車隊 [ ハンフリー・ボガート ]


●原題:SAHARA
●監督:ゾルタン・コルダ
●出演:出演:ハンフリー・ボガート、ブルース・ベネット、ロイド・ブリッジス、レックス・イングラム 他
●北アフリカ戦線で、部隊からとり残された戦車があった。生存していた三人の兵士は、活路を求めてトブルクへ向かう。そして行軍途中、英兵を拾い、更にはイタリア兵、ドイツ兵までも収容した彼らは、やがて水のある廃墟にたどり着く。しかしそこは、ドイツ軍が間近にひかえる場所だった・・・!ソ連映画劇「十三人」の挿話よりフィリップ・マクドナルドが構成、ジョン・ハワード・ロウソンが「ジャングル・ブック(1942)」のゾルタン・コルダ監督と協同脚色した1943年作品。




※この記事は、2008年以前のレビュー記事より映画を再見→再投稿したものです。
ハンフリー・ボガートが「強いアメリカ」としてのヒーローを演じた、いわゆる戦争アクションもの。初見は2008年5月でしたが「これは掘り出し物だった!」と大喜びしていた当時の適当な感想文(笑)。これを今回再投稿するにあたって、いいチャンスなので再度観直してみました(2013年1月)。やっぱり面白い~!ジェフ・ブリッジスのお父ちゃん、ロイド・ブリッジスも見られます。




まずは時代背景から。
世界規模の戦いが繰り広げられた第二次世界大戦。モンロー主義が色濃く参戦には消極的だったルーズベルト政権下のアメリカは、1941年の日本軍による真珠湾攻撃後に国内世論は一気に参戦へと傾き、その後連合国の一員として正式に参戦。1942年11月にはアメリカ・イギリス連合軍がフランス領 北アフリカに上陸し、枢軸国軍(イタリア+ドイツアフリカ軍団)と砂漠での熾烈な戦いを繰り広げました。

1943年5月には枢軸国軍がアフリカで連合国軍に降伏し、アフリカ戦線はこれにて終結することになるわけですが・・・この『サハラ戦車隊』はまさにココ、1943年製作の映画作品なんですね。戦中ど真ん中じゃないですか。スゴイ!

そのため映画の冒頭でも紹介されていますが、制作には本物のアメリカ陸軍第4機甲部隊が全面協力しており、本物の兵士がエキストラとして参加しています。また、ガン軍曹が「ルル・ベル」と呼んで愛してやまないM3中戦車は、第二次大戦の中期まで米軍の主力となった戦車なのだそう。私は、残念ながら銃も戦車も軍服に対しても何の知識のないのですが、こういう映画を観る時にはそういった知識のある楽しみ方っていいなぁと羨ましく思います。

因みに、撮影場所はアリゾナ州やメキシコを堺としたカリフォルニア州のアンザ・ボレゴ砂漠州立公園(東京都の面積より大きい!)。モノクロで映し出される砂嵐のシーンなどは、やはり死と隣り合わせという本物の広大な砂漠の怖さを併せ持った迫力の映像です。




さて。物語の舞台は1942年6月。
砂漠の狐と呼ばれたあのエルヴィン・ロンメルが指揮する大攻勢に晒されたアメリカ軍は、全軍撤退を発令。しかしM3中戦車「ルル・ベル」号はエンジンの故障により落伍、乗員である戦車長ジョー・ガン軍曹、ジミー・ドイル、ウェイコ・ホイトの3名は本隊から逸れてしまう・・・。そんなシーンから映画は始まります。


行軍途中に彼らは様々なメンバーをピックアップしていくことに。ジェイソン・ハリディ軍医大尉をはじめとするイギリス軍人5名と、自由フランス軍のフレンチー。スーダン軍のタンブール曹長とイタリア軍捕虜ジュセッペ。そして最後にドイツ空軍捕虜のフォン・シュレットウ大尉。

第二次世界大戦下では数多くのプロパガンダ的作品が製作されましたが、この映画もそれに該当するものでしょう。ハンフリー・ボガート扮するガン軍曹は情に厚く、決断力があり、(軍曹という地位でありながらも)その強いリーダーシップで皆を一致団結させチームとして統率していきます。そう、彼らの乗る戦車は【連合国軍】の縮図なんですね。冷酷で残虐なナチスを倒すには【強いアメリカ】が必要だ!と。

もちろんこれは戦時中のアメリカ映画ですから、アメリカから見た主張が物語のど真ん中を通っています。中でも、イタリア軍捕虜のジュセッペのキャラクターは際立っていました。同じ枢軸軍捕虜だったものの、ドイツ軍のフォン・シュレットウ大尉と対峙し言い争う時の強烈な台詞(抜粋)は以下のようなものでした。

「イタリア人は違う。軍服は着ても魂は売らん。我々は泥棒や詐欺師に成り下がっても魂は売り渡さん。ムッソリーニとえいども、我々の良心をヒトラーの十戒で汚す事などできない。"隣人から奪え 隣人を欺け 隣人を殺せ" ・・・イカレ男を崇拝するほどバカではない。祖国を強制収容所と化し、我々を奴隷扱いするそんな男のご機嫌取りはご免こうむる!ヒトラーのために戦うなんてまっぴらだ。この世を地獄にした男だ!」

北アフリカ戦線でのイタリア軍の敗北も色濃くなり、ファシズム体制に対する批判がイタリア国内でも高まり始めムッソリーニも失脚。休戦→降伏。そんな時代背景が、このようなイタリア人像を描き出したのかもしれません。因みに祖国イタリアを深く愛するジュゼッペ役のJ・キャロル・ネイシュはN.Y.生まれのアメリカ人であり、この役でアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされました。アメリカによるアメリカの映画ですもんね(笑)。
※余談ですが、このJ・キャロル・ネイシュ(J. Carrol Naish)という俳優さんはとてもユニークな人で、国籍不明なその風貌を活かしてイタリア人以外にも中国人やネイティヴ・アメリカンなどを演じ「ハリウッドの"一人国連"」なんてあだ名も付いたのだそう笑





言語はもちろん人生観、宗教観、政治観から料理や家族の思い出など。多国籍の彼らが、ほんの束の間の安らぎの時に話す話題は、互いに共感し、心通い合う一時となります。これに対して、人間性のかけらもなく冷徹・残酷なドイツ兵や、水を求めてゾンビ化したナチス軍の描写はスゴイもの。あからさまに嫌悪と悪意を持たせていますね。

ただ、こういったステレオタイプであることで人物描写はわかりやすくなり、また勧善懲悪にも似たシンプルな物語には高揚感さえも抱きます。そういった点からしてもこの『サハラ戦車隊』という映画は、たとえ時代背景のことなど知らずに出会ったとしても、非常に面白く十分に楽しめる内容なのかもしれません。・・・確かに、2008年当時に私が観た時の感想も「面白かったー!ボガート超かっこいー!」でしたから(笑)





最後に。
この『サハラ戦車隊』を書いた脚本家は、あのジョン・ハワード・ローソン。ハリウッド・テン(Hollywood Ten)の一人です。1940年代後半から吹き荒れたマッカーシズムによる赤狩り旋風。その中心的機関であった非米活動調査委員会の取り調べで、彼はあらゆる質問に答えることを拒否したと言います。強い意志の持ち主でした。

Film in the Battle of Ideas [ハードカバー] John Howard Lawson (著)
後にロウソンは「Film in the Battle of Ideas」(1953年出版)という著書の中で、「米国の支配者は映画をプロパガンダの道具として取り入れている」「ハリウッド映画の影響は、労働者階級の心に毒を入れるために利用されている」と強く主張しました。信念を持った脚本家であり作家であったのです。彼は赤狩りにより事実上ハリウッドを追放されることになるのですが、このような気骨のある才能にあふれた作家を失うことは結局ハリウッド映画界にとっても損失だったことでしょう。今回この『サハラ戦車隊』を再見して感じたもう一つは、このプロパガンダ映画の後に彼が書いていったであろう作品をもっとたくさん観たかったなぁ、ということでした。ハリウッド黄金期と言われた50年代以降、彼は時代をどう捉えていたのでしょうか。ロウソンの著書をもう少し追いかけてみたいと思います。

サハラ戦車隊@映画生活





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  2013/01/18 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit