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『譜めくりの女』 (2006/フランス)

   ↑  2013/06/28 (金)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー


譜めくりの女 デラックス版 [ カトリーヌ・フロ ]


●原題:LA TOURNEUSE DE PAGES 英題:THE PAGE TURNER
●監督、脚本:ドゥニ・デルクール
●出演:カトリーヌ・フロ、デボラ・フランソワ、パスカル・グレゴリー、グザヴィエ・ドゥ・ギュボン、クロティルド・モレ、クリスティーヌ・シティ、ジャック・ボナフェ、マルティーヌ・シュヴァリエ 他
●物静かな少女メラニーの夢はピアニストになること。その実現に、並々ならぬ情熱を注いできた彼女だったが、コンセルヴァトワールの入学試験で、審査員を務める人気ピアニスト、アリアーヌの無神経な態度に心を乱され、散々な結果に。これによって夢を諦めたメラニー。十数年後、美しく成長した彼女は、アリアーヌとの再会を果たす。2年前に交通事故の被害に遭い心に傷を負ったアリアーヌは、演奏に対する恐怖心を拭えず苦悩していた。やがてメラニーはそんな彼女の信頼を勝ち取り、演奏会での“譜めくり”役に抜擢されるのだが・・・。





主人公メラニーの少女時代。美しいブロンドを飾り気もなくまとめ、透き通るように白い肌を持ち、内気だけれど意志の強そうな眼差し。彼女の行動を追ううちに、その奥底に潜む狂気に気付いて一瞬で凍りついてしまった。「ピアノ」と「肉きり包丁」を交互に映し出すショットは視覚的に怖いけれど、緊張感を煽るような高音のピアノが神経を逆撫でする。少女の中に見え隠れする残忍性、凶暴性。




美しく成長したメラニーがアリアーヌの家へと招かれたその日。それまでシックな白をベースとしていた彼女の装いが、コートを脱いだ瞬間初めて黒になっていることに気が付いた時。真っ白な豪邸の中での対比にドキリとした。

無表情なうえ、何をするか分からない彼女の異様な存在感、研ぎ澄まされた空気感にただただ息を詰めて見てしまう。笑顔すら本物なのかどうかも分からない。家庭の中に入り込む"復讐"としては『ゆりかごを揺らす手』のように、若さと美貌で弁護士の夫を誘惑したり子どもを手なずけるなど精神的ダメージを与える手段は容易に思い浮かぶけれど、メラニーの行動はそのどちらにも向かわなかった。それが女としては、一番怖い。





『譜めくりの女』鑑賞前の情報として「ピアニストへの道を断たれたことによる復讐心」からメラニーの行動が始まったのだとばかり思い込んでいたけれど、メラニーがアリアーヌをじっと見つめる眼差しに浮かぶのは単なる"憎しみ"だけでないという気がして、途中から落ち着かなくなってしまった。

少女時代のメラニーはピアノに対して異常なプライドを見せていた。もしかしたら・・・・彼女は著名なピアニストであったアリアーヌへの憧れを抱いていたのかもしれない。失望、憎悪、嫉妬、憐み、軽蔑など、その対象であるアリアーヌに近づくにつれ「破滅させたい、侮辱したい」という暗く歪んだ欲望が彼女を巣食い、突き動かしていったのではないか?とも。憎しみだけではない、もっともっと深く刻み込まれてきたアンビバレンスな情念によって・・・。

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スイミング・プール(Blu-ray Disc)


『趣味の問題』や『スイミングプール』といった心をザワつかせるフランス映画たちを思い起こさせる作品でした。人間の欲望の深淵を覗き込み、女性特有の官能性や、ごく近い人間関係に芽生える残酷性などを描き出す、偽りのない繊細さについ惹かれて観てしまうのです。





■追記
ところで、この映画を観ている間「登場人物たちの感情を、表情からはまったく読み取れない怖さのある映画だなー」とは思っていましたが、それはなんとドゥニ・デルクール監督が日本滞在中に伝統芸能に惹かれ、脚本も日本で執筆したということに影響されていたらしい。
「日本の女性のように演技をして」と言いました。というのは私は2004年に京都に6ヶ月間滞在していて、その時に日本の伝統芸能をいろいろ見たり『世阿弥の花伝書』という本を発見して、そこに非常に深い示唆が含まれているなと思い、特に「間」というものに興味を持ちました。
 (中略)
また、動作をゆっくりすること、早くするよりもゆっくりした方がずっと二人の力が大きく感じると思うのでそういったことも頼みました。それから表情については、例えばデボラのちょっとした微笑。その笑みをどういう笑みにするかということに2ヶ月も費やしました。多すぎても少なすぎてもいけない。そういった決定的な微笑みを見つけるのにとても時間がかかりました。凄く難しいことだったので「日本的、日本的」と言いすぎることに反発もうけましたが(笑)  『譜めくりの女』ドゥニ・デルクール監督 インタビュー

表情が読み取りづらいのは、ニコニコペコペコして愛想のある日本人と、堂々とプライドを持って人と渡り合うフランスとの文化の違いかと思っていたら、そうじゃなかったんだ!
・・・ただですねぇ、監督は"日本の女性のように"と仰ってますが、あそこまで日本人も無表情だとは思えないんだけどなー。あれ、もしかしたら、それは日本人の顔がノッペリと平坦だからそう見えるということなのか?平たい顔族だから(笑)!?

「想像力を刺激された!」という点ではデルクール監督にうまく誘い込まれましたが、その舞台裏を知ってしまうと、日本人女性としてはやはり微妙な気持ちになりますなぁ・・・・

■その他 デルクール監督インタビュー記事:
「譜めくりの女」ドゥニ・デルクール監督インタビュー「間」が想像力をかき立てる
『譜めくりの女』ドゥニ・デルクール監督「日本のいろいろなものに影響された脚本」




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  2013/06/28 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『幸せパズル』 (2010/アルゼンチン、フランス) ※ネタバレにご注意を ラストに触れています

   ↑  2013/06/18 (火)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ




幸せパズル [ マリア・オネット ]


●原題:ROMPECABEZAS 英題:THE PUZZLE
●監督、脚本:ナタリア・スミルノフ
●出演:マリア・オネット、ガブリエル・ゴイティ、アルトゥーロ・ゴッツ、エニー・トライレス、フェリペ・ビリャヌエバ、フリアン・ドレヘル、ノラ・ジンスキー、マルセラ・ゲルティ、メルセデス・フライレ 他
●ブエノスアイレスで暮らす専業主婦のマリアは、夫と息子の幸せだけを生きがいにする平凡な女性だった。しかし、50歳の誕生日にジグソーパズルをプレゼントされたことで、彼女の人生は一変する。彼女にはそれまで気づかなかったパズルの才能があったのだ。ある日“パズル大会のパートナー募集”という張り紙を見た彼女は、家族に内緒で大富豪の独身紳士ロベルトのもとを訪ね、一緒にパズルの世界選手権を目指すこととなるが・・・。



スペイン語の原題「ROMPECABEZAS」は「ジグソーパズル」という意味ですが、語源から辿るとこのジグソーパズルとは【romper:壊す】+【cabezas:頭(cabezaの複数形)】で【頭破壊ゲーム】という直訳がコワイ単語でもあり(笑)、アタマをぶっ壊すほどの謎、だとか困難な問題といったイメージを持つ言葉でもあります。で、そこから転じて「人を熱狂させるような人物または物を指す言葉」という意味でも使われます。英語の場合の「PUZZLE」における"当惑"だとか"悩ます"というよりも、もっと強い感じ。

時々、映画制作本国のポスターデザインや原題を見ると、そこから伝わるものが日本のそれとだいぶ違うことがあります。この映画もこれに該当するのかも。誰も「幸せパズル♪」だなんて言ってない(笑)。この邦題って日本人が好みそうだなー。本当はビターなのに『マルタのやさしい刺繍』とか『しあわせの雨傘』だとか。



だから、この映画に関しても「家庭にしか居場所がなかった主婦が自分の好きなことを見つけて新しい世界に踏み出していく!」といった高揚感を全面に出した物語でもないし、彼女が纏う雰囲気も、いわゆる主婦の"悲壮感"とはだいぶ違う気がしました。

確かに、家族にも言いたい事を飲み込んでしまうほど控えめな主婦の立ち振舞いや行動には思わず「がんばれ!」と言いたくなってしまうけれど、でも実は、彼女は最後まで家族にも嘘を突き通したし、夫とのベッドでも時に積極的な表情を見せ、パズルのパートナーであるロベルトと寝ることも受け入れるという、ある意味一種の図太さやガッツ、官能への情熱や正直さも持ち合わせていたわけで。日本のポスターやジャケットデザインが「二人で幸せ♪」のように映しているけれど、オリジナルでは彼女一人で堂々と映っている意味も分かる気がします。

そう、だから私は決してマリアを不幸だとは思いませんでした。家事に明け暮れ、家族にこき使われているように描いてはいるけれど、彼女は"主婦"として家族に手の込んだ料理を出し、家事をこなし、夫と息子たちの世話をして家を守るということに不満を抱いてはいません。むしろプライドを持って"当然"のように思っている。だから、彼女の品のある姿勢や眼差しからは"不幸"なんて滲み出てはいませんでした。ただ、人生の中で何かが物足りず、理解されず、そして労われずに疲れていたのでしょう。マリアがパズルに向かう時だけに流れるオリエンタル調の音楽は、彼女だけに流れる時間。まるでマリアの人生のように、足りないピースを埋めていく繊細な指先の動きと一緒でとても印象的でした。





家族やお客様は皆ワイワイ勝手に楽しんでいて、自分はまるで給仕のようにテーブルとキッチンを行き来しては後片付けをするという・・・、これをほとんど当たり前的にやり過ごしている主婦の姿だけでも目を離せなくなるのですが、さらにこれから起こる「パズルの才能」をさり気なく重ねるというシークエンスの出来の良さ・・・さらにしかもそのパーティーの主役は奥さん、あなたじゃないですか(笑)!という、物凄く好きな滑り出し。巧いですよねぇ。

パンやチキン、チョコレートケーキといった料理のシーンからスタートするこの映画。食事のシーンが多い(食器を並べる、お皿に取り分ける、果物を切る、お茶を淹れるetc)映画というのは、たとえそこが行ったこともない見知らぬ外国のお話でも、食べ物を介することによって生活感が身近に感じられ、不思議と物語も近くに感じられてくるので大好きです。さらにその主人公が主婦であれば、自分にとってはなおさらだったかも。




そして、カタルシスとは程遠い、あくまでも現実的なラスト。
だけれど、このエンドロールの映像にはちょっと驚かされてしまいました。

それまでは、映画酔いしそうなほど揺れに揺れたカメラワーク&赤味がかったソフトな映像を重ね、マリアの外出のたびに流れるような外の風景や空のショットをわざわざ挟み込んではいたものの、『幸せパズル』という映画の中では空の色はすべて雲がかかって霞んだり、逆光で滲んだり、カーテン越しだったりしてよく見えなかったのです。そう、当たり前のようにある【青空】というものが、まるで、一度も出てこなかった!それがエンドロールでは一転、まるでマリアのこれまでの閉塞感が一気に解き放たれたような、眩しい世界が固定カメラでドンと据え置かれているんです。まるで薄曇りが吹っ切れた彼女の新世界を見た気がして、この空と雲と緑の美しさが急に目に沁みました。

夢中になれる大好きなこと、束の間の解放感、面倒だけれど愛しい家族、それに"思い出"。チャンピオンとなった今では自宅の片隅にパズル部屋まで作ったマリア。きっとこれからは大好きな絵をじっくり見ながらゆっくりとパズルの世界と向き合っていくんだろうなぁ。爽快感などとはちょっと違うけれど、遠い国のパズルマニアなる世界観&南米主婦の小さな大冒険を見せてくれたこの映画は、ちょっと新鮮でした。イマジカBSに感謝!





■追記:
ネフェルティティの胸像【wikipedia】マリアが魅了されていたパズルの絵柄は「ネフェルティティ」。ネフェルティティについては、その詳細はほとんど分かっておらず謎も多いのだけれど、「美しい人の訪れ」を意味するその名前のとおり、女性美の象徴としてもっとも有名な古代の女性のひとりと言われています。それを思うと、マリアがこの絵柄をまるで吸い込まれるようにじっと見つめているシーンはとても印象的です。



■追記:
アルゼンチンにおける「マチスモ(男性優位主義の思想に基づく行動および思考)」は、歴史的に旧植民地本国スペインによる女性観が根強く残っているとのこと。
その一つは女性に対する男性の肉体的優位と、男性に対する女性の恭順を是とする男尊女卑の思想マチスモ、そしてもう一つはカトリックの聖母マリアを理想像とし、その母性ゆえに女性が男性に対して精神的優位性をもつとする思想マリアニスモである。
この二つの女性観が継承される中、女性は男性より劣った存在で、男性に服従、奉仕するものとして処遇される社会構造がつくり出され、それと同時に、家庭においては、自己犠牲もいとわず家庭を守り慈しむ無私の母性愛を高く評価する価値観が定着していったのである。
『ラテンアメリカ 新しい社会と女性』国本伊代・編(新評論、2000年)

↑こうやって社会的な背景が少しわかるだけで、新しい角度からの発見があっていつも面白いなぁと思います。あ、まったく自分用メモなんですけれど(笑)。






■さらに追記:
マリアたちが郊外に持っている土地の名前、日本語字幕では「チャコモス」となっていて耳でもそう聞こえたのだけれど、ブエノスアイレス郊外にある地名および湖の名前では「Chascomús」しか見当たらなかった・・・。ここなんだろうか。

この辺りは、大都市から離れると湖がたくさんあって自然が豊かなんだなぁと思いながら観ていました。同じアルゼンチン映画でも、土地が異なるとまったく風景も違ってくるし、国内の経済格差の違いなどから垣間見える物語も違ったりしていてちょっと面白いです。

  『ボンボン』 (2004/アルゼンチン)
『ボンボン』 (2004/アルゼンチン)




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  2013/06/18 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『おとなのけんか』 (2011/フランス、ドイツ、ポーランド、スペイン)

   ↑  2013/06/13 (木)  カテゴリー: コメディ





おとなのけんか【Blu-ray】 [ ジョディ・フォスター ]


●原題:CARNAGE
●監督、脚本:ロマン・ポランスキー
●出演:ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー
●ニューヨーク、ブルックリン。11歳の子ども同士が喧嘩し、片方が前歯を折るケガを負う。ケガを負わせてしまった側のカウアン夫妻がロングストリート夫妻の家に謝罪に訪れ、和解の話し合いが行われる。お互いに社交的に振る舞い、話し合いは冷静かつ友好的な形で淡々と進んでいくかに思われたが・・・。ヤスミナ・レザによる戯曲『大人は、かく戦えり』(原題:Le Dieu du carnage、英題:God of Carnage)に基づき、レザ自身とロマン・ポランスキーが脚本を書き、4人のオスカー受賞&ノミネート俳優の豪華共演で映画化したコメディ・ドラマ。



「こどものけんか」を巡って、当初は平和的だったはずの話し合いが、いつしか「おとなのけんか」となり、本音が飛び交う混沌と狂騒の場と化していく様をリアルタイムの進行でユーモラスかつシニカルに描き出すポランスキー監督作品。同じく二組の激突夫婦の狂気を見せたマイク・ニコルズ監督作品『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966/アメリカ)よりは、ずっとずっとコメディ寄りです。


・・・とは言うものの、スタートから10分観て「うぉーん、あと1時間も続くのかぁぁ」と逃げ出したくなりました。クリストフ・ヴァルツ&ケイト・ウィンスレット夫妻が何度もエレベーターの前に行き、帰りかえるシーンはあるのですが、映画的に"帰っては話が成り立たない"とは頭でわかっていても「帰ったほうがいい!帰るなら今だ!!」と念じてしまう自分がいました。もうホント、こっちが逃げ出したい(笑)。

だって笑顔で嫌味を放つベテラン俳優たちのピリピリとした空気に、映画とはいえこちらが居た堪れなくなるんです。穏便に済ませたいケイト・ウィンスレットの痛々しさ、皮肉屋で現実派のクリストフ・ヴァルツのくそ弁護士ぶり、話を蒸し返し規律を押しつけるジョディ・フォスターの粘着っぷり、そして穏やかなんだけど妙にイライラさせるジョン・C・ライリー。怖いもの見たさの覗き見状態で観るしかない。絶妙な組み合わせですから。

ポランスキー監督は撮影を始めるにあたって、俳優同士が親交を深めると同時に、諷刺からコメディ、コメディからドラマへとシフトする映画のトーンを探索するために、2週間にわたる集中的なリハーサルを行ったという。登場人物は4人だけで、その敵対関係は夫婦同士、男同士、女同士と入れ替わり、混乱状態に陥っていく。それゆえに、演じる4人のハーモニーが重要となってくるわけだが、リハーサルが俳優の結束を固めたというだけに、それぞれが見事に響きあっている。
大人による大人のためのコメディ『おとなのけんか』より





で、どちらかというと、この4人の中で一番常識的に思えたウィンスレットが遂にはブチ切れるんですが、もうこれが凄いのなんのって。お食事中の方はぜひご遠慮いただいた方がよろしいかと思いますが、あの生理現象には「所詮人間の感情にフタをするなんて無理!仮面なんて無理!」と言うがごとく、正に人間味が噴き出します(笑)。

その後は取り繕った序盤のピリピリした雰囲気を吹き飛ばすかのような【本音炸裂大会】に。子どもの歯は折れるし、携帯はビービー鳴るし、ハムスターは凍死してるかもだし、本には吐かれるし、コロンはクサイし、みんな一言多いし。潜在的にあった日常のイライラがこれでもかとテンコ盛りになれば、言いたいことも言いたくなりますな。「この腰抜け!」「お、ゲロ吐いて元気になったな!」「この偽善者め!」とか日常では他人にそう言えない(笑)。



しかも、もともとはロングストリート家vs.カウアン家の戦いだったにもかかわらず、なぜか途中から「なんでハムスターを逃がしたのか!?」とか「あんたの携帯ムカツクのよ!」とか本題からどんどん逸れて、無神経な夫婦喧嘩や男女の罵り合いに突入していくことに。アルコールも入って理性はどこへやら。物の投げ合い、掴み合い、貶し合いで遂には限界点を突破!!他人の人生なんて、本人がシリアスになればなるほどコメディなんだなー。これぞ密室劇のハイライトです。

そうだよなぁ、やっぱり人間どんなに本音剥き出しで罵り合っても、結局は分かり合えないところがあるのになぁ。意固地になって「問題解決!!」とか叫んでは勝手に振り回されてグッタリしてしまう人間の滑稽さなんかを、エンドロールでスッキリ吹き飛ばしてくれる映画でした。余計なものを背負い込んでいない子どもの方が、トラブルの解決方法をよく知っているものなのかも。

原題「CARNAGE」の意味とは「大虐殺」。a scene of carnageで「修羅場」など。
大人ぶった子どものような大人げないオトナのけんか。ほんと、最初から最後まで修羅場でした(笑)。


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  2013/06/13 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』 (2011/イタリア)

   ↑  2013/06/07 (金)  カテゴリー: SF、宇宙、怪獣





宇宙人王さんとの遭遇 [ フランチェスカ・クティカ ]


●原題:L'ARRIVO DI WANG / 英題:THE ARRIVAL OF WANG
●監督:アントニオ・マネッティ、マルコ・マネッティ
●出演:エンニオ・ファンタスティキーニ、フランチェスカ・クティカ、ジュリエット・エセイ・ジョセフ、アントネット・モローニ 他
●イタリア、ローマ。中国語翻訳家のガイアのもとに中国語の同時通訳を依頼する緊急の電話がかかってくる。仕事の内容はおろか場所さえも機密にされ、目隠しで連れてこられたのは真っ暗な地下室。何も見えない中、尋問者の厳しい質問と、それに対する王(ワン)さんと呼ばれる中国語を話す男性の奇妙な回答を通訳していくガイアだったが・・・。



ベネチア国際映画祭で「創造産業賞」(というのがあるんだ!)を受賞するなど、各国映画祭で称賛を集めた異色のSF作品。もしかしたら私、"イタリア映画でSFもの"って実は初めて観たかもしれないなー。

タイトルはどことなくユーモアがあるし、ちょっと話題にもなっていたしで、とてつもなくワクワクして観てみたら「・・・これはもしかしたら、けっこうヤバイのではないか!?」という感想しか浮かばず焦りました。だってこの『宇宙人王さんとの遭遇』でのラストのセリフ、私、正直受け止めきれてませんよ、この映画、政治的に大丈夫なのか!?





・・・どれだけこの映画が波紋を呼んだかについては、以下の通り。
この映画に対し最初に反応したのは、アメリカ【ウォール・ストリート・ジャーナル】。
記事の中で「この映画は中国の経済力と世界における影響力が強まり、西側に困惑と誤解をもたらしたことを示している」 と評論。※New Film Explores Distrust of China

これに対し、北京の夕刊 『法制晩報』 が反応。
「ストーリーには象徴的な意味がある。 通訳は王さんの到来を平和目的だと理解するが、中国語や宇宙語がわからない政府の役人たちは、王さんを侵略者だと決めつけた。(中略) そして安全を理由に王さんを暗室に閉じ込める。 秘密警察はこの宇宙人をもともと理解したくなかったのだ」 とし、映画に中国人の外国進出を重ね合わせた【ウォール・ストリート・ジャーナル】への反論ともとれる主張を載せる。

これに多様な媒体が「台頭する中国への西側社会の不信」「中国人差別を助長する」「できるものなら中国で公開してみたらいい」などと追随、論戦は国際問題にまで発展する。
『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』公式サイトより一部引用



監督は「人は隣人をどれだけ信頼すべきか、偏見とは何か、といった道徳的・倫理的問題を探求したかった。」 と語ったそうですが、いやーそれ以上の意図的なものを感じますよ、ねぇ。いやいや、もしかしたら受け止める側の方がピンポイント攻撃されているのかな。それが狙いなのかな?

今や中国の経済成長力とその影響力は世界各国にまで行き渡り、中国人がいない地域はないんじゃないか?と思えるほど。世界的なあらゆる問題(政治、経済、環境、軍事、人権など)として話題にならない日はありません。それだけに「友好的な態度でやって来た中国語を話す宇宙人」という前提に対して、観る人は(もちろん私も含め)過剰に反応してしまうのでしょうね。どこかこう、笑ってはすまされない、ビターとかシニカルといった表現さえも通り越した、今まさに突き付けられている現実問題として。





イタリアの移民問題はかねてより深刻であり、イタリア人に脅威を感じさせるほど移民人口も彼らの経済活動も増しています。移民の増加が深刻な社会問題を引き起こしているのではないか?治安悪化を招いているのではないか?という懸念はイタリア社会の亀裂を生み出し、更なる悪循環をもたらしていると言えるでしょう。

ただ、それを国家間レベルではなく"個人レベルの物語"として紡いだイタリア映画『ある海辺の詩人—小さなヴェニスで—』(2011年制作)という作品も、今年日本で公開されました。社会学の研究者でもあり10年以上にわたり移民問題についての調査・研究に取り組んでいるアンドレア・セグレ監督によるインタビュー記事のリンクも、参考までに残したいと思います。
『ある海辺の詩人—小さなヴェニスで—』 アンドレア・セグレ監督インタビュー:イタリアにおける“移民”現象は、問題を超えた現実

マタニティ時代から仲良くしている中国出身のママ友がいる私にとっては、やはり『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』とい映画には困惑させられました。"中国"という"国家"に対する感情は分かり過ぎるくらい分かるのですが・・・難しい問題だなぁ。






えー、最後に映画的な話をしますと、この『宇宙人王(ワン)さんとの遭遇』では、『あしたのパスタはアルデンテ』でインパクトのあるお父さん役を演じたイタリア映画界随一の名脇役エンニオ・ファンタスティキーニが、拷問を仕掛ける鬼の局長役として、この過激なイタリアンSF映画を見事に支えてくれています。凄い量の台詞なんですが、私が観る限り机の上に置いた紙を見ながら話しているような気もします(笑)。

それとちょっと気になったのが、主人公の翻訳家の自宅兼職場の様子。
"仕事道具"というべき辞書たちが、なんの書き込みも折れも汚れもなく、パリッパリに綺麗な状態で置かれているのはちょっといただけませんでした。あと、それほど簡単に知らない車には乗らないだろう!とか。出だしにほんの少しで良いから"リアリティ"が欲しかったな~とも思いました。・・・いや、もしかしたらこれはあくまでフィクションなんですよという監督の意図なのかもしれませんけどね。



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  2013/06/07 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit