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【CMAミュージック・フェスティバル 2013】

   ↑  2014/02/28 (金)  カテゴリー: 映画いろいろ・・・
昨年の【アカデミー賞】は、司会のセス・マクファーレンのブラックジョークは下品で最悪、更にホワイトハウスからの演出でオバマ大統領夫人の登場なんかもあったりして、久々のがっかりアカデミー賞だったため、当ブログでも完全スルーで参りました(今年はどうかな?)。

そこで今日は、何度見ても元気が出る【CMAフェスティバル】の模様を代わりにUpしようと思います。この、ナッシュビルで開催されるカントリーミュージックのフェアを米ABCテレビが放送してくれているのですが、Youtubeにその番組が丸ごと上がっているのを見つけてしまった!・・・ウーン、でもさすがにこれはマズイだろうということで、主に私の好みのアーティスト&曲だけをご紹介。≪カントリー≫と言っても、ロックありポップスありです。
※CMAとは:Country Music Association(カントリーミュージック協会)の略称




 
オープニングはキャリー・アンダーウッドが歌うガンズの「パラダイス・シティ」

この曲は昔、私がビートルズバンドの時にも演ったことがあって、誰がピー!って笛を吹くかでもめた思い出が(笑)。テイラー・スウィフトとはまた違う、パワフル&ワイルドな魅力でこの祭典の開幕を華々しく飾ってくれたアンダーウッドでした。この人は芸達者でいつも楽しませてくれるなぁ!




 CMA festival little big town lbt2.jpg
今一番お気に入りの Little Big Town(リトル・ビッグ・タウン)の「Pontoon」

真っ直ぐカントリーでありながら、渋セクシーでバランスの良い男女4声ボーカルグループ。4人の歌唱力の素晴らしさは勿論のこと、スタイリッシュでエンタテイメント性のあるカントリーだなんて、ほんとクール!!ちなみに黒髪のカレン・フェアチャイルドと、面長ダークブラウンヘアの方のジミ・ウエストブルック(見えないけれど左端にいる)はご夫婦なんですよ。




 
そして、ここにシェリル・クロウも参戦。素敵すぎる。

いつの間には50代に突入していたシェリル姐さん。私もEvery Day Is a Winding Roadですが、姐さんの曲を聞くと元気が出ます。まだ小さな男の子たちを抱えながらも、うつ病、乳ガン、髄膜腫を乗り越えてもなおこの若々しさにはただただビックリ。がんばろう!




 
テイラー・スウィフト、キース・アーバン、ティム・マックグロウとの3人でコラボした「Highway Don't Care」

どんどん洗練されて、ますますキメッキメになってきたテイラー・スウィフト。この恋多きお人形さんのようなお嬢さんは、いつも「カブキロックス」を彷彿とさせる髪の振り乱し&もうアンタどれだけ長いんだ!?という脚を「これでもか!これでもかっ!!」と見せつけてくれますが、これにはニコール・キッドマン夫のキース・アーバンも霞みまくり。テイラー・スウィフトって若いのに自分の見せ方をよく知っている人だわー。




 CMA lenny kravitz
レニクラ&ジェイソン・アルディーンの「アー・ユー・ゴナ・ゴー・マイ・ウエイ」

エキサイティングなステージの中でも盛り上がったのはレニー・クラヴィッツの登場!
【白人の音楽】と言われるカントリーミュージックというジャンルのフェアにおいて、有色人種である彼の存在感は色々なものを超越しているようで本当にカッコイイ。さらに、スキンヘッドでクールな女性ベーシストゲイル・アン・ドロシー(Gail Ann Dorsey)が着ていた北斎の浮世絵柄をモチーフにしたような着物チックなドレスは、アルディーンのキャトルマン(カウボーイハットみたいな帽子)と、ロックなレニクラという組み合わせで何だか凄い雰囲気を醸し出していました。ほんと、かっこいい。





『歌え!ロレッタ 愛のために』 (1980/アメリカ)

歌え!ロレッタ 愛のために [DVD]


まだお若かった頃のトミー・リー・ジョーンズ&シシー・スペイセクが夫婦を演じた、C&W歌手ロレッタ・リンの伝記映画。リンが15歳で結婚した当時の10代からを二人が演じているのもスゴイけれど、主演女優賞でオスカーを獲ったスペイセクの吹き替えなしの熱唱が本当に素晴らしい!

この映画をTVで観た学生時代に彼女の歌声がとても好きになってしまって、ビデオテープで繰り返し観たのです。「カントリーミュージック」というジャンルが耳に馴染んだのもこの映画の影響なんだろうな。





Shania Twain - You're Still The One
そして決定打はコレ。むかし、遠山顕先生の「ラジオ英会話」を聞いていた時に流れてきたシャナイア・トウェインの「You're Still The One」にノックアウトされてしまった私。会社勤め時代は彼女の曲が元気の源だったなー。

シャナイアといえば日本のCMでの「UP!」なんかも有名で、爆発的な人気を誇ったカントリー歌手となりましたが、その後、夫の不倫→離婚などによって歌手活動も休止、寂しく思っていました。しかし!2012年よりベガスでのショーで華々しく復帰し、再び美しく元気な姿を見せてくれるように(祝)。この人はスゴイ美貌の持ち主でありながら「あら、アタシって美人?そう?がははは!」みたいなサバサバしたところがちょとサンドラ・ブロックみたいで、私が大好きなタイプの女性であります。映画も良いけど、時には音楽もすごいパワーを与えてくれますよねー。



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  2014/02/28 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『THE GREY 凍える太陽』 (2012/アメリカ) ※ネタバレおよびラストシーンに触れています

   ↑  2014/02/24 (月)  カテゴリー: シリアス、社会派






【Blu-ray】ザ・グレイ


●原題:THE GREY / 別邦題:ザ・グレイ
●監督:ジョー・カーナハン
●出演:リーアム・ニーソン、フランク・グリロ、ダーモット・マローニー、ダラス・ロバーツ、ジョー・アンダーソン、ノンソー・アノジー、ジェームズ・バッジ・デール、ベン・ブレイ、アン・オープンショー 他
●石油掘削現場で勤務する男たちを乗せ、アラスカのツンドラ地帯を飛んでいた飛行機が、大嵐に巻き込まれて墜落。オットウェイら、7人の男が生き残るものの、そこは周囲がすべて雪に覆われる極寒の地。一行は取りあえず南へと向かうが、野生のオオカミたちのテリトリーに足を踏み入れていたことから、彼らの執拗な攻撃にさらされることに。マイナス20度という寒さや、圧倒的な食料の不足にも苦しむ中、雪山を突き進んでいく彼らだったが・・・。



私の住む地域では初めてではないか!?と言われた大雪に、ホント参っておりました。

最初の1週間は「雪だ―大雪だ―」と子どもと一緒に雪だるまだ!かまくらだ!そりだ!と浮かれていましたが、続く2週目からは慣れない雪かき、道づくりでヘトヘト。夜は風が強まって吹雪&停電。さらに翌日は暴風雨。我が家のカーポートは雪の重みで崩壊(TT)。用意していた食糧も減り、必死に買い物に行ったら「大雪による漏電のため休業します。再開は未定」と張り紙されたお店が多数(今も)、開いているお店は流通が止まっており、電車に乗ろうとすれば、間引き運転のため"満員電車歴20年超のスペシャリスト"も入り込む余地のない車両を何本も見送ることに。あーもう今まで雪で浮かれていた私なんてバカバカ!

懐中電灯とラジオを手元に置き、ビュービューと氷雪が窓に叩きつけられる音に怯えつつ観たこの映画は、えぇもう一生忘れないでしょう。リアルすぎる体験テンコ盛りで、観終わったあとはぐったりでした。予期せぬ自然の猛威には人間なんてまったく弱いものですね。"日常"なんて、ほんと儚いものなんだなぁ。




ではでは、久々に映画の話を。

生きてこそ[DVD]


ザ・ワイルド [DVD]


飛行機事故による遭難物映画として思い出したのが、食糧難に苦しめれたイーサン・ホーク主演の『生きてこそ』。それから、アラスカの原生林に墜落後、巨大熊グリズリーを相手に死闘を繰り広げることになるアンソニー・ホプキンスの『ザ・ワイルド』。いずれも命を繋ぐための強靭な精神力と凄まじいサバイバル生活が印象的でした。


一方、これらに対して『THE GREY 凍える太陽』という映画ですが、この物語を観始めた時にちょっとそのあたりが変わっているなぁと感じました。主人公は妻を失っていて、そこから生きる価値さえも失っている状態であることが冒頭から静かに伝わってきます。「君を忘れたことは、一度だってない。君に逢いたい。でももうそれは叶わないことだ」このセリフに、スキー事故で妻を亡くしているリーアム・ニーソンの実生活が否応なく重なり、私は冒頭の3分ほどで彼の痛々しいその姿にほぼ絶句状態となってしまいました。

おしどり夫婦といわれたリーアム・ニーソンとナターシャ・リチャードソン夫妻。彼女がスキー場で転倒→頭部強打による事故死という知らせは本当に急で、母親であるヴァネッサ・レッドグレーヴの憔悴ぶりを伝えるニュースも大変辛かったことをよく覚えています。そのためか、この映画はただのサバイバル・アドベンチャー映画とはとても思えず、彼の言うセリフ1つ1つのリアリティに半端ではない重みと、心理面・精神面にぐっと圧し掛かるものを感じました。インタビューでも彼は「私は妻を亡くした男の感情にアクセスすることができるし、それにこれは感情を浄化させるカタルシスのような経験でもあった」と答えています。







実際、後半にはちょっとした「クリフハンガー」や「激流」などのアクションシーンの見せ場もあることはあるのですが、『ザ・グレイ』では極限状態であるはずの飢えや寒さ、そこから水に落ちた体力への影響などはほとんど出てきません。

"リアリティ"が圧倒的に失われているという状況下で、ニーソン演じるオットウェイの内面描写は何度も何度も繰り返されていきました。それに伴い、"神との対峙"など、宗教的・哲学的な色合いをますます濃くしていく展開となったため、私にはこの映画全体がオットウェイの"魂のサバイバル"を描いた物語のように思えました。過酷な環境に中で自分自身と向き合った時に根底に流れているものが"失った信仰心"というのは、やはりキリスト教圏ならではですね。

――流れ着いた地の果てで、罪を犯した者や人間のクズが集まっている。俺は君を失い地獄を彷徨っている。生きながら・・・。ならいっそ、地獄へ行こう――

そして或る意味、主人公の【魂の救済】がこの映画のテーマだったとしたら。
実はあの時、映画の冒頭で銃で仕留めたのは"狼"ではなく、一度はあきらめた彼自身の生(自殺)だったとしたら。

『THE GREY 凍える太陽』という映画は、オットウェイが自分自身と闘うための、彼自身の贖罪の旅とも言えるのかもしれませんね。そうすれば、誰よりも愛しい妻といつかまた一緒になれるのですから・・・。





※注意:ここはラストシーンに触れます※

逃げていたつもりが、実際行き着いた先は巣の中だったなんて(私は日本人なので「お釈迦様の手のひら」の話が思い浮かびました)。全ては神の采配なのかもしれませんが、オットウェイに"もう一度闘うチャンス"が与えられたという、そこに意味を置いたラストなんだろうなと強く感じました。なので、"結果"を見せたがるようなあのエンドロール後の1カットは、蛇足ではないかな、と。ついでに言えば、ラストの詩の再朗読も要らなかった気がします。リーアム・ニーソンの眼と、狼と、オットウェイが父親に抱かれて見た壁の詩のカットだけで、観客には十分過ぎるほど彼の想いが伝わってくるのに。余韻だけで良かったのになぁ。


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  2014/02/24 | Comment (6) | Trackback (2) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

娘の話と、『ラースと、その彼女』 (2007/アメリカ)

   ↑  2014/02/05 (水)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ




ラースと、その彼女<特別編>


●原題:LARS AND THE REAL GIRL
●監督:クレイグ・ギレスピー
●出演:ライアン・ゴズリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、ケリ・ガーナー、パトリシア・クラークソン 他
●雪に覆われた小さな田舎町。町の人たちからも慕われている心優しい青年、ラース。しかし、純粋すぎるがゆえに極端にシャイで、女の子とまともに話すことも出来ない。そんなラースを心配していた兄夫婦のもとに、ある日、当のラースが"彼女"を紹介しにやって来た。しかし驚いたことにその彼女とは、インターネットで購入した等身大のリアルドール「ビアンカ」だった。困惑する兄夫婦は医師に相談し、当面ラースの妄想に話を合わせるようにとの助言をもらう。そこで町の人たちにも協力を仰ぎ、みんなでビアンカを生身の女性として扱うことにするのだが・・・。




実はこの映画、一番最初に観たのはGyao!のオンライン試写会(いや、当時はYahoo動画だったかな?)でして、恥ずかしながらその時は主演のライアン・ゴズリングのこともよく知らず、そして今回再見するまでなぜだかずーっと「カナダ映画」だとばかり思い込んでいた私。

そんなせいもあって、今回観直してみたらまるで新しい作品を観る時のような、めちゃくちゃ新鮮な気持ちで鑑賞することができました。






いわゆる"リアルドール"のビアンカを、主人公ラースに紹介される兄夫婦。

このシーン、以前観た時はエミリー・モーティマー演じる義姉カリンが機転を利かせてラースに合せようとする反応を普通に「うんうん、そう言ってあげた方がいいよね!」なんて笑って観ていたけれど、いや普通だったら確実に仰天&動転のあまりに陣痛がくるような状況でしょうよね(笑)。

そう、以前はコメディだと思ってさらっと流して見ていたけれど、今の私はこの数年ですっかり現実路線になってしまった。だからこそ、なお一層この映画は≪理想の世界≫のように思えました。





、突然ここで私事なのですが。
実は、私の6歳になる娘はいわゆる"脳機能障害"を持って生まれました。
一口に「障害」といっても(例えば落ち着きがないとか何かに強いこだわりを持つ等々)その症状の出方は人によって様々です。

私の娘の場合はといいますと・・・楽天的でありながら慎重型のマイペースさんである一方、一度会った人の名前は勿論のこと、誰がどんな服を着ていたとか、どこで何を買ったか、どこに何が書いてあったかなど、様々な場面を事細かに覚えているという記憶力が凄まじい面もあったりします。

つまり"定型発達"の子どもたちと比べ、発達や能力に偏りがあるんです。でも、映画のセリフや歌も私より完璧に覚えていたりと、私の方がタジタジになるほど「型にはまらないユニークで面白い子だな~」なんて呑気に思っていました。

しかし、そんな娘が成長するにつれ、それが本人の生き辛さになるのでは?という心配が生まれました。それ以降、ここ数年は大学病院の専門家や地域の発達支援センター、園のカウンセリング、就学前には教育センターなど、本当に数多くの方々のご縁や支援に恵まれてきました。周りのお友達や大人たちからの支えや理解、協力の中で育てられているんです。


で、どうしてここで娘の話を出したかというと。

いわゆる"普通の人"とは違う突拍子もない言動をとると、その人は少なからず奇異な目で見られたり、嘲笑の的となるのが≪厳しい現実世界≫の反応です。が、この映画でのラースの町の人々は違いました。皆でラースを受け入れよう!と。

もちろん強い対人恐怖症を拗らせてしまったかのようなラースと娘のケースは全く違いますけれど、ラースに対する町の人々の協力を見ていて「娘もこんな風に周りの人に受け入れてもらっているんだ、だから娘は安心して成長しているんだ」と、何だか他人事とは思えなくなってしまったんです。

人は多かれ少なかれ互いの理解の中で生きているとは思うのですが、試行錯誤の育児の中で自分が経験してきたことに重なり合う部分、共鳴する部分が多くて、今回はこの物語が胸がジーンときてしまったのでした。





この映画でちょっと面白いなと思ったのは、町の人々が「ラースに協力しましょう!」と決めた経緯。

教会を中心とした町において「あんたのイトコはネコに服を着せてるでしょ」「あんたの甥っこは全財産をUFOクラブに寄付したじゃない」と互いのオカシなところを突っ込みながら「大事なのはイエス様ならどうするか?ということ」と、神や信仰を通じて行いを決めたこと。もし万が一、ラースが普段から不信仰者だったとしたら、彼は一体どんな風に理解されたのかな?そんなことも思いました。

それと改めて感じたのは、ラースは"ビアンカ"を通して母親と共に過ごすはずだった時間を再現し、体験し直そうとしていたのではないかな?ということ。無条件に愛され、寄り添い、時にぶつかり合い、分かち合い、尊敬し、そして死を見取ること。ビアンカとの出会いから別れまでは、母親とのそれを実体験していないラースにとって、兄と話していた大人になるための必須の経験、通過儀礼、人生の再構築だったのかもしれないな、と。




触れられること、抱きしめられることに痛みを覚えるほどデリケートな心の持ち主だったラース。変わること、失うことが怖くて"造花"で安心していた彼も、ビアンカと一緒の世界なら葛藤を抱えながらも乗り越えられたのだと思います。

そんな彼を辛抱強く静かに見守ってくれた女医役のパトリシア・クラークソン。ビアンカの血圧を測って「だいぶ低いわね」なんて冷静に言い放つ彼女の演技は、なんだか強く頼もしい母親のようにも見えました。あんな風に私もドッシリ構えていたいな。



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  2014/02/05 | Comment (5) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『小さいおうち』 (2013/日本)

   ↑  2014/02/01 (土)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ
山田洋次監督最新作『小さいおうち』公式サイト 
●監督:山田洋次
●原作:中島京子『小さいおうち』
●出演:松たか子、黒木華、片岡孝太郎、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子、橋爪功、吉行和子、室井滋、中嶋朋子 他
●大学生の健史は、亡くなった大伯母・布宮タキから彼女が遺した自叙伝を託される。そこには、健史が知らない戦前の人々の暮らしと若かりしタキが女中として働いた家族の小さな秘密が綴られていた・・・。昭和初期、山形から東京へと女中奉公に出たタキは、小説家の屋敷に1年仕えた後、東京郊外の平井家に奉公することに。その家は、赤い三角屋根が目を引く小さくもモダンな文化住宅。そこに、玩具会社の重役・雅樹とその若い妻・時子、そして幼い一人息子の恭一が暮らしていた。3人ともタキに良くしてくれ、タキはそんな平井家のためにと女中仕事に精を出し、とりわけ美しくお洒落な時子に尽くすことに喜びを感じていく。ある年の正月。平井家に集った雅樹の部下たちの中に、周囲から浮いた存在の青年・板倉正治がいた。美術学校出身の心優しい板倉に恭一がすぐに懐き、時子も妙にウマが合って急速に距離を縮めていくが・・・。




先月、我が家が加入しているプロバイダーの試写会に初めて当選して、自宅にて鑑賞。最近、所謂「おうち試写会」によく当たって嬉しいなぁ。





映画の冒頭、火葬場の煙突から真っ白い煙が立ち上っていくカットがあるのですが、これを見て「邦画を観るってやっぱりいいなぁ」としみじみ感じました。本当に些細なことなんでしょうけれど、こんな小さな場面でも故人を偲ぶ登場人物たちの心情を自然に汲み取ることができるのは、やはり身近な生活の中にある1シーンだからなんですよね。あーもっと邦画を観ようっと!


・・・・・と思っていたのも束の間(笑)。
そのうち「これはまるで朝の≪連続テレビ小説≫なんじゃないか!?」と思うほどお行儀のよい話になっていったので、私の気持ちは萎んでいく一方・・・。つまるところ、これは邦画・洋画云々とかいうことじゃなくて、ただ単に山田洋次監督の語りぶりが今の私には合わなかったのだろうな。【赤い屋根の小さいおうち】の外観も妙にメルヘンチックで、一体コレをどう捉えたらよいのか・・・うーむ、見ていて変な居心地の悪さを感じました。

あ、でもタキちゃんは良かったですよ!"昭和の地味なお顔立ち"そのままで。純粋で一途で一生懸命で優しくて強いタキちゃんを黒木華さんが演じたことは、(映画化にあたって)唯一絶賛されてよい点だと思います。


一方、タキちゃんに慕われる平井家の奥様 時子さんを演じた松たか子さんですが・・・

所作も言葉遣いも美しいお嬢様育ちでありながら(←ここまでは松さんの味が出ている)、どこか危なげな情熱を秘めている感じが"演じている"のは分かるものの、口には出さねど抗いきれない高揚感や背徳感というものが、なんだか紋切型に見えてしまうんです。でもこれって、松さんのせいだけでもないような気がするんですよねぇ・・・・

タキちゃんが奥様の脚をマッサージするというシーンがあるんですが。ここ、山田洋次監督のお考えなのかどうかわかりませんが、脚をドーン!と投げ出しているだけの大雑把な撮り方なんですよ。タキちゃんがドギマギしてしまうような、奥様のオトナの無邪気な色っぽさを見ることは残念ながら出来ませんでした。うーん、それならば、タキちゃんが熱のこもった女中部屋で汗ばんだ二の腕を剥き出しにして休んでいたところ、時子さんがやって来たので慌てて袖を下す・・・なんてシーンの方がよっぽどドキっとしました。






そ、そして「それを言っちゃあお仕舞いよ!」という正直な感想を。
人妻である松さんが心奪われてしまう板倉さん、いくら戦争によって男性が少なくなったとはいえ、映画の絵的にあのワンワンみたいな髪型で本当に良いのだろうか、あれが昭和のクラシックな芸術家のヘアスタイルなのだろうか、だとしたらあのスタイルと吉岡くんは本当に似合っているのか??奥様のハートをギュッとつかんで離さない!!そんな魅力を実感できる俳優さん(出来ればお若い人希望)を、山田組以外から選ぶことは出来なかったのだろうか・・・。






あーそれで、私はどうしてここまでこの映画にチグハグな印象を持つのかな?と(不安になって)、試写会の後に原作小説も読んでみたんです。その理由、ちょっとだけ分かったように思いました。

小さいおうち[中島京子]


原作では、時子奥様は恭一坊ちゃんを連れて平井の旦那様と再婚していたという設定であり、また、男女問わず誰もが彼女に魅了されてしまうという危うい魅力に満ちた女性として描かれていました。山田洋次監督の映画版では、年上の洗練された奥様に対するタキちゃんの淡い思いや細やかで深い心の結びつきなど、その温もりさえも感じ取れた女性のリアルな部分はかなり削ぎ落とされていたように思います。設定はだいたい同じでも、人物描写の重さやバランス、匂いなどが小説とだいぶ異なっていたんですね。


山田洋次監督がこの映画で本当に言いたかったのは、道ならぬ恋に落ちていく人妻の止めようもない情熱に似た、今思えば暴挙としか思えない戦争へと転がり落ちて行った日本の姿を重ね合わせ「誰もが不本意な選択を強いられた時代」をもう二度と繰り返してはならない!小さなおうちの中にあったような人々の小さな幸せを二度と奪う時代であってはならない!ということなのかな、と。

それはそれで良いのでしょうが、私は年老いた小さな背中を震わせて「長く生き過ぎた・・・」と嗚咽する倍賞千恵子さん演じるタキおばあちゃんの姿がこの映画の中で最も印象的でした。彼女が戦後の時代にたった一人で抱えてきたものは何だったのか?――あの小さなおうちの幸せなご家族と奥様をお守りしたかった、それが叶わないのなら自分だけ生きながらえるよりも本当は一緒に死にたかったのでは・・・と。これだけでもその時代の持つ背景が胸に迫るようで、妻夫木君にペラペラ喋らせるよりもずっとずっと心に残るセリフだったと思います。






「今どきこんな爽やかカップルいないよなー」と思いながら見た終盤。
"個人情報"をキュレーターが教えてしまうなんて、なんとなく気分のよくない流れもあり(原作では、健史が来館者ノートから盗み書きしてきてしまうという・・・・これもいやだ・・・)、おまけに恭一坊ちゃんを泣かせてしまうという、私にとってはこれはギャグなのか!?と思うラストに驚愕して幕を閉じたこの映画。

絵的には微妙、山田洋次節がやや臭く、最も胸に迫るはずだった空襲シーンでのあまりのチープさ逆に衝撃を受け、全国に吹き荒れているという「感動しました!」の嵐に私は乗れなかったのだな・・・と実感した次第です。

きっとまた早いうちに地上波放映があると思うので、その時に再見して自分のこの感想を確認してみようと思います(←今回は久々の邦画ということで、何だか自分の映画の見方(感想)に今一つ自信がない。いつもと何が違うんだろう・・・・??)。


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  2014/02/01 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit