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『(ハル)』 (1996/日本) ※ラストの展開について触れています

   ↑  2015/03/27 (金)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ



(ハル) [DVD]


●監督:森田芳光
●出演:深津絵里、内野聖陽、山崎直子、竹下宏太郎、戸部正午、鶴久政治、宮沢和史、山下博幸、戸田菜穂 他
●速見昇は“ハル”というハンドル名でパソコン通信の映画フォーラムにアクセスする。仕事も恋もうまくいかず鬱屈していたハルに、励ましのメールを送ってきたのは(ほし)という人物だった。互いの実像をわからないまま二人は次第に本音を伝え合うようになるのだが・・・。





一人でもきちんとエプロンをして、食事を作って、後片付けをして、村上春樹と宮沢賢治が好きで、廊下を掃除して、洗車をして。(ほし)が丁寧に生活し、そして、そのきちんきちんとした日々の隙間に自分ではどうしようもない悲しみを抱えているということが、この日常生活とメール画面の文字を交互に映し出す手法によって沁み込むように伝わってきます。

ページを捲るたびに主人公の心の情景が広がっていく、まるで動く風景が見える"読書"のような映画です。十数年ぶりにこの作品と再会したことになるのですが、当時はおそらく新鮮で実験的であっただろう映画なのに、今回は何とも言えない心地よい感覚に包まれました。





1996年の公開当時、Windows95の登場で一般家庭にPCがどんどん入ってきたとはいうものの、ネット社会はまだまだ未成熟。そのためでしょうね、パソコン未経験世代からは「実際に顔と顔を合わせることのない薄っぺらい人間関係を象徴している」という冷めた批評なんかをチラホラ見かけ、当時この映画に大共感していた私としてはガッカリしていました。やっぱり一般的な感覚じゃないのかなぁと。

というのも、実際私も1998年頃のチャットルームに出入りしていた人間(大オフ会も企画したりしたもんだ)なのです。文字だけの会話で他愛のないことばかり、ほぼ毎日仕事が終わって帰宅して寝るまでの一時、ヴァーチャルな世界で過ごしたものでした(ちょっと遠い目・・・)。大学を出たばかりの私は、そこで様々な職業や地域の人たちと"通信"できるのが、とっても新鮮だったんです。


閑話休題。


そんなわけで、この映画を知るにあたって、まずは森田芳光監督の以下のインタビューを読んでみました。

僕が影響を受けた本は、マクルーハンの作品です。
マクルーハンはメディアがどう人間に影響を及ぼすのか?ということを研究していた人です。 「世界」や「メディア論」が有名ですね。彼の本によって、テレビとかラジオとかいろんなメディアを、人間がどう用いて、そしてそのメディアによって、どう変わるかということを学びました。僕のメディアへの興味にとても影響を与えた人です。僕にとっては、ソクラテスやプラトンの話と同じで、マクルーハンのメディア論が哲学といってもいいかもしれません。
「(ハル)」という映画は、まだインターネットが流行る前の「パソコン通信」を舞台にしているんですが、これもマクルーハンに出会っていたから、すぐに「ああ、これは新しいメディアになるな」と思うことができたんだと思います。
森田芳光監督インタビュー 映画「わたし出すわ」公開記念 森田芳光監督の本棚【Booklog】

マクルーハン理論―電子メディアの可能性


メディアはマッサージである: 影響の目録


メディア論―人間の拡張の諸相



この映画を観た後でマーシャル・マクルーハンのメディア論(=テクノロジーやメディアは人間の身体の"拡張"であるという主張)を読み、更に
メディアの歴史の時代区分は、『話し言葉の時代・文字の時代・電気の時代』の3つに分かれ、文字によって書かれた書物は『自分一人でいたい(他者に文字・書物と触れ合う時間を邪魔されたくない)という欲求』を強化する一方、遠くにいる人たちを結びつけ『理念・思想・知性を介した人間関係の形成原理』を生み出す効果もある。
マーシャル・マクルーハンのメディア論:メディアの歴史とナショナリズム【Es Discovery】
とされる解説サイトを読みだした辺りから、この微妙な時代の恋愛観が俄然面白くなってきてしまいました。・・・いつもこうやって横道に逸れていってしまうな~






で、色々考えた末に結局辿り着いたのは・・・・

テクノロジーやメディアやネット社会云々と言っても、この物語はれっきとした「純愛映画」だったんだよなぁというところに戻ってきてしまったんですよね。それも古典的純愛もののド真ん中じゃないかと。思えば、顔を見たことのない相手と文を交換し、心を通わせ、相手を想う・・・・これって紫式部の時代と同じだとも思うんですが!

王朝の恋の手紙たち (角川選書)

角川短歌ライブラリー 和歌で楽しむ源氏物語 女はいかに生きたのか


ま、電子メールやチャットと手紙では、相手に自分の言葉が届けられる時間的間隔や、紙に焚きしめられた薫物の香り、文字の美しさなど手に取って五感で感じることが出来るかどうかの違いなどはあるかもしれませんが、投げっぱなしの言葉の羅列ではなく相手を思いながら綴った文章の交換という意味では、平安時代の恋愛と似た部分もあるんじゃないかなぁと。

それにこの時代、家に帰ってパソコンを立ち上げて「メールが一通届いています」なんて、今でいうポストを開ける感覚と似ているわけで。肉体的な魅力や関係も介在しないため、奥ゆかしい"純愛"と感じるのかもしれません。



たぶん二人の共通点は、それぞれの人生に起きた悲劇だとか喪失感を乗り越えるために、自分の生き方を模索している、前を向いていることだったんだろうな。

(ハル)は、落ち込んだり後悔したり失敗もある中で、新しい出会いや発見もあったりして。「あすの天気」みたいに、彼はとにかく前向きで真っ直ぐな人でした。会おうと思えば(ローズ)のように思い切って実際に会うことも可能だったのだろうけれど(実際に現実世界で顔を合わせてもハンドルネームで呼び合うところなんかはリアルで笑ってしまいます)、通り過ぎる新幹線の中から一瞬だけ互いの存在を確認するという、切ないような歯痒いような方法を選択した二人。

ネット上で言葉を交わしてきた相手が本当に実在するんだ、現実に存在するんだ、ということを確かめたいと思うようになった(ほし)の気持ちは、人と人とが実際に出会ってコミュニケーションを求めるという本来の意味での"人間関係"と何ら変わらないと思います。ただ、実際に会うまでは相手はまだ自分の"一部"であり、現実世界で実際に出会ってから、初めて本当の"二人"になるんだろうな。これからが、本当の"はじまり"なんですね。






そういえば、この映画、(ほし)が『ヒッチコックの「裏窓」みたいの好き。ああして人の生活を眺めていたい。』と言っていたように、登場人物たちの生活を窓ガラスの外から映すカットを多用していて、メール画面という主観を表に出しながらも、どこか他人様の人生を外から覘き見ているような感覚にもさせてくれました。



それに覘き見るといえば、この映画、色々と時代の先を読んでいた気がします。
【ネット恋愛】という新しい時代の出会い方を見せたのは勿論ですが、例えば【ストーカー】という言葉が出てくるほんの少し前に、相手をつけ回して職場まで追いかけ写真を撮るような男を出してみたり、彼女に置いて行かれて「それなら結婚しよう!」とも言わず刺激的な(ローズ)にもなびかない【草食系男子】のハシリを見せてみたり(笑)。あ、でも、モトカノの「そういう流れだし。英語好きだし。」のやり取りには吹いてしまいました。彼氏じゃなくて英語の方を選ぶのかよ!という(笑)。こういいうサッパリした女性の考え方、私大好きです。





最後に。
DVDに収録されている監督インタビューの中でとても納得したことを抜粋。



主役に深津絵里と内野聖陽を起用した理由は何ですか?
真面目に芸能界生きてる、って人達を使いたかったんですよ。深津絵里とか内野とかね、真面目そうじゃないですか。真剣に芝居を考えて、真剣に芸能界を生きてる、って感じがして、芸能界から離れてもね、私生活も本当に真摯に生きてるって感じがしたんですよ。

村上春樹の小説を登場させることにどのような意味が?
例えば主人公がどんなものを食べて、どんな机でモノを書いて、どんな椅子に座って、どんな文房具を使ってるかってやっぱり見ますよね。それで、あのホシっていう女の子は絶対村上春樹の小説が好きな女の子であろうという設定で始まったんですよ。(中略)村上春樹の本の並べ方も、すごくこだわってるんですよ。だから図書館で彼女は勤めるんですけど、その時も自分の本棚と同じ並べ方じゃないとダメみたいなね。



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 くちびるに歌を』 (2014/日本) ※ラストの展開に少し触れています

今年の3月に日本映画『くちびるに歌を』 (2014/日本)の辛口レビューを書いた時、"日本の映画って、外国映画に比べて身近すぎる描写のためか見方も厳しく辛めになってしまうのかもしれませんが。" と書いた私ですが、やっぱりそういうことではないんだな、と今回改めて思いました。最も身近に感じられる日本映画だからこそ、どんなに繊細なテーマであっても、きちんとした人物描写があればその共感性はずっとずっと鮮やかになっていくものなんだと。

この映画と再会できて本当に良かったです。日本映画って、やっぱりいいものです。



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  2015/03/27 | Comment (2) | Trackback (1) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『鑑定士と顔のない依頼人』 (2013/イタリア) ※ネタバレにご注意を ラストに触れています

   ↑  2015/03/12 (木)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー





鑑定士と顔のない依頼人【Blu-ray】


●原題:LA MIGLIORE OFFERTA / 英題:THE BEST OFFER
●監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
●出演:ジェフリー・ラッシュ、シルヴィア・フークス、ジム・スタージェス、ドナルド・サザーランド、フィリップ・ジャクソン、ダーモット・クロウリー 他
●一流の美術鑑定士にして、カリスマ的オークショニアのヴァージル・オールドマン。ある日、資産家の両親が遺した美術品を査定してほしいという依頼を受ける。ところが依頼人は決して姿を現さず、不信感を抱くヴァージルだったが、屋敷の中で歴史的価値を持つ美術品の一部を見つけ、この依頼を引き受けずにはいられなくなる。そして屋敷に通ううち、次第に姿の見えない依頼人に少しずつ興味を抱き始めるのだったが・・・。




「デジタルには利点しかなかった!何年も熟考してきたが、ためらうことはなかった」と笑いを挟みつつも「毎日何フィートのフィルムを使ったかが進行状況の指標だったし、セットでフィルムが回る姿がないのは寂しい。でも、一つの時代が終わったんだな、と思う。
(2013年12月13日 朝日新聞「鑑定士と顔のない依頼人」トルナトーレ監督インタビューより)

これまで繰り返し映画フィルムへの愛情を表現してきたトルナトーレ監督が、遂にデジタル撮影へ移行したという点でも公開当時から注目の作品でした。結果として、数多くの美術品が出てくる本作品ではシャープでありながら豊かな色調が鮮烈な印象を残し、硬質で緊張感のあるシメントリーの構図が映される度に「彼ほどデジタルフィルムに適した監督さんはいないだろう!」というくらい、その映像美を堪能できる作品へ見事に仕上がったと思います。


「これは、私にとっての「今年の一作」とも言うべき作品だったかもしれない」
  (朝日新聞≪沢木耕太郎 銀の街から≫(2013.12.27)
「結末を知ると、物語の構図は一転する」
「トルナトーレが仕掛ける極上のミステリー」
 (日本公開当時のキャッチコピーより)


ここまで言われてしまいますとねぇ、「絶対に観るぞー!!・・・・でも観るまで絶対に関連記事には目を通さないぞー!」なんて公開当時に決意した私は、あちこちに溢れた監督インタビュー記事やレビューを見事に回避し、ラストのネタバレというものに触れることなく今日という鑑賞の日までヌクヌクと温め続けて参りました。「話題になっているし、ラストはドンデン返しがあるそうだし、なんだかスゴイことなってるんでしょ!?」と心躍らせて鑑賞させていただいたんです。


そうしたら・・・・まぁ!
「名探偵ポワロ」のジャップ警部(フィリップ・ジャクソン)がサラ~っと出てきたり、もともとエキセントリックで偏屈なキャラクターがお似合いのジェフリー・ラッシュが恋に身を焦がしてヒートアップしていくお姿など、色々な意味でビックリさせられた映画でした。

て、自分の中で何とか消化してみたところ、結局は

「映像も音楽も逸品で堪能できますし、物語には一定の理解も納得も出来ましたが、好きか!?と言われたら"おじさまに御同情申し上げます"」

・・・というお話だったな、と落ち着いた次第です。この物語に心震えたオジサマ方、本当に申し訳ございません。あ、でもでも、トルナトーレ監督と言えばエンニオ・モリコーネ節ということで、彼独特の深く美しい旋律も相まって見応えのある映画なんですよ、と庇ってみたり。



※それでは以下は、『鑑定士と顔のない依頼人』のネタバレ・内容に深く関わります。
未見の方やこれからこの映画を観よう!と思われる方はお控えいただくことを強くオススメいたします。


    ↓ ネタバレ注意 ↓

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  2015/03/12 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

『くちびるに歌を』 (2014/日本) ※ラストの展開に少し触れています

   ↑  2015/03/01 (日)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ
映画「くちびるに歌を」公式サイト



くちびるに歌を (小学館文庫)


●監督:三木孝浩
●出演:出演:新垣結衣、木村文乃、桐谷健太、恒松祐里、下田翔大、渡辺大知、眞島秀和、木村多江、小木茂光、角替和枝、井川比佐志 他
●長崎県の離島にある中五島中学校。産休に入る幼なじみの音楽教師の代理として、美人ピアニスト、柏木ユリが東京からやって来る。合唱部の指導を任されるが、最初からまるでやる気が見られず、ピアノも一切弾こうとしない。引っ込み思案の桑原サトルは、ボーイソプラノの片鱗を見せるが、家庭の都合でなかなか練習に参加できない。そんな中、コンクールの課題曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」にちなんで、生徒たちに15年後の自分に手紙を書くよう宿題を課す柏木だったが・・・。




自宅での「オンライン試写会」に当選したので、今回は小学生の娘と一緒に鑑賞させていただきました。、脱力のあまり途中で観るのを止めようかと思ったほどでして。うーん、あの『小さいおうち』の悪夢再来か。

しかも、鑑賞後に世の中いっぱいに溢れている「感動しました!」「涙があふれました!」というレビューをバンバン目にしてしまい、自分の「コレちょっと違うんじゃないか感」が気のせいだと思いたくて、翌日もう一度一人で鑑賞してみたのですが・・・やっぱり感動の嵐には乗れなかった自分がいることだけがよーく分かりました(←ここで号泣)。私だけみんなと違うバージョンでも観たんだろうか。。。






この映画で本当に素敵だなって思うことはちゃんとあったんですよ。本物の景色は嘘をつきません。夕暮れの海、夏の真っ青な空の色、登校途中の坂道に吹き抜ける穏やかな風。オール長崎ロケによる賜物ですね。坂や階段、古い町並みなどの本物の風景は、この映画一番の功労者かもしれません。

それなのに!この映画、一体柏木先生の設定を何だと思って描いたのでしょうか。

難病が~とか、事故による記憶喪失でぇ~とかいった類と同レベルの、頭の中だけで考えたような安易な人物像、そしてその描き方の稚拙さに私はビックリしました。『くちびるに歌を』 の制作側は観客のことをどう思っているんだろうか。「これで盛り上がる!」「これで泣ける!」とか本気で信じているんだろうか?本当に酷い。日本で映画を作るレベルってこんなものだったのか?と。


だいたい代理だろうと臨時だろうとツンデレだろうと、学校の先生という立場を仕事として任された人が「・・・テキトーによろしく。」なんて生徒の前で挨拶しますかね。他の先生が「甘すぎるんじゃないですか!?」と言うセリフが一つありましたけど、本当にそうですよ。学校教育の場を任された人が、個人的な理由で(自分1人でならともかく)生徒の前でも捻くれた態度をとるなんて、一体どんな先生なんだ。って、こういうことを言うとモンペ扱いされちゃうのかな。

「私のピアノなんか人を不幸にするだけよ」なんて悲劇のヒロイン気取ったことを生徒に言っちゃうオトナが、彼女を取り巻く優しく真っ直ぐな強さを持つ生徒たちと一緒に成長し、影響し合い、悲しい過去を乗り越える…とかいう甘っちょろい展開には本当にビックリさせられたんですが。ミステリアスな存在とかそういう以前の問題で、柏木先生に何があったんだろうとかちっとも思えない。あー私が他人に厳しいだけだんだろうか・・・・





一緒に観ていた小1の娘は中学校生活の様子が楽しかったみたいで、話の内容はだいたい理解できているようでした。でも、青空と緑の丘でキラキラしながら歌の練習をしているシーンで娘が間髪入れずに「あ、コマーシャルになった?」と言ったのには笑いました。そうなんですよね、なんかいかにもサラッサラの映像集みたいでこの辺りはあまりに狙い過ぎ。せっかくの雄大な景色が嘘っぽくて「爽やか高原の牛乳のCMみたいだな」と思いました。

別に現実味ギラギラのドキュメンタリーを観たくてこの映画を観たわけじゃないけれど、これならよっぽどNHKの『課外授業 ようこそ先輩』の方がよっぽど面白いんじゃないかと途中から思うほど。

思うに、無理にガッキー先生を中心に据えようとしたこの映画版よりも、子どもたち目線で描かれた原作の小説版の方が「15年後の自分へ」という作文の効果や、合唱という歌によって心も一つになる瞬間の素晴らしさが効いていて良かったんじゃないかなぁと。まるで背景の中に消え入りそうになるほど遠慮した桑原君の佇まいなんて本当に素晴らしかったのに!小説を映像化するのって、こういうものを視覚化&聴覚化できることに利点があるはずなのにな。





最後にもう一つだけ。
少しずつ皆の歌の輪が広がってロビー中が歌声でいっぱいになるあのシーンは、一般的には感動的な場面として捉えられるのかな?と疑問に思いました。規則性を好み、予定外のことが苦手な自閉症のお兄ちゃんに向かって大人数による歌声を浴びせるのはかなりキツいことなんじゃないかと

それに加えて、歌というものが人々の間を、学校とかコンクールだとかいった枠を超えて広がっていくような皆が一つになれる瞬間の素晴らしさを描写したかったんだと思うけれど、なんだか「私たちってステキなことしてる!」という(映画的で)一方的な感じが見てとれて、居心地悪くモゾモゾしてしまいました。日本の映画って、外国映画に比べて身近すぎる描写のためか見方も厳しく辛めになってしまうのかもしれませんが。

ま、今回は
「桑村、おい桑村!名前を呼ばれたら返事くらいしろ!」
「・・・ぼ、ぼくクワハラです・・・・」

というシーンに娘が大爆笑したということだけでも≪楽しかった映画の思い出1シーン≫として残るので、これでヨシとすることにします。ネット評価とは全然違ってしまったけれど、もうこれは仕方ないや!(笑)



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  2015/03/01 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit