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『野のユリ』 (1963/アメリカ) ※ラストシーンに触れています

   ↑  2011/04/11 (月)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ





野のユリ [ シドニー・ポワチエ ]


●原題:Lilies of the Field
●監督:ラルフ・ネルソン
●出演:シドニー・ポワチエ、リリア・スカラ、リサ・マン、アイサ・クリノ、スタンリー・アダムス 他
●メキシコと国境を接するアリゾナの砂漠地帯を気ままに旅する黒人青年ホーマー・スミス。ある日彼は、アリゾナの荒れ地を相続して東ドイツから亡命してきたマザー・マリアら5人の修道女と出会い、言葉も通じないまま否応なく荒地に教会を建てるための手伝いをさせられることになる。渋々ながら仕事を引き受けてみたホーマーだったが・・・。



少し前のことになりますが、1993年に『私に近い6人の他人』というアメリカ映画がありました。ストッカード・チャニングとドナルド・サザーランド演じる上流階級の夫妻のもとに「シドニー・ポワチエの息子」と名乗る見ず知らずの黒人青年(ウィル・スミス)が入り込んできたことから起こる、人間の偽善を炙り出した戯曲ベースの作品でした。

アフリカ系米国人初のアカデミー賞受賞者という肩書きのあるシドニー・ポワチエですが、先に挙げた作品で描かれたのも、白人のエリート支配層の人間が相手に「ポワチエの息子だ」と言われると「知性」やら「ステータス」を思い浮かべてそれを信じ込んでしまうという、ポワチエ=「立派な人間」としての象徴でした。この『野のユリ』は、若かりし頃のポワチエが主演男優賞を受賞したという記念すべき作品です。


実は、学生時代に初めてこの作品を観た時、違和感のようなものを感じたことを覚えています。違和感と言ってもそれは決して悪い意味ではなく、何と言うのか・・・アメリカの話でアメリカの映画作品なのに、地理的、年代的な印象を持たない不思議な物語だなぁと。

そこで、しばらく映画ボケしてしまったこの頭を活性化させる意味合いも兼ねて、『野のユリ』のことをまたノンビリと考えてみることにしました。幸せな時間です。






観直してみてまず強く感じたのは、この時代のアメリカ映画でアフリカ系米国人が主人公であるにも関わらず、そんな彼の存在に対する人種的な関わり合いや問題が、全く一切、本当に何も触れられていないということでした。

原作小説『Lilies of the Field』が出版された1962年、映画制作時の1963年の米国といえば・・・選挙権もなく白人と同じバスでも隣に座ることを許されず、学校でも飲食店でも差別され続けたアフリカン・アメリカンが公民権運動を活発化させていった過渡期でもあり、また当時のケネディ政権が共産主義国家への危機感を強めてピッグス湾事件を起こし、核戦争の恐怖で世界を凍りつかせたキューバ危機へと発展させ、またベトナム戦争についても本格的な軍事介入を始めるという非常に混沌とした時代だったのです。

にも関わらず、『野のユリ』では「アメリカ人が頑張ってるぜ」なんてメキシコ人に笑われるほど、世界の中心である米国人が少数側として描かれ、黒人であるホーマーが皆から頼りにされてしまう存在になっている点など、非常に面白いんですね。

英語以外の多言語が飛び交う中、唯一の白人アメリカ人である建設会社のアシュトンさん(なんと監督が演じている!)などは、「今後は病院や学校も作りたいわ!」と主張するマザー・マリアから、レンガや木材などの寄付を散々にたかられて慌てて逃げ出すような存在なのです。また、マザー・マリアに無茶苦茶な言い分で力仕事を命令された挙げ句、鐘を打ち鳴らされてご飯時を知らされたホーマーが「奴隷に飯かよ」と嘆いてみせるなど、完全に浮世離れしたお話を、牧歌的にユーモラスに織りなしていくのです。





原作者のウィリアム・エドマンド・バレット(William Edmund Barrett)は、この作品以外にも、宗教や哲学を題材にした小説を幾つか書いています。ですから、この映画もカトリックの修道女たちとバプテストである主人公ホーマーとの交流を軸に、キリスト教色を強く感じさせるテーマが敷かれているのは確かです。


しかしながら、キリスト教や神との関わり方について盲目的でない描き方をしているのも一つの特徴です。例えば、マザー・マリアは、何事においても神に祈りを捧げて感謝すれば全てよしとする強い信仰心の持ち主ですが、その心は神に向かうばかりで、目の前にいる人たちへの感謝を置き忘れているような頑固者であり、もっと言ってしまえば、アイリッシュ系の神父様は大酒飲みで「もっと大きくて立派な教会のある教区に行けますように」と祈っていたりする、とても俗っぽい存在だったりします。




つまりこの映画の底辺に流れているのは、どちらかと言えば「神への賛美」というよりも成長しようとする人間の善意を讃えたものではないかと思うのです(このことについてはちょっとネタバレにもなってしまいますので、本記事の最後に書いてみようと思います)。原作小説のラスト部分にも、こんな一文が書かれていました(日本語は私の勝手な意訳です)。

'He was not of our faith, nor of our skin,' she says, 'but he was a man of greatness, of an utter devotion.'
彼女(マザー・マリア)は言います。「「彼(ホーマー)は、我々とは信仰も肌の色も異なる人でしたが、無条件にその身を捧げた素晴らしい人物でした」


力強く、陽気で、懐の深いホーマーの行動に周囲の人々も影響を受け、それらが折り重なるようにして新しい事象を生み出していくという清々しさが、この映画の素敵なところです。おそらくキッチリと計算されたであろう映画の作りや「これは面白そうだぞ!」と思わせてくれる、あちこちに散りばめられたユーモアセンスも私の大好きなものでした。質素な食事で腹ペコのホーマーが天に向かって「お肉もください、プリーズ!」なんて頼むシーンなんか、とっても好きでした。チャーミングで安定感のあるポワチエの演技は、こんなにも若い時からあったものなんですね。




さて、それではこの映画におけるもう一つの主役についても書いておくことにします。


米国映画協会(AFI)で生涯功労賞を受賞したポワチエに、ハリー・ベラフォンテがお祝いに「Amen」を歌うシーンをどうぞ!
ポワチエは勿論、口ずさんでいるモーガン・フリーマンもちょこっと見えます。


『野のユリ』で絶対に語られるべき存在・・・それは、ジェリー・ゴールドスミスの手によって劇中様々な場面で完璧にアレンジされ、正にその形態のごとく繰り返し繰り返し聞こえてくるゴスペル・ソング「Amen」です。

カトリックのシスターたちは「アーメン」と発音し、厳かに讃美歌を歌いますが、対してバプテストのホーマーは「エイメン!」と声を上げ、イエスの復活を祝う歌声で心躍らせてくれます。シスターたちがホーマーと一緒になって生き生きと歌い上げるシーンは、思わず『天使にラブソングを』のワンシーンを思い浮かべてしまう楽しいものです。




というわけで、思いつくままにずらずらっと書いてしまいましたが、ここで少し、この映画のタイトルについて触れておきたいと思います。「野のユリ(lilies of the field)」というタイトルの意味は、この映画の中でも語られるように聖書の記述に由来しています。

マタイ6章28-30節:また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたにそれ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ひっそりと野に咲くユリの花は、見る者の心に喜びと感動を分け与えてくれる存在なのだというように。「END」のかわりに「Amen」と表されるラストシーンは、彼への祝福、なのかもしれませんね。





・・・さて。それでは最後に、ちょっと気にかかるこの映画のラスト部分について書いてみようと思います。未見の方はお控えいただくことを強くオススメします!


↓↓ 以下 ねたばれ 注意 ↓↓

↓↓ 以下 ねたばれ 注意 ↓↓



待ちに待った教会が完成し、皆がそれぞれの喜びに浸る中、なぜかホーマーだけは、まるで不貞腐れたような不満気な顔をしていたんですね。この映画を観て、私のようにここが気になった方は多いのではないでしょうか。やっと教会が出来上がったのに、何故ホーマーはこんなにも浮かない表情をしているのだろう?と。

そこで気付いたのが「すべては神のご意志であり、自分が何かを造ったと思うのは人間の傲慢である」と言っていたマザー・マリアの諭しでした。


彼女のように何でも「神の御心」として物事を強引に押し通すやり方は、傍から見れば過剰な思い込みに近いものもあり、もともと無関係のホーマーにとっては、無理矢理押しつけられた形で始めてしまった教会建設でした。しかし彼は自分の「力」で造ることへの自信や誇りがあったのでしょう。ですから「自分が1人で教会を建てるのだ」という拘りを持っていた彼は、最後に教会の十字架を立てる際、その証として自分の名前をそっと刻んだのかもしれません。

しかし、自分が建てたと思っていたそのチャペルは自分のものなどではなく、恐らく彼がここを使うことも今後ないはずです。きっと多くの子どもたちや人々が、このチャペルで喜びを分かち合っていくのでしょう。彼は「自分の役目はここですべて終わってしまったのだ」と悟ったのではないでしょうか。そして、自分が造り上げたと思っていたものや、もしかしたら・・・自由気ままに自分の意思で生きてきたと思っていた人生とは一体何だったのだろう、自分は何をやってきたのだろうと、ふと思い悩んだのかもしれません。

そこで、このホーマーの思いと交差するように、最後にマザー・マリアと「すべて終わった」ことを確認する一連のやりとりが(そしてその中で表れるマザー・マリアの心の変化が)、彼にとって重要なものとなっていくのです。

ホーマーがいつものように彼女の真似をして「チャペル」を「シャペル」と発音してみせると、マザー・マリアは「あなたが私に作ってくれたのは"チャペル"ですよ」と言い直しますが、今度はその訂正に対してホーマーがまた「Thank you」と、ずらし気味に発音するんですね。するとすかさず彼女は、ホーマーが英語のレッスンでしてきてくれたように「TH」の発音を訂正してみせるのですが・・・ここでカメラは、何故か彼女がハッとした表情をしたところを捉えて見せるのです。




おそらく、彼女は自分の口から「Thank you」という感謝の単語出たことから(偶然引き出されたものにせよ)、これまでホーマーが与えてくれたものを自覚したのかもしれません。「神の御心なのだから」と、彼の行為を当然と思って受け取ってきた彼女も、これまで彼が教えてくれたもの、彼が見せてくれた沢山のものを、自分がどれだけ受け取っていたのか・・・この時になってやっと気が付いたのかもしれません。神からだけではなく、人から受け取る素晴らしい物もあるのだということを

そしてホーマーは、そんな彼女の表情を見て、照れたようにして微笑むんですね。まるで「そんなの、どうってことないですよ」と言っているかのように。彼は自分の役割がここにちゃんとあったのだ、と気が付いたことでしょう。そう、嬉しかったに違いありません。そして、そんな彼の心の動きを察してか、マザー・マリアは少し恥じ入るような表情を見せるのです(この二人の数秒だけの無言のやりとりは、本当に素晴らしいものです!)。その後の英語のレッスンでは「神がチャペルを建てられた」と彼女はいつものように口に出すのですが、ホーマーはそれに対して満ち足りたように「エイメン!」と答えるのです。とても力強く。






ほんの僅かな時間で表される二人の会話と表情の中に、人が人に与えられるもののすべてが集約されているような気がするのです。

私には信仰心というものがないのでクリスチャンのように「神のもとに生きていく」という感覚を実感として掴めるわけではないのですが、それでも人の温かさや思いやりを感じる心は人間皆変わらないものだと信じています。人間の善意を肯定し、それを讃えた温かなヒューマンドラマとして、私はこの映画を忘れることはないと思います。決して色褪せることのない、とても素敵な映画だと思っています。



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  2011/04/11 | Comment (7) | Trackback (1) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

Comment


初めまして!

この作品のラストについて調べていてこちらに辿り着いたのですが、とても丁寧に登場人物の心情や物語の背景をレビューされていて興味深く読ませていただきました。
ぼんやりしていたラストの記憶が鮮やかに蘇ってきたうえに、ホーマーや院長の心情もより理解できて、再見する時はもっと感動できる気がします。
この時代に黒人が主人公で差別などがまったく描かれていないというのも気付きませんでした…。素晴らしいだけではなく、とても進んだ作品だったという事でしょうか。意欲作ですね。

ますますこの作品が好きになれました。感謝です!
これからもよろしくお願いします♪

宵乃 |  2013/05/06 (月) 14:57 [ 編集 ] No.113


はなまるこより

宵乃さん、初めまして!
とても丁寧なコメントを残していただきましてありがとうございましたi-178

この記事を書いたのは、ちょうど3年前ほどになるのですが
私も宵乃さんのコメントを読ませていただきながら
「あのシーンが好きだったなぁ♪」なんて懐かしく思い出しました。

学生時代に観た時は、ポワチエの意外なコメディ色が楽しくてその印象が強かったのですが、
再見した時(ちょうど311の大地震後の時期だったこともあるのかもしれませんが)
とても心に染み入るようにホーマーたちの物語が入ってきました。
今思えば、当時この映画にどこか救われたところがあったのかもしれません。
今日、宵乃さんからのコメントを読ませていただいて初めて気が付きました。
i-179ありがとうございます!

ぜひぜひ宵乃さんのブログにも訪問させていただきます♪
TBもありがとうございました☆
こちらこそ、どうぞ宜しくお願いいたします<m(__)m>

宵乃さんへ★ |  2013/05/06 (月) 20:41 [ 編集 ] No.114


リンクの設定

「野のユリ」の検索からあなたのBlogを見つけました。良く調べられたページですね!(^o^)/ 
上記 URLにリンクの設定をしてもよろしいですか。
ご検討ください、Blogの書き換えは明日です・・・

スガヌマ |  2015/02/12 (木) 15:20 No.343


はなまるこより

スガヌマ様、はじめまして!
検索からお越しいただいたとのこと、本当にありがとうございます。

スガヌマ様が書かれていらっしゃるブログは、身近な出来事の中に経済から文化まで
ジャンルは多岐に渡り、簡潔でとても親しみやすい記事ばかりで素晴らしいですね!
拙ブログのようなものでも宜しければ、リンク設定いただいて全く構いません^^;
ご丁寧なコメントを残していただき、誠にありがとうございました。
リンク、楽しみにしております^^

スガヌマ様へ★ |  2015/02/12 (木) 20:28 [ 編集 ] No.344


有難うございます!(^o^)/ 

はなまるこさま
早速に了解いただきまして、有難うございます。
よく調べられて、まとめられた文章で大変参考になります。

ハリー・ベラフォンテやモーガン・フリーマンの動画は貴重です。また監督が建設会社の社長さんはビックリです、常連のヒチコックやタクシードライバーのマーティン・スコセッシも脱帽ですね・・・

Blog の更新日は間違えました。日曜日に「野のユリ」で更新の予定です。

URL が昨日と違うのは、こちらが HPのTOPで、ここからのリンクが Blog等です。
こちらからアクセスいただきますと、カウンターが回り、古希の映画大好き・パソコン使いは感激です!(^o^)/ \(^_^)/

よろしくお願いします。

スガヌマ |  2015/02/13 (金) 16:22 No.345


はなまるこより

スガヌマ様、おはようございます。
ベラフォンテが歌う動画は、ポワチエが驚く反応も初々しく見えたりして
観ていてちょっと嬉しくなりますよね!^^

スガヌマ様はHPも運営されていらっしゃるんですね。スゴイです!
これからも、ぜひぜひ伺わせていただきますね。

スガヌマ様へ★ |  2015/02/14 (土) 07:28 [ 編集 ] No.346


はなまるこより

スガヌマ様
こちらのコメント欄をご覧になっているといいのですが・・・!!
スガヌマ様が引用して下さったブログへコメントを入れようと試みたのですが、
どうやら[コメント記入欄]が閉じられていたようでしたので
今度は【Blog. 技術書籍】様の方へコメントを入れさせていただきました。
もしお気付きいただき、ご確認いただけましたら幸いですi-201

スガヌマ様へ★ |  2015/02/25 (水) 20:53 [ 編集 ] No.353

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