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『永遠(とわ)の語らい』 (2003/ポルトガル、フランス、イタリア) ※本文末、ラストシーンに触れています!!

   ↑  2010/10/11 (月)  カテゴリー: シリアス、社会派
8月鑑賞映画memo 第10弾(最終)『永遠の語らい』

 【DVD】永遠(とわ)の語らい
●原題:UM FILME FALADO / UN FILM PARLE[仏] / A TALKING PICTURE[英]
●監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
●出演:レオノール・シルヴェイラ、フィリッパ・ド・アルメイダ、ジョン・マルコヴィッチ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ステファニア・サンドレッリ、イレーネ・パパス 他
●2001年7月、7才の少女マリア=ジョアナは母親のローザ=マリアと一緒に、インドのボンベイにいるパイロットの父親に会うために地中海をめぐる船旅に出発した。歴史の教授であるローザ=マリアは、これまで本の中でしか知らなかった人類の歴史をその目で確かめるために・・・。



これは、西欧文明から世界を垣間見た映画。

神話とキリスト教の世界観を表すかのように、大航海時代の如く物語はポルトガルの港をゆったりと出港するところから始まる。





第一幕は過去との対話が丁寧に重ねられていく。


自由・平等・友愛のもとに革命を起したマルセイユ。オデュッセウスの物語で語られるナポリの卵城。噴火によって滅びた古代都市ポンペイ。ギリシャのアクロポリスの丘。キリスト教大聖堂からイスラム教モスクへと転用されたイスタンブールのアヤソフィア。古代文明の最高峰エジプトのピラミッド。遥か幾千年にも渡る西欧歴史の偉大な痕跡は、今や観光地と化して普段着の人々で溢れ返っている。

「伝説ってなぁに?」
「中世って?」
「文明って何のこと?」
「アラブ人って?」
「どうして戦争をするの?」

尽きることのない少女の問いかけに母親が答え、出会った人々がその地の歴史を語る。そこに見えるのは、人類の歴史は文化や宗教、言語の伝播と共に、侵略や略奪が繰り返されてきたということ。

映画『永遠の語らい』アルシネテランサイトへ
母と娘の歴史を訪ねる旅(映画『永遠の語らい』アルシネテランサイトより)
■ポルトガル:ベレンの塔
■フランス:マルセイユ
■イタリア:ナポリの卵城・ベスビオ火山・ポンペイ
■ギリシャ:アクロポリスの丘・パルテノン神殿・エレクティオン神殿・円形劇場
■トルコ:聖ソフィア大聖堂(アヤソフィア寺院)
■エジプト:ピラミッド
■紅海
■イエメン共和国:アデン







第ニ幕は、栄光と現実
世界を牽引してきた国々を代表する華やかな女性たちの対談が各言語で語られる。まるで、輝かしい欧州統合の理想像のように、知的で調和のとれた美しいものを思わせる。

しかし、一見したところ民主主義やヒューマニズム、愛や人生、幸福論を語り合っているように見えるも、実は現実に妥協や折り合いをつけた空虚な主張、机上の論理が並んでいる。彼女達は世界を支配し損ねた国々(フランス、イタリア、ギリシャ)の人々であり、今ここで誇れるものは先人たちの遺物だけだ。言語、演劇、哲学、発明、科学、芸術。


夢のような彼女達の理想論も、現実においては、ギリシャは財政悪化による金融危機がEU全体を揺るがす事態を引き起こし、フランスはかねてより深刻な移民問題に悩まされ、イタリアも依然経済低迷が続き失業率の問題や景気回復に手を打てないでいる。(国際通貨基金(IMF)は2010年9月の調査リポートで、EUで債務水準が維持不能な水準に最も近づいている国として、ギリシャ、イタリア、ポルトガルを挙げている)。ここには、すでに過去の栄光は見る影もない。

さらに、彼女たちをエレガントにもてなす船長(captain)は、世界の超大国であるアメリカ人だ。ここでわざわざ彼を"ポーランド系"と紹介しているところ(ジョークの世界では「ポーリッシュ=知的ではない」と馬鹿にして笑わせる定番)は意図的なのか偶然なのか、私には分からない。移民による米国の歴史を垣間見せたかっただけなのかもしれない。しかし、軍事・経済面より優越性をもって事実上の帝国主義を拡散している「アメリカ」が、ソフトな語り口と優雅な物腰で「フランス」「ギリシャ」「イタリア」を丁重に遇するシーンは、これらのためか滑稽さすら伴う。


そして、かつてはアフリカやインド、南アメリカをも席巻した「ポルトガル」母子を招くも、ポルトガル語は語られることなく排除され、その場は英語でカバーされる。愛するものを持てなかったという、会話の内容が突然トーンダウンするのもどこか象徴的だ。






最終第三幕で語られるのは断絶した世界


「対話」が繰り返されたのは、船がスエズ運河を渡る前のエジプトまで。これ以降、船はアラブ世界へと入っていく。

しかしここからは母子が何を語ったのか、出会う人はあったのか、何を見たのか、ぷつりと途切れ、これまでとどこか様相を異にする。唯一、母親が語ったのは「聖書」に基づく物語であり、イエメンのアデンでは建造物も歴史も語る人々も、そこには存在しない。対話がない世界なのだ。居るのはただ、ブルカを纏った物語らぬアラブ女性の人形のみ。少女は人形を抱きしめる。

そしてこの人形が「アメリカ」からプレゼントされ、物語は急変していく・・・



さて。
この先は、当作品に関してかなりの内容・ネタばれを含んでいます。まだこの作品をご覧になっていない方は映画鑑賞後に読まれることを強く強く強くオススメいたします!以下は、極個人的な見解です。鑑賞後のご参考までにどうぞ。






↓↓ 以下 ラストシーン 注意 ↓↓



↓↓ 以下 ラストシーン 注意 ↓↓





なぜ突然標的とされたのか。
説明も、理由もなく、何かが突如として起こるのは、今の西欧世界と同じ状況。
片側だけしか見えない世界で、相手が誰なのかもわからないまま恐怖だけを突きつけられる。

「かつての美しさはどこへ行ったのか」と歌うギリシャ民謡「私の小さなダイダイ」は、オスマン帝国時代からのアラブ音楽の旋律をもどこかに感じる、失ったものを求める悲しい歌だ。

「北風がダイダイを飛ばしてしまった、やさしく吹いておくれ」。

西欧中心と思い込んできた世界へのレクイエムのように、それは無情に響いてくる。船長の、茫然自失となったその表情は、何が起こったのかを理解できない「アメリカ」の顔そのものを象徴しているようだ。

そしてそれを見つめる私たちもまた、同じ立場に立たされていることにようやく気づく。米国中心主義の西欧文明の世界は既に崩壊していると。そして、語るべき世界は他にもあったのだ、と。






■追記(2010.11.1)

この映画のレビューを書いた後にコメントをいただきましたが、その内容も本記事に併せて追記しておこうと思います。


この映画は"難解"とも言われる作品ですが、私にとってはとても”極私的”な感想しか思い浮かばせないものであり、身近に感じていた気持ちが映像に表れているような物語でした。

私は学生時代、転校が多く、そのたびにカリキュラムが異なったり重なったりしたために社会科の授業で「世界史」を受けたことが実はありません。 そして、海外へ行く時は現地の友人や親戚がその地にいてくれるので、私が得た「世界史」の知識は、ほとんどが"実体験"と好きな"映画"からで成り立っており、その組み合わせが今の私の世界観=世界史を作っているように思います。

9・11の後、私の日本人の友人がアメリカでイスラム教に改宗しました。
彼女はいわゆる帰国子女で、「スタイルが悪くなるから子どもを生むなんてイヤだな」なんて言ってしまうタイプの女性だったので、当時の私は本当に驚きました。 それで私も彼女やイスラムを理解しようと、クルアーンやアラビア語を少し学んだりしたのです。

私には、エジプト人、トルコ人、マレーシア人のムスリマの友人がおり、またフランス人、イタリア人のクリスチャンの友人もいます。そのため、この映画は私にとっては、歴史の話でも観光地巡りでもなく、ただ友人達を思い起こさせてくれるとても身近に思えた作品だったのです。しかも、毎日散歩で歩いた海岸沿いやお喋りしながら歩いた寺院など、思い出の地が次々に出てくるのですから。

この映画では、3人の女性達が自国の言葉で語り合うシーンが出てきますが、 私とフランス人とトルコ人、いつも一緒にいた3人で同じことをやってみたことがありました。勿論遊びでやっていたのですが、この映画を観てとても驚きました。ただ、この映画と違う点は、フランス人の子は英語をまったく話すことが出来ず共通語はイタリア語、そして3人それぞれが、欧州(クリスチャン)・中東(ムスリマ)・アジア(仏教徒)の出身だったということです。

・・・・そんなわけで、私が書いたこの映画のレビューは、本当に論理的に考えたり深読みしたわけでもなく、まったくの私的な思いや感情からのものだったのです。各国の歴史を、ただ「歴史」という科目の中で勉強しただけでは感じられなかったであろう物事が、この映画の中ではゆっくりと目の前に流れていきます。欧米から見た中東やアラブへの感情というものと、またその逆の見方というものは、日本の中で見聞きするニュースや報道では知りえない驚くほど深い溝が横たわっていることを私は直に経験しました。その隔たりやギャップというものを、「歴史」という側面から「時代」を捉えて「映像」で表現した映画なのだと、私は解釈しました。

歴史的建造物や宗教等についての解説はいくらでも勉強できますが、この映画の船旅ように"実感"できることは実生活においてはなかなかないでしょう。私たちはこの時代に起こっていることに関して、もっと敏感に反応していかなければならないのではないでしょうか。高齢であるマノエル・デ・オリヴェイラ監督の表現力には、本当に頭の下がる思いでした。




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