お散歩シネマ 映画の世界へ出かけよう!!映画の数だけ、もっと世界は面白くなる! 

『約束の旅路』 (2005/フランス)

   ↑  2010/09/30 (木)  カテゴリー: シリアス、社会派
8月鑑賞映画memo 第8弾『約束の旅路』





約束の旅路 デラックス版 [ シラク・M.サバハ ]


●原題:VA, VIS ET DEVIENS / GO, SEE, AND BECOME / LIVE AND BECOME
●監督:ラデュ・ミヘイレアニュ
●出演:ヤエル・アベカシス、ロシュディ・ゼム、モシェ・アガザイ、モシェ・アベベ、シラク・M・サバハ 他
●1984年、干ばつによる飢饉や内紛を逃れ、隣国スーダンの難民キャンプへと辿り着いたエチオピアの母子。母親はそこで「エチオピア系ユダヤ人」だけがイスラエルに脱出できることを知る。母子はキリスト教徒だったが、母は9歳の息子を生かすため彼にユダヤ人と偽るよう命じ、ひとりイスラエルへと旅立たせるのだった。やがて少年はシュロモというイスラエル名を与えられ、リベラルな思想を持つヤエルとヨラムの夫婦の養子となる。新たな家族から大きな愛情を注がれるシュロモではあったが、実の母への思いは断ちがたく、また肌の色による壁や自分を偽り続けることへの後ろめたさが彼を苦しめ続けるのだった・・・。



「イスラエルが昨年11月から停止してきたヨルダン川西岸などでのユダヤ人入植地建設が9月26日に期限切れを迎え、入植予定地ではユダヤ人入植者らによって建設再開に向けた式典が開かれた」というニュースが入ってきました。入植再開にもかかわらず、イスラエルのネタニヤフ首相はパレスチナ自治政府・アッバス議長に【和平交渉継続】を呼びかけたとのこと。「交渉」にもならないことは目に見えているのに・・・。






この映画で描かれた「"ユダヤ人だけ"を救出する」というモーセ作戦(と後のソロモン作戦)自体、私は人道的支援とは異なる行為だと思っています。「救出」とはいえ、イスラエルの対パレスチナ政策に起因する(ユダヤ国家定着のため人口および入植者増加を目的とした)ものであり、同じ干ばつや貧困にあえぐキリスト教徒たちは選別され、救出の道は与えられなかったのですから・・・。

とはいえ、エチオピア系ユダヤ人(ファラシャ)が、太古の昔から聖地エルサレムへの"帰還"を夢見ていたのも事実です。旧ソビエト政権治下のエチオピアでは移民は禁じられていたうえ、襲撃、拷問、疲労、餓えや渇きなどで命を落とす者も何千人と出でも、彼らはイスラエルへの切符を手にできるスーダン難民キャンプを目指して歩き続けたといいます。過酷な道を、彼らは歩んできたのです。

そのため私はこの作品を「シオニズムベースの感動のプロパガンダ映画だったら本当に嫌だな」と、実は穿った気持ちで観始めたのですが、ユダヤ人とユダヤ教徒(とイスラエル)が抱える問題を、この映画は少年シュロモの成長とともにキッチリ浮かび上がらせていることに途中から気がつきました。

主人公はもちろん、周辺の人々を引き裂き苦しめたのは、次第にエスカレートしていくパレスチナとイスラエルの対立による「政策」に他なりません。ここに描かれる映画の人物の誰が悪いというわけではないのですよね。誰かを押し退けて自分一人が幸福になりたいわけでもない。それどころか、自分を犠牲にしてでも愛する家族を守りたいという感情が溢れ出ているのです(邦題の「約束の旅路」というと所謂シオンの地を思い起こさせますが、この映画を最後まで観ると「約束」という意味が原題の『Va, vis et deviens(英題「Go, live and become」)』という、シュロモへの母親からの言葉だとわかる)。自分が生まれた国の、宗教の、政治の、家族の、コミュニティの中で、それぞれが自分たちの信じる小さな幸せを願っているだけなのです。





加えて、この映画でユニークだなと思ったのは、少年シュロモをイスラエルで養子として迎え入れる家族の設定が「左派で無神論者」という点です。そうか、こういう人々もいるんだなと改めて感じさせられました。

そしてその養父親役のロシュディ・ゼムは、実際はイスラム系アラブ人という点も。
この面白いキャスティングには、監督の思いが伝わるようです。ゼム自身もインタヴューで言っているのですが、イスラエルでもパレスチナでも平和主義・共存を目指す人々はいるが、彼らは「非愛国主義者」として扱われてしまうとのこと。それでもこの映画は「共存」という希望を私達に僅かに見せてくれる光のようです。






母親と再会するため運命に立ち向かうシュロモが当然この映画の主人公なのですが、彼と結婚した女性サラの選択と存在こそがこの作品に込められた希望なのでは・・・という気がしてなりませんでした。

国家にも宗教にも人種にも翻弄されず、ただ目の前にいる青年だけを思うことのできる力。シュロモの出自を知った上で彼女が決断する行動。言葉にするのは簡単ですが、容易に出来ることではありませんし、ましてやそのような感覚を持ってサラが成長してこられたこと自体、私には奇跡にすら思えるのです。




手を握り合える所に友人がいたら、これほどまでに憎み合う世界はなかったかもしれない。
そう感じるこの思いは、そのまま私にも返ってくる想いです。イスラム教徒、キリスト教徒の友人はいますが、イスラエル人やユダヤ教徒の知り合いはいない(ユダヤ系はいたのかもしれないけれど)ため、彼らの痛みを私は本当は知らないのです。

私自身、曽祖父の代にアメリカへ移民した日系の家系ですが、彼らが大戦中に日系人収容所に収容されたからといって、私はアメリカ人全てを恨んでいるわけではないのです。

どの時代においても、人間どうしの絆や繋がりは国家や政策の犠牲になるものです。そしてそのことを忘れてしまうと、私達はいつの間にか知らない力に翻弄され、醜い争いへと身を投じることへと連鎖していくのです。世界が今、再び忘れ始めてきたことを、この映画は「ファラシャ」をテーマに静かに教えてくれるように感じました。

関連記事

■この記事に関連する映画制作国、地域 : フランス映画 アラブ・中東映画 

FC2共有テーマ : 心に残る映画 (ジャンル : 映画

  2010/09/30 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

Comment

コメントを投稿する 記事: 『約束の旅路』 (2005/フランス)


  任意 : 後から修正や削除ができます。
  非公開コメントとして投稿する。(管理人にのみ公開)
 

Trackback