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『ジュリア』 (1977/アメリカ)

   ↑  2010/04/16 (金)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー




ジュリア [ ジェーン・フォンダ ]


●原題:JULIA
●監督:フレッド・ジンネマン
●出演:ジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ジェイソン・ロバーズ、マクシミリアン・シェル、ハル・ホルブルック、メリル・ストリープ 他
●劇作家リリアン・ヘルマンによる小説「ジュリア」(原題「ペンティメント」)を、フレッド・ジンネマン監督が映画化。第2次大戦直前の混乱期、作家としてアメリカで成功を収めつつあったリリアンは、親友ジュリアから反ナチス運動資金を届けるため厳戒体制下のベルリンを訪れるよう密かに連絡を受ける・・・。1977年のアカデミー賞で10部門ノミネート、3部門受賞した。




主演は政治活動色が非常に強い「イメージ先行型」の英米代表女優さんの揃い踏みというわけで、鑑賞するにもかなり気後れしたのですが・・・・やっぱり怖いもの見たさも手伝って(恐る恐る)鑑賞してみました。

巨匠ジンネマン監督はもとより、脇を固める俳優陣が個々に素晴らしく、また中盤のパリからモスクワに向かう列車移動におけるサスペンスフルな展開にはクラクラと目眩するほど見入ってしまいました。ただ、映画作品全体としては、地となるストーリーそのものに中途半端な感が否めず、また主人公(原作者)が「ジュリア」に比べてさほど魅力的に描かれていないためか、全体的にはどこか緩慢なイメージすら持ちました。ですがともかく、ユダヤ人であるリリアンが予定を急遽変更して列車でベルリンに入る展開だけは、ダントツズバ抜けた緊張感が漲っていますので、これだけでも観る価値はあったというもの。

プラス、この映画はメリル・ストリープのスクリーンデビュー作でもあるんですね。ほんのわずかな出演時間ですが、若くありながらも上流社会独特の気だるい色香で貫禄ある演技を見せてくれますので、見所は充分です。




・・・と、ここまでは鑑賞当日に「下書き」として残しておいたものなのですが、それから数日、この映画についてちょっとぼんやり考えていました。

余談ですが、私は映画を観るときは極力1人でいられるようにしています。人生のほほんと過ごしている私ですが、こと映画に関しては、友人や元恋人や元オットだった人でもなるべく同伴しないようにしていました。鑑賞後、すぐにペラペラと作品について話したり、わからなかった点を安易に口にするのが本当にダメなんです。ゆっくりと時間をかけて、映画の中を漂ったまま、自分の中で噛み砕いたり味わったりしながら作品を理解していくことが最高に贅沢な時間だと思っているからです。なので「あれってどーゆーことぉ?意味わかんなーい」なんて映画館を出ながら発するなんてもう、口が裂けてもできません。自分で考えてからにしろー!って思います(笑)

閑話休題。


で、しばらく一人で考えていたんですね。実はこの映画、アカデミー賞での評価も高く世間では「2人の女性の友情に泣いた」という絶賛の声が圧倒的に多いにもかかわらず、なぜか私は「絶賛」できなかった。あぁ私の感性はズレているんだろうか?冷たいんだろうか?枯れているんだろうか!?一体何が、私の中で引っかかってしまったのだろうか?と、少ししょんぼりしながら考えていました。


この映画の原作、リリアン・ヘルマンの「ジュリア」は、作者の回想録という形をとって出版されていますが、実はフィクションなのではないか?という説が根強くあります。というのも、ヘルマンの「友人ジュリア」以外の人物はすべて実在し史実通りであるにもかかわらず「ジュリア」についての情報は明らかなものがなく、さらに「ジュリア」とまったく同じ境遇でナチス時代ウィーンで地下活動をしていたミュリエル・ガーディナーという人が別に実在しているからなんですね。しかも彼女は「私がジュリアのモデルである」と公言し、回想録まで出版しているのです。

暗号名はメアリ―ナチス時代のウィーン


つまり、ヘルマンは自分の人生の中に「ジュリア」という架空の人物を置くというスタイルで自伝を執筆したのではないか、ということなのです。これはこれで非常に興味深く面白い手法だとは思うのです。が、しかし、なぜか、私の中で黄色信号を点すものがこの先にあったようなのです・・・


これはあくまでも映画の中の描写ですが、リリアン・ヘルマンは長く同棲していた著名な作家ダシール・ハメットに精神的に支えられながら戯曲作家として成功をおさめる一方、短気で怒りっぽく、状況把握するにも鈍いところがあり、彼女のとる行動の原点たるものが物語の終盤までどうも掴み難いものがあります。聡明で気高く機知に富み、温かな包容力と行動力のある完璧なまでの女性「ジュリア」が、なぜリリアンと濃密な友人関係であるのか。それを響かせてくれるものを、私はどうも感じ取ることができなかったようなのです。「親友」って何でしょうか?たとえ喧嘩や行き違いがあっても互いに手を差し伸べあい、離れていても絆を深め合い思いやって生きていく。映画の中でのリリアンとジュリアには、そういった時の積み重ねがあまりに薄かったように思うのです。リリアンからの一方的な視点が中心だったからかもしれません。

そして最終的に、それはもしかしたら・・・もともと「友情」を、あるいは「ジュリア」を描くことが目的ではなかったのではないか?と、私は気が付いたのです。

未完の女―リリアン・ヘルマン自伝 (平凡社ライブラリー)


『僕の伝記を書くなんてやめた方がいい。どうせ、それはハメットという名の友人が時々出てくるだけのリリアン・ヘルマンの自伝になるだけのことだろうから』
(リリアン・ヘルマン著「未完の女」より)
ダシール・ハメットが述べたというこの一文に出会った時、私は思わずハッとしてしまいました。もしかしたらこの「ジュリア」という"物語"は、フィクションである友人との友情を描いたものではなく、(一見矛盾するようですが)フィクションを語った上での自分語りのための自分史だったのではないかと思ったからです。



エリア・カザンを軽蔑し、ハリウッドのマッカーシズムに真っ向から対立したヘルマンの強さ。彼女の激しく情熱的な性格は、「ジュリア」をも自らに取り込んでしまうほどの強靭な自己と自信への表れのようにも感じられ、私のような人間からしてみると気後れするほどです。

『油絵は年月を重ねると、時として透明になることがある。すると、最初に描かれた線が見えるようになる。ドレスに透けて見える木。こどもが犬に道を譲り、海からボートが消える。これを”ペンティメント”という。画家の心変わり(リペント)の結果なのだ。年老いた今、私は昔の私にあったもの、そして今あるものを思う』
(映画字幕訳 稲田嵯裕里)
映画のプロローグで呟くように語るこの言葉こそが、「ジュリア」を内に秘め、激動の時代を自らの信条を貫いて生き抜いたリリアン・ヘルマンの本心を総て集約しているのだと思うのです。何しろ「ペンティメント」とは、この回想録を収めた自伝的短編集の原題なのです。

物語の内容が事実かどうかはともかく、「ジュリア」とは、リリアン・ヘルマンという女性の生き様が透けて見えてくる”ペンティメント”を描いた作品なのだと、今の私は解釈しています。

ジュリア@映画生活




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