お散歩シネマ 映画の世界へ出かけよう!!映画の数だけ、もっと世界は面白くなる! 

『複製された男』 (2013/カナダ、スペイン) ※全力でネタバレしています!!

   ↑  2015/02/09 (月)  カテゴリー: サスペンス、ミステリー






複製された男 [ ジェイク・ギレンホール ]


●原題:ENEMY
●監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
●出演:ジェイク・ギレンホール、メラニー・ロラン、サラ・ガドン、イザベラ・ロッセリーニ 他
●大学の歴史講師アダムは、同僚から薦められた映画を鑑賞中に自分と瓜二つの俳優を発見し、取り憑かれたようにその俳優のことを調べ始める。やがて「アンソニー」という名前を突き止め、彼に会いに行くことに。二人は服装以外、後天的に出来た傷跡まですべてが同じだった。まったく同じもう一人の自分の存在に気づいてしまったアダムとアンソニー。彼らの運命は、互いの恋人と妻をも巻き込んで思いも寄らぬ方向へと向かっていくが・・・。、ノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの同名小説を映画化したサスペンス・ミステリー。




この映画は感想を書くというよりも、ネタバレ承知でそのままで誰かと「あれはこう思わない!?」と話をするのが一番面白い作品ではないかと思います。

邦題は『複製された男』というくらいなので、「これはきっとクローン系のお話だな!」とニラんで観始めてみたものの・・・、あまりに緊張感を煽る音楽が主人公の不安定さを意味不明なほど増幅させていく様はほぼホラー映画。で、「何で主人公はそんな行動に出るんだ!?」とか「悩むのはソッチの話かい!」と、完全に理解不能な展開となっていくんですよ。


しかも、これはSF系だったのか!?と脳内軌道修正したくなるような巨大蜘蛛が街に現れたりするので、最後の最後のカットなど思わず本当に「うわっ!!!」と声が出てしまいましたよ。ハズカシ~

で、結局意味不明のまま【第1回目鑑賞会】が私の中で終わり、精神的にヨロヨロしたまま公式サイトへ確認してきました。この公式サイトというのがもう、あまりに丁寧な解説、というかみんなで全力でネタバレしていこう!という主旨になっていて逆にビックリしたくらいでしたが(笑)、観直す時の心構えをするのに大変参考になりました。





では、ここでこの映画を観る時に重要となるキーワードを、少しだけ挙げてみたいと思います。重要と言っても、私が勝手にそう感じただけですが。

映画『複製された男』の原題は「Enemy」であること。
英語圏でのキャッチコピーは "You can't escape Yourself!" 
主人公「アダム」が大学で繰り返し講義していた内容は、全体主義国家がいかにして民衆を支配するか?そしてそれが歴史上、何度も繰り返されているということ。

そして原作者のジョゼ・サラマーゴについて。
3歳の時(1926年)に彼の祖国であるポルトガルでクーデターが起き、軍事独裁政権が成立。この第一次共和国時代の崩壊という事件と共に、今度は1974年の民衆によるクーデターで独裁体制が崩壊するという大きな歴史のうねりを経験をしてきた人物。さらに、強烈な体制批判&怒涛の宗教批判を繰り広げた完全なまでの無神論者。そして映画ファンであれば、ジュリアン・ムーア主演の『ブラインドネス』の原作者であることもよく知られています。

ブラインドネス [ ジュリアン・ムーア ]

The Double: (Enemy)



因みに、この映画で最も印象的なモチーフである「蜘蛛」は原作には出てこないのだそう。


でも、映画では路面電車のケーブルは蜘蛛の巣に見え、激突した車のガラス窓はまるで蜘蛛の巣のようにひび割れ、街には巨大蜘蛛。妻のシャワールームの壁は蜘蛛の巣状に湯気がたちこめていましたよね。映画版オリジナルの存在であるこの「蜘蛛」を心理学的な見方より「縛り傷つける女性」「束縛する母親」と解釈できるとしたら・・・・
参考 ユング心理学における“蜘蛛”の解釈



※さぁ、それでは以下は『複製された男』のネタバレ、内容に深く関わります。
 未見の方やこれからこの映画を観よう!と思われる方はお控えいただくことを強くオススメいたします。





        ↓  かなりネタバレ注意  ↓


        ↓  かなりネタバレ注意  ↓






ズバリ言うとこの映画は、一人の主人公の中で2つの人格がせめぎ合い、抑圧や支配から潜り抜け、自己を再構築させていく過程を描いた物語なのだと思うのです。解離性同一性障害について書かれたダニエル・キイス著 『24人のビリー・ミリガン』 を例に出すとわかりやすいかもしれません。

24人のビリー・ミリガン 上 ダニエル・キイス文庫 / ダニエル キイス 【文庫】


つまり、"表"に出てきている人格が「アダム」か「アンソニー」かを見極めることで、
①現実世界で起きていることなのか?
②主人公の頭の中(意識下)で起きていることなのか?

という2パターンの区別がつき、この映画が二つの人格による物語で構成されているのではないかと思うのです。


tapelinepink.jpg
※ズバリ!とか言っておきながらナンですが、これはあくまで"私はこのように映画を理解した"というだけですので、もちろん「蜘蛛女地球乗っ取り説」でも「ドッペルゲンガー説」でも「SF系パラレルワールド説」でも、観る人の数だけ様々な世界観が生まれて面白いと思うのです。今回はこの「ビリー・ミリガン説」を前提として、物語の流れをざっと解説してみようと思います。

主人公は半年前まで売れない役者をやっていて、高級マンションに住んでいる「アンソニー・クレア」。けれど「いつまでもそんな気ままな暮らしをしていないで」という母親の意向と妊娠した妻ヘレンのため、大学で非常勤講師の職に就くことに。しかし、もともとの主人格(彼の中の核となる人格)で女癖の悪い「アンソニー」は、セックスクラブに行ったり妻以外の女性と関係を持つなど浮気な生活を送っており、次第に彼の中で「映画は嫌いだ」「ブルーベリーは食べない」と"支配や欲望"に抵抗しようとする「アダム・ベル」という交代人格が生み出され、やがて時折「アダム」が表に現れる(自分の昔の事務所にサングラスをかけて行ってみたり、家に電話をかけて妻と話をしたり)(*注1)ようになります。

彼らは互いの存在に気づいてはいませんでしたが、「アダム」が妻と接触を持ったことをきっかけにして遂に"対峙"することに。どちらが主人格となるか!?の格闘の末、交通事故のクラッシュというイメージで「アダム」が「アンソニー」を消滅させることに。妻も気遣いのある優しい「アダム」との生活に安堵するものの、彼がまた「秘密の鍵」を見つけて出かけようとすることに勘付き・・・・となり、あのラストカットに繋がるというわけです。



因みにこの線で考えていくと、映画の冒頭に出てくる「アダム」の住む質素なマンションは、主人公の頭の中の「アダム」の居場所であり、恋人メアリもまた"現実"の女性ではなく、アダムが自分の中に作りだした恋人象なのかもしれません。メアリはこの映画で外界の誰とも接触がないんですね。「アンソニー」はヘレンのことを「俺の妻」と言い、メアリのことは「アダム」に対して「お前の女」と言っていることから、アンソニーがメアリをストーキングするシーンは彼の意識下でアダムの世界に入り込んでいたものだと思われます。





この説で『複製された男』を考える時にちょっと解りづらくなるのは、冒頭から交代人格(副人格というのでしょうか)である「アダム」が映画的な主人公として物語が展開されている点かもしれません。

そのため、主に"表"に出ていた「アンソニー」が"他の誰か"として扱われたり、或いは「アダム」や「アンソニー」の意識が突然表出するカットバック(映画の冒頭、アンソニーの妻ヘレンがアダムのベッドに座っているetc)が入るなど、映画全体が朧げで漠然とした、まるで誰かの意識そのもののような曖昧さで観る者を翻弄し続けるのです。


二つの人格はホテルの一室で互いの存在を知ることとなり、どうして"こんなこと"になったのかと悩む(=つまり自分自身との対峙する)ことから主人公の不安定さがより増していきます。さらに「アンソニー」が「アダム」の家を訪れ、「あんたが妻を巻きこんだっ!!」とブチ切れ始め、服を交換してメアリに会いに出ていく・・・というワケのわからない展開(しかも、お互いどこか承知しているらしく観ている側は置いてけぼり状態!)となるわけですが、2度目に観た時に"アダムの家で行われていること全て=彼の意識下(脳内)で行われていること"と置き換えた時点で色々としっくりし始めました。

その後「アンソニー」が部屋を出ていき、「アダム」が椅子に腰かけ考え込んでいるカットが映りますが、ここで主人格は「アダム」に交代しているんですね(←その夜を妻と共に過ごすことから)。交通事故のシーンですが、これも勿論主人公(この時は既に「アダム」が主人格)の意識下でのイメージで、それによって「アンソニー」が消滅した(統合なのかな?)ということを意味しているのでしょう。

「アダム」と「アンソニー」の関係は、ただの善と悪というワケではないところが面白いと思います。妻が妊娠したことから他の女性と関係を持ちたい欲望が「アダム」を生み出したのかもしれないし、いや「アダム」が妊娠させたというのが本当なら「アンソニー」もちょっと可哀想ですし、ラストでまた秘密クラブの鍵を持ってソワソワしてしまうあたり"歴史は繰り返す"とアダム自身が講義で言っていたそのまんまで、「オトコってまったく!」という皮肉なラストは映画版オチとして非常に面白いなと思いました。






それにしても、この映画で一番被害を被ってまともな反応をしているのは、妻のヘレンですよね。女性視点で見ると、なんとも気の毒で仕方ありませんでした。

一番最初に観た時、彼女のリアクションは、夫の過去の浮気相手に悩んでいるためかな?とか、夫にソックリな「アダム」の存在に驚いているだけかな?と思っていたのですが、二度目に鑑賞した時には

「一体、なんなの!?」「本当はわかっているんでしょ?」「とぼけないで!」

と涙ながらに必死に夫に訴えかける彼女が本当に可哀想で。夫が電話で"誰か"と会話したり、勤務先の大学で自分のことを知らない様子を見せたり、更にそこでかけた携帯電話にはまた"夫"のようにして出たりする・・・・、あぁもうどれだけ怖かったことか!ただでさえ不安定な妊娠中にホント可哀想・・・。


line.png


*注1:「アダム」が現実世界の人間と話しているシーンは、彼が"表"に出た時として解釈できます。


他の講師におすすめ映画の話をされる時。「ぼくは"外出"しないし、映画も観ない」
事務所の守衛に「アンソニー、6か月ぶりだな!」と言われ、封筒を渡される。
母親に「あなたは大学の先生をやっていて、良い部屋に住んでいるじゃない」
妻に「今日、学校はどうだった?」と尋ねられる。
マンションの守衛に「クレアさん・・・また連れて行ってください!」と懇願される。


line.png


最後に、最も気になったこと。
それは、この映画の冒頭で「アダム」の留守番電話に母親から残されている「アダム、新しい"部屋"を見せてくれてありがとう。でもあなたが心配だわ。気ままに暮らしていて不安はないの?」という言葉でした。彼のことを「アダム」と確かに呼んでいるからです。

でも・・・・この電話もマザコン気味である彼の意識下での母親からの語りかけだったのかな。
本当は役者をやりたかったのに、きちんとした職業に就けていなかった「アンソニー」の中での葛藤。その証拠に、母親から「三流役者の話なんてしないでちょうだい」とピシャリと言われた後に巨大蜘蛛が再び現れ、「アンソニー」「アダム」という二つの人格分裂と敵対化が急激に進むからです。・・・ま、この母親、イザベラ・ロッセリーニという時点で『ブルーベルベット』の悪夢のような世界を思い出さずにはいられませんよね。悪夢再び!といったところでしょうか。



関連記事

■この記事に関連する映画制作国、地域 : カナダ映画 スペイン映画  

FC2共有テーマ : 個人的な映画の感想 (ジャンル : 映画

  2015/02/09 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

Comment

コメントを投稿する 記事: 『複製された男』 (2013/カナダ、スペイン) ※全力でネタバレしています!!


  任意 : 後から修正や削除ができます。
  非公開コメントとして投稿する。(管理人にのみ公開)
 

Trackback