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『あしたのパスタはアルデンテ』 (2010/イタリア)

   ↑  2012/11/18 (日)  カテゴリー: ロマンス、ドラマ



あしたのパスタはアルデンテ [ リッカルド・スカルマチョ ]


●原題:MINE VAGANTI
●監督:フェルザン・オズペテク
●出演:リッカルド・スカマルチョ、ニコール・グリマウド、アレッサンドロ・プレツィオージ、エンニオ・ファンタスティキーニ、ルネッタ・サヴィーノ、イラリア・オッキーニ、ビアンカ・ナッピ、エレナ・ソフィア・リッチ、ジョルジョ・マルケージ 他
●ローマに暮らす作家志望の青年トンマーゾ。実家の老舗パスタ会社を継ぐ兄アントニオの社長就任を祝う晩餐会に出席するため、南イタリアのレッチェに帰郷する。彼は晩餐会で「家業を継ぐ気はなく小説家を目指していること、そして自分がゲイだ」ということを告白しようとするのだが、なんと兄が「自分はゲイだ」と宣言してしまう。父は怒りのあまりアントニオを勘当して卒倒してしまい、図らずもトンマーゾが共同経営者の娘で奔放な美女アルバと協力してパスタ工場の運営に当たるはめになるのだが・・・。




『あしたのパスタはアルデンテ』のイタリア語原題"MINE VAGANTI"の意味は「浮遊機雷」「歩く地雷」・・・・つまり「危険分子」のたとえ。そう、それは「時にはすべてを打ち壊すことも必要よ」と教えてくれたおばあちゃんのこと!!邦題で使われた"アルデンテ"よりも、ずっとずっと過激なタイトルでこの映画のテーマを教えてくれている気がします。

邦題から連想するような軽めの"ハートフルコメディドラマ"かと思いきや、意外と酸味やら苦味が効いていて、美味しいフード系映画なんかじゃありません。楽しくてシリアスで、笑えて泣けてくる、そんな映画でした。






いやぁ、それにしても!
生真面目な印象のあったフェルザン・オズペテク監督が、まさかの爆笑シーンを撮っていたとは本当に意外!!オズペテク監督の作品だとも知らずに観ていたので、後で知って余計にビックリ。ローマからの珍客で、あの"ゲイゲイしいお友達"のくだりにはやられました。映画を観てこれだけ盛大に吹いたのも久々かもしれない(笑)。

イタリアのまだ非常に伝統的な文化では「息子の同性愛」という発見が"悲劇"だったりする部分をあえて飛び抜けたユーモアを交えて描いたことで、同性愛だけでなく登場人物たち各々が抱えている問題・・・自分を偽ることの滑稽さや"普通である"という枠から抜け出せないことの愚かしさを一層色濃く浮かび上がらせていました。大笑いしたりジーンときたり、コメディとシリアスのバランスが本当に巧い!!



「記憶」と「現在」を交錯させ、どこか悲しげでミステリアスな伏線を張りながらも、すべてを詳らかに説明したりせず、観る側の想像に任せる部分を残してくれているエンドロールには最後まで釘付けでした。安易なハッピーエンドを持ってくることなく、ほんの少しの苦味と、ほんの少しの解放感を感じさせてくれること。ラストのガーデンパーティで、トンマーゾが送る視線の先、彼がこの後どんな人生を選択して歩んでいくのかな・・・・なんて想像を広げると少し優しい気持ちになれる不思議な余韻が残り、中盤のコメディパートと上手くバランスをとりながら、人間の持つ業や生きていくことの生々しさを感じさせてくれる物語で、私はとても好きでした。





 向かいの窓



実はこの『あしたのパスタはアルデンテ』を観た後ですが、私は同監督作品で以前イタリア映画祭で観た濃厚なメロドラマ『向かいの窓』という映画のことを思い出し、何かストンと胸に落ちてくるものを感じました。


フェルザン・オズペテク(Ferzan Özpetek)監督はイタリアを拠点に活躍しているトルコ人監督(イタリアの市民権も持っている)で、自身がゲイであることを公言している人物です。

そのルーツは様々な形で彼の作品に映し出されています家族、思い通りにならない人生、叶わなかった恋、同性愛、甘く美しい魅惑的なお菓子の数々・・・・『向かいの窓』でも描かれたオズペテク監督の視点や彼自身の思いが『あしたのパスタはアルデンテ』の中でもしっかりと息づいています。『あしたの・・・』で描かれるラブシーン(それがほんの数秒の抱擁くらいであっても)に、愛情の濃密さや愛おしさを迸るほどに表せたのはオズペテク監督作品だったからこそでしょう。


 
また、彼の作品における曲の使い方も彼のルーツを色濃く感じさせるもので独特です。「Sorry, I'm A Lady」や「50mila lacrime」など各シーンでも忘れがたいインパクトを与えてくれましたが、その力が遺憾なく発揮されていたのはやはりエンディングでした。

映画的に非常に特徴的・象徴的なシーンがこの映画のラストを飾るのですが、ここで流れてくる音楽が急にアラブ風に変わりトルコ語の歌になるのです。トルコミュージック界の大御所セゼン・アクス(Sezen Aksu) の歌う「Kutlama(祝賀会」。トルコ語が聴こえてきたことで、ここでやっとオズペテク監督の作品であることに初めて気が付いたというわけですが・・・


 
サントラにも収録されているRadiodervishの歌う「Yara」も、アラビア音楽独特の節回しを使って異国情緒あふれる雰囲気を醸し出しています。Yaraはトルコ語で"傷"の意味ですが、その歌詞はイタリア語を中心に浮遊感のある言語を混ぜているため、まるで『シチリア!シチリア!』でジュゼッペ・トルナトーレ監督が描いたような南イタリア独特の空気感を一気に纏うのです。ギリシャ風・アラブ風のエキゾチックな空気を漂わせることで、時代を超え、あらゆる人間関係を超えた絆や力強さ、人間の懐の深さを強く感じさせてくれます。

― 私は、イタリアとトルコとの間で分断されているという気はしません。これらの2つの国の間で生きることができるという事実は、最高に素晴らしいことなのです―
"Non mi sento diviso tra Italia e Turchia - continua il regista - Il fatto che posso vivere tra questi due paesi è bellissimo"
フェルザン・オズペテク監督インタビューより


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  2012/11/18 | Comment (2) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | edit

Comment


ラストの歌はトルコ語だったんですか~

やっぱり日本語しかわからないと海外の映画でわからないこと、気付けないことが多いですよね。はなまるこさんのように言語に明るい方のレビューは中身が濃いから参考になります!

個人的には、ラストのおばあちゃんの決着のつけ方さえ違っていれば大絶賛していたと思います。あの"ゲイゲイしいお友達"のくだり、私も大好きです。
邦題からは想像もつかない展開で、痛みを伴う明るさがこう”生きる”って感じ!
オズペテク監督の他の作品もいつか見てみたいです。

宵乃 |  2017/07/07 (金) 12:55 [ 編集 ] No.469


はなまるこより

宵乃さん、こちらにもコメント残していただきありがとうございました!

たまたまこのオズペテク監督については、イタリア映画祭からの流れやトルコ語などからちょっとだけ知っていたので入り込みやすかったのです^^; 思い通りにならない叶わない思いなど、恐らく監督自身の人生観が強く表れる作品が多いように思うのですが、生と死がクロスする(そして映画の冒頭にリンクする)ラストは素敵でしたね!

そうそう。この監督の映画では"甘いケーキ"というのが印象的に使われるんです。この映画でも最後にそれを持ってきていましたね。自死を禁じるキリスト教社会の中であの選択は余程のことだとは思うのですが・・・愛する人と結ばれなかった人生、自分の本当の人生を選びたかったおばあちゃんの最後の最後の決意だったのでしょうか。甘く美しいケーキも"叶わなかったもの"の象徴かと思うと、私はおばあちゃんの人生を思って胸がギューっとなってしまいましたi-201 確かにずっと元気に家族の中で生きていてほしいのが一番なのですけれどねi-241複雑ですね。。。

宵乃さんへ★ |  2017/07/09 (日) 22:30 [ 編集 ] No.472

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