『サン・ジャックへの道』 (2005/フランス)

はなまるこ

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サン・ジャックへの道


●原題:SAINT-JACQUES... LA MECQUE
●監督、脚本:コリーヌ・セロー
●出演:ミュリエル・ロバン、アルチュス・ドゥ・パンゲルン、ジャン=ピエール・ダルッサン、マリー・ビュネル、パスカル・レジティミュス、エマン・サイディ、ニコラ・カザレ、マリー・クレメール、フロール・ヴァニエ=モロー 他
●亡き母親の遺産を相続するため、1500kmもの巡礼路を一緒に歩くことになった険悪な3兄弟。ほかにも失読症を直して大好きな母親に喜んでもらいたい少年や、ワケありな女性など個性的な面々が同行することになるのだが・・・。




スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂。
世界遺産を紹介する番組などでよく目にするものですね。

ここで有名な「ボタフメイロ」の儀式とは、ミサの最中に大きな香炉(50kgほどある!)が振り子のように大聖堂内を行き来するというものですが、もともとは長期間歩き続けた巡礼者たちの臭気消しの意味があったそうです。フランスとの国境のピレネー山脈からの距離だけでも800~900Kmもあるといいますから、昔の人々はこの映画のようにツアーが組まれるような現在と違って、随分と苦労して歩き続けたことでしょう。

(財)和歌山社会経済研究所 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは
【(財)和歌山社会経済研究所サイト】より 世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」とは

聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)や巡礼路についての詳しい解説は、ぜひ上記リンクの【(財)和歌山社会経済研究所】さんのサイトなどをご覧ください。因みに、この映画での出発地点はフランスの「ル・ピュイ」からです。これらの歴史街道は、日本の熊野古道とも姉妹道提携が結ばれているそうです。余計なものを背負わず前進し、自分と向き合う心を持つ時間(監督のインタビューによると"自分探しの時間")は、きっとどの国の人々においても共通するものなのかもしれませんね。







で。これほど「キリスト教」とか「聖地」などの単語が出てくる舞台設定にもかかわらず、『サン・ジャックへの道』の登場人物たちは、自分たちの生活や人間関係にいっぱいいっぱいで誰一人としてキリスト教への信仰心を抱いていないところがまず面白いんですね。神様がどうだとか、宗教がこうだとかという話もほとんど出てきません。何しろ、唯一「神様」を心の拠り所にしている登場人物は、イスラム教の聖地メッカへ行ける!と勘違いしてついてきてしまったムスリムの少年、ラムジーだけなのですからエラく皮肉な話なのです(笑)。

また、特にフランスは"宗教色"を出さない教育を強く推進していますので、教職の女性クララと失読症のラムジーとの交流や、(一応)クリスチャンのカミーユとムスリムのサイッドとの恋物語など、宗教色などものともせずに心を通わせていくこの何気ない小さなストーリーが私は大好きでした。本来ならば寛容であるべき"宗教"に携わる聖職者たちを、この映画においては排他的で差別的、融通の利かない都合勝手な解釈をする存在として描かれているのも制作者側の深い思い、願い、風刺の姿勢を感じ取ることが出来て面白いところです。



そうそう!
『サン・ジャックへの道』の原題は「SAINT-JACQUES... LA MECQUE」(サン・ジャック...メッカ)なのですが、映画のポスターなどに使われているデザインをよくご覧ください。


↑本国のオリジナルでは、タイトル文字にキリスト教の【十字架】とイスラム教の【月と星】が描かれているのですが・・・・


↑日本版のデザインのフランス語原題部分では、なんとイスラム教のマークがなくなっているのです!これは残念だ~!!なんとなく小さな☆らしきものはデザインされてはいるんですけれどね・・・・「月と星」はただのおしゃれデザインではないのになぁ。

本当に何気ない部分ではあるのですが、オリジナル版の心意気をそのまま使用してほしかったなぁと強く思います。







さて。巡礼に参加する8人とツアーガイドのギイ、合計9人によって繰り広げられる2か月の旅の中、私が最も好きだったのは、ガンの治療で頭髪がなくスカーフを巻いた女性マチルドでした。

マチルドは最初、何も持たず気ままで人当たりの良いクロードとの交流に心を開いていきますが、彼がアルコール漬けの自堕落さを改めないところなどを途中でキッパリと見限ってしまうのです。その後、彼女が親しくなったのは・・・女性の賢明なる選択として理解のできる人物でした(笑)。私は、フランス映画のこういった潔さにいつも好感を持ってしまうのです。

この映画は、実験的、幻想的な夢のシーンを途中挟んだり、ひたすら一本道が続いていく巡礼路の風や美しい風景を爽やかに映し込んだり、或いはツアー参加者どうしの対立や心の交流など"映画的"(やや大仰だったり感傷的だったり)に描いていくのですが、それとは対照的なマチルドの存在や選択だけは妙に生々しく感じられました。フランス映画の素っ気なさとリアルさが私は大好きです。もちろん"映画的"なハッピーエンドもステキでしたが・・・。







重い荷物を背負い、迷路のように感じながら過ごしている日常は、本当は巡礼路のような一本道をひたすらにひたすらにずっと歩み続けているだけなのかもしれません。自分の足で歩いていれば、そのうち力もついてくることでしょう。周りの風景が見えてくるかもしれません。悲しみの時に誰かが手を差し伸べてくれる温もりに気づくかもしれません。人生の思いがけない喜びをこの映画は見せてくれました。もう少し、私も歩くことを諦めずにやっていこうかな、なんて思えるちょっとオトナの映画でした。歩き続けていればこんな素敵な映画にも出会えるんですもんね。


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