『ロック・ザ・カスバ!』 (2015/アメリカ) ※ラストに触れてしまいました

はなまるこ

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ロック・ザ・カスバ! [DVD]


●原題:ROCK THE KASBAH
●監督:バリー・レヴィンソン
●出演:ビル・マーレイ、ケイト・ハドソン、ゾーイ・デシャネル、ダニー・マクブライド、スコット・カーン、リーム・リューバニ、アリアン・モーイエド、ブルース・ウィリス 他
●落ちぶれた音楽芸能マネージャーのリッチーは、公演先のアフガニスタンで荷物を失ってしまう。仕方なく用心棒のボンベイと行動を共にすることになった彼は、たどり着いた先で天性の歌声を持つ少女に出会う。リッチーは、彼女を現地のオーディション番組に出演させることを思いつくが・・・。





主演はビル・マーレイ。
映画の舞台はアフガニスタン。

1987年の『グッドモーニング, ベトナム』で、南ベトナムに軍事介入を押し進めていった米国の矛盾に満ちた自己欺瞞、一方的な理想主義に切り込んでいったバリー・レヴィンソン監督が、この『ロック・ザ・カスバ!』で現代のアフタニスタンを舞台に一体何を見せてくれるんだろう!?なんてドキドキしながら観たのですが・・・・なんでしょうこれは、観終わって本当にガックリきてしてしまいました。

アメリカがアフガニスタンという国で背負っていること(きたこと)を考えると、このテーマでコメディを作ろうすること自体に無理があるように思うんですよね。




フガニスタンといえば。↑以前はこんな光景も見られていたんですよ。

今ではとても信じられないけれど、1979年のソビエト侵攻前は、険しくも壮大な山々と厳しくも美しい砂漠、国花のチューリップも美しい雄大な自然や文化を持つ、長い歴史と伝統のある国でした。しかし、中央アジアにどっしりと構える【シルクロードの十字路】とも言われる地理的な問題もあり、紀元前の頃から他国からの干渉・侵攻を繰り返し受け、帝国や大国、民族・部族の戦いの場として難しい問題え抱えてきた国家でもあります。

特に第2次大戦後は、旧ソ連とアメリカの勢力圏争いの中に巻き込まれていきました。1979年にはソ連がアフガニスタンを侵攻し、10年近くもムジャヒディン(アフガニスタンの戦士)と激しい戦闘を繰り広げることになります。アメリカは大量の兵器や資金を投入してバックアップ、ソ連を撤退させることに成功するもののムジャヒディン組織内(軍閥や民族)での凄まじい内紛が起き、これら長年の混乱の末に国内の経済・社会基盤は破壊され荒廃。そこでイスラム教原理主義タリバンの台頭を許していくことへと繋がりました。


アフガニスタンを取り巻く状況を知ることのできる映画もいくつかありますね。

タリバンの(というかアフガニスタンの)大部分を占めるパシュトゥン人による、極端に歪められたクルアーンの解釈や習俗・慣習などが女性の読み書きなど学ぶ自由を奪い、服従を強いることへ繋がったと言われています。現在、タリバンは旧支配勢力とはなったものの、治安の悪化や保守派・過激派による差別・攻撃などから女性教育を阻む力は未だ根強いままです。


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、ですね。このような状況下、一般の人たちがスターを目指して出場する「Afghan Star」というオーディション番組が若者たちを中心に熱狂的に受け入れられました。

すごいですよ、この番組!
一般視聴者による人気投票ということは、若者にとっては初めての"民主主義"の経験なのですから。それに伝統的で、保守的で、社会や民族内だけでなく、時には家族からも女性の権利や保護を命がけで守らなければならない地域出身者の女性が出演するなんて。どれほどの覚悟でしょう。

Afghan Star [Import anglais]


放送する側も、非難や脅迫の電話を受けていました。この番組でホストを務め、2009年に制作されたドキュメンタリー映画『AFGHAN STAR』のプロモーションに参加していたDaoud Sediqi氏は2009年にアメリカへ亡命することに。

「(Afghan Starという番組は)これまで行われていたようなリアリティショーとは違ったのです。民主不義や女性の権利を試すものだったのです。民族間の団結があり、国家への希望を取り戻したのです」。番組開始当初、観客は自分と同じ民族出身の出場者を応援する傾向にあった。Daoud Sediqi氏は語る。「アフガニスタンでは、異なる種類の選挙があるのです。しかし、出場者がトップ3に絞り込まれるにつれ、観客たちは彼らの民族的なバックグラウンドよりも才能を認めるようになっていきました」
"It wasn't just a regular reality show," he said. "It was a test of democracy, women's rights. There was unity between ethnic groups. It brought back hope to the country." In its initial episodes, the show's audiences tended to support contestants because they belonged to the same ethnic group. "We have a different kind of voting in Afghanistan," Mr Sediqi says.But gradually, as contestants were whittled down to the top three, audiences began to acknowledge talent rather than ethnic background. BBC NEWS [Afghan star fulfils his American dream] 28 October 2009


2007年放送の第3シーズンに出演した女性Setara Hussainzadaさんは、パンツルックで「Afghan Star」に出演し、スカーフを完全に取り去ってリズムをとって踊った姿が放送されるや否や、女性が公衆の面前に一人で出ることやブルカやスカーフをせずに歌ったり踊ったりすることを禁じるイスラム原理主義者らに激しく非難・攻撃されます。どれほど殺害の脅迫を受けても非難を浴びても、setaraさんは本当の自由を、自分の意志を伝えたかったのだと思うのです。彼女は自分自身に正直で、とても情熱的で勇気のある、そして美しい歌声を持つ一人の女性なのです。それだけなのに、彼女のいる文化の中ではそれは許されませんでした。

そして、このSetara Hussainzadaさんのエピソードにインスパイアされて作られたのが、この映画『ロック・ザ・カスバ!』というわけです。







前で歌舞が禁じられているパシュトゥン人の少女サリーマが訴えるんです。「私の声は神様が与えてくれた才能だから、自分の声で神様を讃えたい。歌で神様を祝福したい」。映画『ロック・ザ・カスバ!』の中で、一歩を踏み出そうとする彼女の勇気の言葉です。もし殺されるのだとしたら、それは神のご意志だとも。

に、対してですよ。
「俺の取り分は20パーセント!契約だ!」

えー。これ、私ビックリしたんですよね。
だって、この国の現実を考えればリッチーの行動や言動はあまりに安易すぎでしょう。何しろサリーマの命を危うくする"名誉殺人"に繋がってしまう可能性だってすぐに考えられますし、下手をすれば国家間の政治的緊張を招くレベルにまで発展しかねない、非常に危険な状況を生み出しているとしか思えない。

ビル・マーレイ演じるリッチーは、「アフガン・スター」のプロデューサーを口説き落とすために「彼女がテレビで歌えば、この国の人々に勇気を与えられる」とかナントカ言いますけれど「アメリカ人のくせに、この国や勇気なんかについて言われたくない!二度と言うな!」と怒られます。そりゃそうだ。で、そのあとに言うことは「稼ぎだ!」「取り分だ!」

だって、これがリッチーのキャラクターなんだもーん、と言いたげな映画ですが、このあとサリーマが歌うのはキャット・スティーブンスの「Wild World」(Mr Bigでも有名ですね)。彼がムスリムに改宗した人物だから、というリッチーの理由で。世界のマーケットを考えてのことなんでしょうけれど。でも、私はこの"無神経さ"に観ていてなんだか傷つきました。



旧ソビエト、パキスタン、アフガニスタン、タリバン、アル・カーイダ、911・・・・私だって鬼ではありませんから「これまでの歴史をこの映画ですべて背負い込めー!」と言っているわけではないですよ。が、しかし、でも、ですよ。金だ!成功だ!報酬だ!彼女の才能だ!と自分のことだけをやいのやいの言っているアメリカ人リッチーの価値観と、パシュトゥン人サリーマの人生を賭けた願いがまったく釣り合っていないとしか思えなかったんです。

もちろん、この国のバックグラウンドを詳細に描きこむ物語でもないでしょうし、それを訴えるドラマでもないでしょう。が、女性の権利保護や尊重を建前にしただけの、あまりにやりたい放題のアメリカ人の視点のみで動くこの映画には物語の奥行きがまったく感じられないのです。これ、舞台をアフガニスタンにする必要性なんて全くないじゃないですか。







映画のラスト、サリーマはこれまたキャット・スティーヴンスの「Peace Train」を歌うんです。一体サリーマは、誰に向かって歌っていると思っているんでしょうね。「アフガン・スター」って皆さん、自分たちの国の文化の言葉で、とっても情熱的な歌を歌いあげて皆が熱狂しているんですよ。どうしてここで「Peace Train」が・・・・。はい、それは映画製作側の自己満足のためだからです。

なぜか父親も理解を示したような表情を示し、テレビを見ているムスリムたちに笑顔がどんどん広がって感動のラスト・・・!という「西欧のポップカルチャーが世界に希望を与えられるんだ!」といわんばかりの一方的な正義感を見せつけられて・・・・ホント私はゾワゾワきました。

権力を持つ側が"一体化"と"自分たちの価値観"を押し付けて、それを喜んでいるのはアメリカ帝国主義そのままじゃないかと。おまけに日本公開時のポスターには「少女の歌声が世界を救う?!」なんて書いてあるんですよね。一体、"誰""どの世界"を救うって言うんだろうか。このご都合主義の映画全体が、実は壮大なる風刺になっているのでしょうか。


英語が通じないお店の人を小バカにしたエンドロールも・・・・ここにこの映画のスタンスが集約されているのではないかな、と私は本気で思いました。異なる視点を持つ文化の間には無理解から生まれる軋轢やだけではなく、互いを理解しようとする力が生まれ、そこに新しい繋がりが出来ると私は思っています。自分の言っていることが伝わらなければ言い通すだけ、というリッチーのこのコミュニケーション。私はちっとも笑えませんでした。






んだか今日はえらく刺々しい感想になってしまって、実は今ちょっとだけ反省しているのですが、でもモノハツイデと言いますので、この際もう一つ書いてしまおう。私、この映画の「ビル・マーレイあげ」の雰囲気に全くついていけませんでした。これだけズラズラ書いて、この映画にイヤな反応が出てしまったのは実はこのせいだけだったりして。


結局この映画の制作者が見ている方向はビル・マーレイだけ!のようにしか感じられなかったんですよ。無愛想で、神経質で、愚かで、皮肉屋で、でもそれが愛おしい【いつものマーレイ】を持ち上げて喜んでいる映画。彼が出演してくれるだけでありがたい!ゾーイ・デシャネルが中途半端に消えてもオッケー!ブルース・ウィリスの使い方も中途半端でオッケー!共演できるだけでオッケー!!

ビル・マーレイのファンの方にはきっと嬉しい映画となったのかもしれませんが、脚本自体とても中途半端な気がしました。



クラッシュの『ロック・ザ・カスバ』、映画では使われなくて本当によかったと思いますよ。

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