『手紙は憶えている』 (2015/カナダ、ドイツ) ※ネタバレ考察していますのでご注意を!

はなまるこ

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手紙は憶えている [Blu-ray]


●原題:REMEMBER
●監督:アトム・エゴヤン
●脚本:ベンジャミン・オーガスト
●出演:クリストファー・プラマー、ブルーノ・ガンツ、ユルゲン・プロフノウ、ハインツ・リーフェン、ヘンリー・ツェーニー、ディーン・ノリス、マーティン・ランドー 他
●最愛の妻に先立たれ、認知症も日々悪化していく90歳の老人ゼヴ。ある日、友人のマックスから1通の手紙を託される。そこには、目覚めるたびに記憶を失ってしまうゼヴのためにマックスが果たそうとしていた"ある使命"が詳細に綴られていた。2人はアウシュヴィッツ収容所の生存者で、ともに家族を収容所の看守に殺されていた。しかも、現在その犯人は身分を偽り、今ものうのうと生き延びていたのだ。手がかりは【ルディ・コランダー】という現在の名前で、容疑者は4人にまで絞り込まれている。そこで車椅子で体の自由が利かないマックスに代わりに、マックスは手紙とかすかな記憶を頼りにたった1人で復讐へと旅立つのだったが・・・・。




人生への迷いや苦悩などを未来へ向かって描いている元気いっぱいの映画もいいけれど、最近、年を重ねてから語ることのできる物語の方が耳を傾けやすいなぁ、理解できるなぁ、と思うことが多くなってきた今日この頃。

自分の親世代が高齢者となって身近な話題となってきていることもありますし、自分が"シニア"へと確かに一歩ずつ近づいていて、老いという姿が"遠い未来"ではなくなってきたということも。語る人たちの想いを他人事ではなく、自分にも関連することとして受け止め、理解できる年齢になってきたのだろうなぁなんて思います。


古今東西、年齢を重ねてきた人々のストーリーは、いつか自分にも返ってくる。そんな気持ちになりながら、自分より年上の人たちが語ってくれる映画を観ています。






今回観た『手紙は覚えている』という映画もそんな一つ。

映画の冒頭、ベッドで目を覚ました高齢の男性が起き上がり「ルース、ルース・・・・」と妻らしき人の名を不安げに呼び、探しています。ここはこの男性の家・・・・と思ってドアを開けると一変、養護老人ホームの現場が画面に広がるのです。

思い込んでいた世界が一転する老人の視点が観る側と共有され、それが鮮やかに映し出されるオープニングにまずドキリとさせられました。


認知症の症状が進んでいると言われている主人公のゼヴ・グットマン。
彼は眠りにつき、目を覚ます度に「愛する妻が既に亡くなっている」という事実を突き付けられます。忘れてしまっているんですね。目が覚める度に妻を失った世界を知り、そしてそれを忘れている自分にも傷つき、憔悴するゼヴの表情を映画では何度も何度も映し出します。年をとるのは何て残酷なことなのだろう、と。







認知症にはいくつかの段階があって、ゼヴの場合「妻を亡くした後に認知障害が進み、躁鬱気味でピアノも弾かなくなった」と施設長がゼヴの息子家族に説明していました。

【短期(即時)記憶障害】:ゼヴはこれが顕著に出ていて、1週間前に妻を亡くしたということも覚えていられず、今自分がいる場所もわからなくなって混乱してしまいます。これは認知症の早期段階に見られる共通の症状なのだそう。"復讐"への手順をマックスが繰り返し教えていた記憶もゼヴは曖昧であるため、マックスは全てを書き記した手紙をゼヴに託します。そうしてゼヴは自分の腕に「手紙を読むこと」とペンで書き込んでおくのです。ノーラン監督の『メメント』のように。

【エピソード(出来事)記憶の障害】:ゼヴは、過去の自分の体験が抜け落ちています。過去にアウシュヴィッツでマックスと共に過ごしていたこと、そして"ルディ・コランダー"の顔も「忘れていること自体を忘れる」状態。思い出せない部分がゼヴにはあるのです。

【手続き記憶】:時間をかけて体で覚えたもの。同じような経験の繰り返しにより獲得され「体が憶えている」状態。これはまだ問題ないようですね。ゼヴは素晴らしいピアノの演奏ができるのです。



・・・・ちなみに、この映画は

「驚愕のラスト5分をあなたは見抜けるか?」
「すべての謎が解き明かされるとき、あなたの見ていた世界は一転する。」


といった宣伝のせいで、いわゆる【どんでん返し】が見どころ、という先入観に捉われがちです。

が、それはあくまでも物語上の"仕掛け"であって"真相"ではないと思うのです。つまり、ラストの【どんでん返し】に驚かされたとしても、ゼヴが抱えていた本当の問題は、果たして【認知症】によるものだけだったのだろうか?という疑問から、この映画は始まるのではないかと思うのです。




これ以降は『手紙は憶えている』の内容に関わる記述があります。まだご覧になっていない方、これから鑑賞予定の方はご注意ください。


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4人の【ルディ・コランダー】

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『手紙は憶えている』という映画では、4人の【ルディ・コランダー】を登場させることによって、ナチスにも様々な立場の人間がいたことを示しているように思いました。

1人目のルディは、当時アウシュヴィッツではなくロンメル将軍と北アフリカに派兵されていました。「国家のために軍に仕えたことを誇りに思っている」「同胞たち、そして所属部隊にいたことを誇りに思っている」。戦後アメリカ入国に際してこのように答えた、と。そして、ユダヤ人を追放して労働収容所送りにすることについてはヒトラーが正しいと思っていたけれど、戦後アウシュヴィッツを知って恥ずべきことだと思っている。そうゼヴに語りました。

2人目のルディは、ユダヤ人としてではなく同性愛者として収容されていた人物でした。ナチスドイツにより、ユダヤ人だけでなく数多くの同性愛者や精神病患者、知的障害者などが迫害、虐殺されていました。彼の告白を受けたゼヴは、突然泣き崩れます。そして、彼に対し何度も何度も謝罪の言葉を繰り返すのです。すると"ルディ"は彼をまるで慰めるかのように、ゼヴの頭を優しく静かに撫で続けるのでした。

3人目。"ルディ"は既に亡くなっていました。しかし、彼の息子が強烈な反ユダヤ主義者としてルディの狂気を引き継いでいました。ナチスの鍵十字を掲げ、1938年の反ユダヤ主義暴動「クリスタル・ナハト(水晶の夜)」の話をまるで父親の楽しい思い出話のように嬉々として語るのです。そして、ある出来事がきっかけとなり、ゼヴは彼と彼の犬を射殺してしまうことに。「銃の扱い方を紙に書いて欲しい」そう言っていたはずのゼヴは、胸と頭部に一発ずつルディの息子を仕留めたのでした。

そして4人目のルディ。彼は「70年間、ずっと他人の視線を感じながら生きてきた」と言い、一人きりになった時に"自分の名"を口にしては"自分が誰であるか"を忘れないように生きてきた、とゼヴに告白します。そして、まるで懐かしい友に再会したかのようにゼヴを抱きしめるのです。彼の本名は、探していた「オットー・ヴァリッシュ」ではなく「クニベルト・シュトルム」なる人物でした。


マックスはこう話していました。
当時、死んだ捕虜の身分を盗んだSSが多くいた。その中に自分たちの家族を殺した「オットー・ヴァリッシュ」もいた。1940年代にアメリカに入った「オットー・ヴァリッシュ」は「ルディ・コランダー」という名に変えて移民となった、と。

しかし「クニベルト・シュトルム」なる人物に出会うことによって、明らかになったことがありました。それは、アウシュヴィッツ収容所でブロック責任者を務め、マックスの家族や数えきれぬほど多くの人々を処刑・殺害してきた元ナチス親衛隊員「オットー・ヴァリッシュ」とは、ゼヴ本人だったということ。







ゼヴ・グットマンのアイデンティティ


「私は囚人だった」と信じ切っていたゼヴの"アイデンティティ"は、恐らく1946年にアメリカのコニー・アイランドで妻ルースと結婚したところから始まるのでしょう。1945年1月のアウシュヴィッツ強制収容所の解放から、わずか1年足らず。ユダヤ人と切っても切れない関係にあるニューヨークという土地において。

例えばウディ・アレン監督作品『ラジオ・デイズ』は、ユダヤ系ファミリーの日常を綴った、同じニューヨークのブルックリン周辺を舞台とした物語(第二次世界大戦が勃発したばかりの頃)でした。きっとゼヴは、彼らのようなユダヤの習慣や行事、ユダヤ人のアイデンティティを持つ人々に囲まれて人生を送ってきたのでしょう。


しかし、ここで気になるのはゼヴの"記憶"です。

認知症で多い「アルツハイマー型認知症」の場合、最近の記憶(短期記憶)を担っている海馬が萎縮・損傷していくため、その手続きを経ない遠い過去(長期記憶)の方が比較的保たれやすいと言われています。ですから、当然、ゼヴが思い出しやすいのは"遠い過去"=ナチスの親衛隊だった本来の自分ではないかと思うのです。が、この【長期記憶】の中にあるはずの【エピソード記憶】=SS時代の記憶だけが彼の中ではごっそりと抜け落ちているのです。

ゼヴは、認知症が進んでからもユダヤ民族の象徴でもある「ダビデの星」を常に首にかけていました。たとえ自身を欺き、偽り続けてきたとしても、認知症により"本来の自分"に戻ることはなかったのでしょうか?


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劇中、ゼヴが小さな子供と過ごしている時に、"遠い過去"へ戻ってしまうことが二度ありました。

1つめは、列車の中で「孫のアダム」と一緒に列車に乗っていると勘違いを起こして、同乗していた少年を困惑させてしまうシーン。もう1つは、交通事故に遭って入院した際、同じ病室にいた少女に「孫のためにいつもポケットにキャラメルが入れてあるんだよ」と話しかける場面。

ゼヴが戻っている"過去"は、愛する妻ルースと共に可愛がっていた孫と過ごした日々でした。つまり、ユダヤ人としての"ゼヴ・グットマン"だったのです。




「12弟子の中の一人が私を裏切る」とキリストが予言した時の情景を描く『最後の晩餐』の絵がかかる部屋で、ゼヴがメンデルスゾーンを弾く印象的なシーンがありました(Mendelssohn: Piano Concerto No.1 in G minor Op. 25 2. Andante)。足元もおぼつかず、動きも記憶も心もとない年老いた姿とは真逆の、生きる力や威厳と優しさに満ちたピアノの調べ。

彼は、戦前にピアノ教師から教わったという"偉大なピアニスト"の名前を口にします。「メンデルスゾーン(Mendelssohn)」「マイアベーア(Meyerbeer)」「モシュコフスキ(Moszkowski)」。この3人の名は皆「M」から始まるユダヤ系の音楽家であり、ポーランド出身でユダヤ系のモシュコフスキ自身が語ったといわれる洒落た受け答えでした。ゼヴは、この"ユダヤ人としてのジョーク"をサラリと口にしたのです。

恐らくゼヴは、戦前は音楽を純粋に愛した青年であり、ユダヤ人教師に音楽を学び、ユダヤ人を嫌悪する立場ではなかったのではないかと思うのです。そして潜伏するためだったとはいえ、戦後、愛する人や家族に囲まれた生活の中でSSであった自分の過去を恥じ、本来の自分を消し去りたいほどに嫌悪していたのではないでしょうか。

それは、自分の名を何度も口に出しては"自分が誰であるか"を思い出し、自分を忘れないように生きてきた元同志クニベルト・シュトルムとは全く真逆の生き方。ナチスドイツ時代を経験したドイツ人のそれぞれの生き方を表した、ゼヴはいわゆる5人目の【ルディ・コランダー】ともいえるのです。



たとえば、ゼヴがドイツ語を好まず、吠えている犬を怖がるのは、音(ドイツ語、犬の声)によってアウシュヴィッツにいた当時を思い出す=過去の自分を思い出すことを深層心理が拒否しているからなのでしょう。ゼヴは認知症の症状が出る以前の問題として、心理学的・精神分析学的な表現によるところの"抑圧された記憶"なるものを無意識の中に囲い込んできたのではないかと思うのです。そして、新しい偽の記憶=「自分はユダヤ人である」というアイデンティティを"喪失した過去"に上書きしてしまったのではないか、と。

それでも、銃購入の際に「逃亡者、重罪」 「グロック17」という言葉に反応したり、あるいは【水晶の夜(Kristallnacht)】をすぐに思い出すこともありました。銃を二発を確実に撃ち込み、日常では目にすることのない死体を見つけた時は「<何てことだ>」というドイツ語が咄嗟に口をついていました。これら全ては、封印した記憶の中に眠っていた反射的な次元の反応だったのでしょう。






アウシュヴィッツ

自分の家族を処刑した男が、過去の記憶をすべて忘れて目の前に現れた時。しかも、ユダヤ人としてアイデンティティを持ってそのコミュニティに紛れていることを知った時。マックスの心の中に渦巻いた感情は、憤怒、嫌悪、恐怖、痛み・・・一体どれほどの苦しみだったことでしょう。

ナチス政権下時代の戦犯追及で知られるサイモン・ヴィーゼンタールと共に、戦犯捜索・逮捕に協力してきたマックス。彼は、目の前にいる何もかもを忘れた男に、最期の旅をさせることを誓ったのでしょう。ゼヴに託した手紙で、いずれ自分も逮捕されるだろうことは分かった上で。



『手紙は憶えている』という映画では、列車とバスを乗り継ぐという、一見すると牧歌的な日常風景を静かに映し出していきます。しかし、これは単なるロードムービーではないと思うのです。

「友人が"列車に乗れ"と手紙に書いているからね」という"きちんとした理由"でゼヴは列車に乗りました。



ヨーロッパ各地から集められたユダヤ人たちが、家畜運搬用の劣悪な環境の下、貨物列車に乗せられて移送された先は【強制収容所】でした。どこまでも続く貨車をじっと見つめているゼヴ。アウシュヴィッツ時代、日々ユダヤ人たちを乗せて到着する貨物列車を見ていたであろう彼は、年老いた今、自分が"死の旅"へと送られていくことに、もう気づくこともなかったのでしょうか。






家族


失踪した父親を懸命になって探す息子家族の家に飾られていた絵画は「天使の湾」。ナチスによるユダヤ人迫害の際にアメリカへと亡命したマルク・シャガールの、ブルーの色彩が美しい、穏やかで優しさに満ちた作品です。

ユダヤ人としての誇りを持ち、多くの家族に囲まれたゼヴの幸せな日々。

しかし、その幸せだった記憶は、彼が行った大量虐殺という闇との深さをより色濃く、より悲劇的なものにします。自分は大切な家族を得ても、過去には罪もない人々の大切な家族を殺していたという事実。愛する家族が自分のことを"恐ろしいもの"を見るかのような目つきで見つめるその表情に、ゼヴは耐えられなかったのでしょう。


"私以外にあの男の顔がわかるのは君だけだ
あの男が我々の家族を殺したんだ"




葬り去ったと思われた記憶の闇。本来の自分を切り捨てた上、新たな記憶すらもまた失わなくてはならないという二重の悲劇。ゼブは尊い命を奪っていた加害者であり、そして多くの戦争体験者がそうであるように彼もまた、強烈な経験によって人間性を狂わされた一人だったのでしょう。

そして、画面いっぱいに現れるエンディングの「REMEMBER」という文字が、まるで忘れ去られていく曖昧な記憶のように徐々に薄れていくのを見つめながら、【Auschwitz】と【nazi】を読むことのできなかったあの少女のことを思い出しました。忘れてはならないし、伝えていかなくてはならない。原題「REMEMBER」は観る者にそう訴えているのかもしれません。






【追記】

ごく平凡な一個人がいかにして「ポーランドにおける最も優秀な収容所長」という有能な悪の装置になり得たのか?ヒトラーによる「ユダヤ人最終解決」を担い、その罪を法廷で裁かれた唯一の絶滅収容所長フランツ・シュタングル。70時間にわたる獄中インタビューによって構成される『人間の暗闇―ナチ絶滅収容所長との対話』

ユダヤ人虐殺犯としての疑いをかけられたハンガリー系アメリカ人の父を弁護しながらも、虐殺に加担していたのかもしれない・・・と疑わざるを得なくなる娘の葛藤を描く『ミュージックボックス』

「命令だったから」「そういう時代だったから」などと言って言い逃れ出来ないことは明らかですが、もし自分が同じ立場に立たされたら命と引き換えにしてでも行動できただろうか、声を上げることができただろうか・・・・と重く辛い気持ちになります。


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そしてもう一つ、『手紙は憶えている』を観た後に思い出したことがありました。

2011年の東日本大震災後、『ミケランジェロの暗号』の日本公開にあたり、映画配給会社が用意した交通費を断って自費で来日した原作・脚本担当のポール・ヘンゲさんのインタビュー記事です。彼は、ウィーン出身で第二次世界大戦を生き抜いたユダヤ人であり、1990年『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』の脚本でアカデミー賞にノミネートされた方でもあります。ヘンゲ氏の言葉を、私はずっと忘れられないのです。


自身が命の危機に直面したのは14歳の時。ナチスに連行された。大人は収容所へ連れて行かれたが、一人部屋に残され、警官が入ってきた。「ここは臭い」と窓を開け、「今見張りがいないから、逃げるなよ」と言い残して去った。「すぐさま私は逃げた。その警官にお礼が言いたくて捜したが、見つからないんだ」。ナチスだろうとユダヤだろうと、完全な善人も悪人もいない。幼心に学んだ。「人は簡単に峻別などできない。そんな人間の魅力を描きたい。それが私の原動力だね」

映画公開を前に自費で来日した脚本家 ポール・ヘンゲさん(81) ひと欄 朝日新聞 2011年9月


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Comments 2

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宵乃  
素晴らしい考察です!!

もう素晴らしいとしか出てきません。素晴らしすぎて…語彙が…失われてゆく…。
この記事のおかげで忘れていた部分を思い出せたし、いろんなことに気付かされました。4人の【ルディ・コランダー】が示すもの、ゼヴが過去の自分を嫌悪していたかもしれないこと、ゼヴが乗せられた列車が収容所への列車を暗示すること、ラストの消えゆく「REMEMBER」の文字など、本当に製作者さんたちのメッセージを余すことなく受け止めてらっしゃるんだなぁと。
いやホント、この作品を見た人たち全員にこの記事を読んでもらいたいくらいです。

わたしもゼヴがアウシュビッツのことを覚えてないのは認知症的にどうなのかな?もしかして記憶を封じたのかな?と思わないでもなかったんですが、確証が持てなかったんですよ。でも、はなまるこさんの考察のおかげでスッキリ納得できました。
誰でも戦争犯罪者になり得た時代だったということ、すべての関係者が喜んで従っていたわけではないということを心に刻んでおこうと思います。

2018/03/24 (Sat) 19:20 | EDIT | REPLY |   
はなまるこ  
宵乃さんへ★

いや――――宵乃さん、こんなご丁寧なコメントありがとうございました。
これ以上ありません!というくらいのお言葉を頂いてしまい、もう恥ずかしくて恥ずかしくて!
私は何を書いたのだろうと思わず読み直してしまいました^^;
宵乃さんの感想と全く同じですよ~

>わたしもゼヴがアウシュビッツのことを覚えてないのは認知症的にどうなのかな?もしかして記憶を封じたのかな?と思わないでもなかったんですが、確証が持てなかったんですよ。
これ、本当に私も最後までどうなんだろう??と引っ掛かっていたんですよー。記憶というものを単なる映画の"仕掛け"として扱ったのかなぁとか一度は思ったのですが、ゼブの犬への怖がりようだとかドイツ語を嫌悪するのを考えると・・・やっぱり・・・自分の過去を否定したいのかなぁと。認知症や記憶の仕組みなど少し調べて私なりの見方を書きましたが、専門家が見たらもっと確かな事がわかるかもしれませんね!

それと、エゴヤン監督のインタビューを幾つか拾い読みしていた時「トラウマ」という言葉が何度も出てきたんです。戦争を経験したすべての人がずっと抱えているトラウマ。それが今回のゼブの人生では何に当たるのか?を考えた時、ゼブの過去が私なりに少しだけ見えたような気がしました。

>誰でも戦争犯罪者になり得た時代だったということ、すべての関係者が喜んで従っていたわけではないということを心に刻んでおこうと思います。
本当にこれですよね・・・。この映画が言いたいところは「被害者が実は加害者でした~!」というドンデン返しとかいう仕掛けではなく、被害者も加害者も同じ立場になり得るという怖さなのかもしれないですよね。宵乃さんのコメントで、よりこの映画への印象が深まりました。ありがとうございました!

2018/03/25 (Sun) 00:27 | EDIT | REPLY |   

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