『もうひとつの世界』 (1998/イタリア)

はなまるこ

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もうひとつの世界 [DVD]


●原題:FUORI DAL MONDO / 英題:NOT OF THIS WORLD
●監督、脚本:ジュゼッペ・ピッチョーニ
●出演:マルゲリータ・ブイ、シルヴィオ・オルランド、カロリーナ・フレスキ、マリア・クリスティーナ・ミネルヴァ、ファビオ・サルトル、アレッサンドロ・ディ・ナターレ、ソニア・ゲスナー 他
●生涯を修道生活に捧げる儀式を控えているカテリーナと、クリーニング店の経営者なのに従業員の名前すら覚えようとしない独身のエルネスト。ある日、二人はカテリーナが公園で預けられた"捨て子"を通して偶然に知り合うことに。エルネストはその赤ちゃんを「自分の子かもしれない」と思い、カテリーナと共に母親捜しを始めるだが・・・。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞や主演女優賞など5部門を制したピッチョーニ監督の代表作。





今や、イタリア映画ファンにとってはGW恒例イベントとなっている【イタリア映画祭】。その2010年の上映作品であり、さらにその中から選りすぐりの作品が上映される【Viva! イタリア】で2013年に再登場となったのが、今回の『もうひとつの世界』という作品です。

シリアスなドラマでありながらコメディでもあり、またロマンス&ミステリー的な展開もあるという、様々な要素が詰まった"大人の物語"で、観終わった後に乾いた胸の奥がじーんと熱くなっていくような、言葉にならない感情が押し寄せてきて、暫くこの映画のことが頭から離れませんでした。







赤ちゃんを拾ってしまった(というか見知らぬ人に無理やり押し付けられた)修道女と、「自分が父親なのではないか?」と疑いを持った男性とが、赤ちゃんが包まれていたセーターの"クリーニング・タグ"を通して出会い、思いがけず住む世界の異なる二人が心を通わせていく・・・・というのが大まかな流れになります。かなり大雑把ですけれど。


この映画、ちょっと面白い技法で物語にアクセントをつけているんです。

主人公を取り巻く女性従業員らが、急にスクリーン越しにこちらに向かって話しかけてきたり、なぜか私服姿の女性たちがこちらを向いて、職場でにこやかに笑っている映像が唐突に挟まれたりして。スローテンポの映画なのに気の抜けない部分があったりして、ちょっとおもしろいでしょう?



初め、この"謎のショット"が何を意味しているのかさっぱり理解できず、物語とどう関係しているのかも分からなかったのです。が、主人公の修道女カテリーナとクリーニング店経営者のエルネストが出会い、少しずつ少しずつその距離を縮めていく中で、次第にあぁこれはこの映画のテーマを象徴しているショットなのかもしれない、と感じるものがありました。



エルネストは、いつもパリッとしたシワのないワイシャツにネクタイをキッチリと締め、常にしかめっ面をしています。ぶーたれた顔、とでも言いましょうか。仕事中はもちろん、車の中でも、食事中でもずーっと眉間にしわを寄せ、他人を寄せ付けない苦い顔。友人たちとのバカンスも取らず、まるで"リラックス"という言葉を知らない人のよう。人生を楽しもう!というイタリア南部の人とは違う、究極の"ミラノ人"という雰囲気です。

そして、それは修道女のカテリーナも同じなのかも。あらゆる俗物的なことを放棄し、一生を"神と人々への奉仕"に捧げることを誓う【終生誓願】まであと11か月の彼女は、"Questa è la mia vita."これが私の人生、と言い切ってこの世の価値観とは異なる世界で生きることを決意している女性でした。



二人とも、自分の世界の殻に閉じこもっているように見えるんですね。そして、その"殻"を象徴しているのがエルネストのスーツとカテリーナの修道服なのではないかと。

生き生きとした笑顔を見せて思い思いのカラフルな私服姿でこちらを向き、ニッコリと微笑む女性たちが見せるのは"もうひとつの世界"。逆に、職場の制服を身につけて真っ直ぐにこちらを見つめて微笑んでいる姿も、もう一つの世界。女性たちは、仕事着である制服から私服に着替えて、楽しそうに"自分の世界"へ帰っていくのです。

それは、アイスクリーム・パーラーの店員も、小児科病棟のスタッフも、警察官や清掃員たちも同じこと。皆、"もうひとつの世界"を持っているはず。自分の人生を。






修道院長の言葉は、カテリーナの人生を言い当てているかのようでした。

「私たちの務めはささやかで身近なものです」
「修道服は決意と神への近づきの証ですが、何の力もありません」
「人を助ける方法は数多くあるのです」



母親との関係で心を閉ざし、自分の人生をも"放棄"しようとしていたカテリーナが、小さな命の重みを自分の腕の中に抱いたことから"もうひとつの世界"があるのでは・・・と気づいていく過程。そこには、悲しみや迷い、怒りや過ちをも抱えながら生きる一人の女性が見え隠れし、そんなカテリーナの心の揺れが一層胸にしみました。


心の奥深いところにある感情に気づき、遠ざけようとしても忘れることが出来ない彼女の姿は、修道女であろうとなかろうと、慈悲深い聖母のようにも見えました。人は、一人の殻に籠っていれば誰からも傷つけられずにすむものの、本当に大切な人を守ることが出来ないと気づいたからなのかもしれません。

エルネストも入院を機に少しずつラフなスタイルへと変化していきます。友人や仕事を尊重し、恋人を大切にしていれば、と後悔しつつ、従業員たちに心を開いていきます。彼の心にもまた、次第に温かな血が通い始めるのです。






"服"に関する様々なシーンが印象的な映画でもありました。


誓願式の歓び。
古着の選別。
クリーニング店の大量の服。


修道女を目指す若いエズメラルダの何気ない言葉も。
「必要なときには手に入らない。早すぎたり、遅すぎたり」
「チョコレートは悪いものかな」


苦味を知っていればこそ、ドルチェの甘く豊かな風味に気づくこともできるでしょう。またその逆も然り。人生を慈しみ、より良い人生を願うのなら、甘い生活"La dolce vita"のチョコレートだって時には必要!
私はそう思います。



ある日、理髪店に入ると、そこに地元の新聞があったんです。読んでみると、修道女のインタビューが載っていました。「人生に不足はないですか?」という質問に対して、その修道女は「まるで片腕を失ったような喪失感を抱えています」と答えていました。それを読んだ時、本作のラストシーンを思いついたんです。
(略)
本作は、修道女の立場から女性を語っている映画でもあります。彼女たちは人生の若いうちに修道女になりますが、女性らしさや母性も持っているわけで、歳をとった時に“別の人生について”振り返ることもあるそうです。だから、修道女の方たちはこの映画をとても気に入ってくれたようで、「“修道女には人生も感情もない”と思われたくなかったから嬉しい」と言っていました。

【イタリア映画祭傑作選 Viva!イタリア】『もうひとつの世界』ジュゼッペ・ピッチョーニ監督インタビュー




※ジュゼッペ・ピッチョーニ監督作品&マルゲリータ・ブイ出演作品

『ぼくの瞳の光』は、2003年のイタリア映画祭上映作品。『Caterina Va In Città』(邦題『カテリーナ、都会へ行く』)は、2004年に同映画祭で上映されたパオロ・ヴィルツィ監督作品です。



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