映画を読み解く 図書館の本棚(その1)

はなまるこ

はなまるこ

こどもの登校時、見送りついでに毎朝お喋りしていた近所のおばあちゃんが最近ケガで入院してしまい、おまけに近親者からも二人の入院が続いて、あれよあれよという間にまるで常にマラソンしているみたいな毎日になってしまいました。こんな"非日常"が続いていると映画を観られる余裕なんて全くないので、あー映画を観て感想を書いていた日々のなんて幸せだったことか~としみじみ思います。

それでも、幸か不幸か家族の入院生活はけっこう慣れているので、ここ数日はそんな"非日常"が常態化して私もずいぶん適応してきたみたい。で、そういう時は全然違うことに集中するとリラックスできるので、病院と家と職場の往復の電車の中、図書館からちょこちょこと借りてきた本を読んで息抜きしています。え、何の本ですかって?映画の本ばかりに決まっているじゃないですかー!


以前、このブログには【映画を読み解く私の本棚】というコーナーがあった気がするので(笑)、今回は私の本棚ではなく図書館の本棚からですが、最近読んだ映画関連の本をちゃちゃっとご紹介したいと思います。





「映画を撮った35の言葉たち」
渡辺進也+田中竜輔 (フィルムアート社)  2017/12/25発行
リュミエール兄弟からスピルバーグまで、映画史に残る名作・傑作を手がけた、映画監督たちによる珠玉の名言・格言集。

たとえば「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」というチャップリンによる有名な言葉。実は、いつどこで語られたのか正確な記述があるわけではないのだそう。でも私はこの言葉が大好き!あははと笑いながらもホロリと涙がこぼれたり、泣きながらも可笑しくて吹き出してしまったり・・・チャップリンの映画をよく表している格言でもあり、人生を温かく見つめる視点が優しい言葉だとも思います。

他にも
「映画の中では二回死んだ。どっちも成功しなかったな」by クリント・イーストウッド
「サスペンスとは女のようなものだ」by アルフレッド・ヒッチコック
「スタッフがあのシーンは面白いとか、ラッシュを観た誰かが素晴らしいなんて言ったりしたら気をつけたほうがいい」by フランシス・フォード・コッポラ

などなど気になる言葉が35も。映画の評論家や翻訳家、各分野の研究者などによって丁寧に解説されています。手頃なサイズなので、ちょっとした合間に読むのも便利な一冊です。





「映画を聴きましょう」
細野 晴臣 (キネマ旬報社) 2017/11/7発行
日本の音楽シーンを代表する音楽家である細野晴臣さんが映画雑誌『キネマ旬報』にて連載してきた『映画を聴きましょう』が書籍化されました。細野さんがこれまで観てきた映画や印象に強く残った映画音楽について、さらりとした口調でディープな世界を縦横無尽に語ってくれるという、なんともボリューミーな一冊です。

映画音楽における役割だとか構成だとか、そういった解説や専門的なハナシは一切ありません。細野さん自身の幼少期の映画に纏わる思い出話が語られたと思いきや、映画音楽に纏わるミュージシャンたちのスタイルや歴史が出てきたり、そんなこんなの繋がりでサウンドトラックや音源についての考察がなされるなど、【映画音楽】の魅力だけにとどまらない、ジャンルに全く囚われないその自由なスタイルが読んでいてとても心地よかったです。


ペーソス(パトス)という情緒ではなく、どちらかというと人間を理性的に観察する可笑しさ・・・・そうか、ジャック・タチはロゴスの人なんだ、と考えたのは、「ぼくの伯父さん」を観た頃からずいぶん経った最近のことであるが・・・・。
「プレイタイム」(67年、音楽はフランシス・ルマルク)など特にロゴスの人という感じがある。ここでのカメラは客観的な視点で観察している感じで、あまりアップにもならない。それでいてクスクスと笑える箇所が随所にある映画である。街の中で車が渋滞していて、動かない車の中でみんながそれぞれ申し合わせたように鼻をほじっているところなど、何とも言えない楽しさがある。フランス人も鼻をほじるんだとか、僕も気をつけないとなど、こちらもどうでもいいことを考えながら楽しんで観た。

細野晴臣 「映画を聴きましょう」 僕の伯父さん、ジャック・タチ, キネマ旬報社, 2017年,  pp.134-135.
  
飾り気のない素直な言葉の数々は、細野さんの映画と音楽への愛情の証のようで、読んでいると「映画を好きで良かったなー」なんて贅沢な幸せ気分いっぱいになってしまいます。堀道広氏による大胆でユーモラスなイラストもこの本の雰囲気にぴったり。何回読んでも味わいのある語り口。手元に置いておきたくなっちゃうなぁー。





「映画的思考の冒険―生・現実・可能性」
箭内 匡 (編集) 世界思想社 2006/06発行
本を開いて、まず1頁目の「はじめに」に

この本は「映画を見る」という経験を、世界についての思考上の冒険として捉える試みである。


と書き出されていて「なんじゃらほい」と思った私。
映画批評や映画研究の専門書は読んでいてすごく眠くなるので、疲れている自分には呪文書のようにしか思えないはずなのですが、この本だけは違った!

確かに「空間のパラドックスと画面外空間の問題」だとか「認知映画論の客観象とエイゼンシュタインの退歩」とかいったタイトルがズラズラ並んでいるのを見ると、ひーもう勘弁して下さい!と謝りたくなるものの、実はその1ページ1ページにはとても丁寧な注釈が付けられていて、この解説を読むのが楽しくなって→いつの間にかもう一度本文を読む、という逆スタイルが定着してしまったのでした。本嫌いの小学生みたいな感想で申し訳ないのですが、実は写真による資料も豊富で解りやすくて親しみが更に湧いてきます。

取り上げられている映画作品の数々も、アッバス・キアロスタミ、カール・ドライヤー、ジャック・タチ、オタール・イオセリアーニなど、私の好きな監督作品が多く挙がっているのも、この本に親近感が湧いた理由のひとつ。


タチ、イオセリアーニ、スレイマン(㊟エリア・スレイマン:イスラエル・ナザレ出身でパレスチナ系の映画監督)が、歩調を合わせるかのように、自らの映画の中で好んでアマチュア俳優を用いるのは不思議ではない。彼らの作品において、映画に出てくる人々は決して特別の人々ではなく、映画の中の出来事は決して何か特別なものではないが、それは、彼らの映画についての考え方の本質的な部分と関連するものなのだ。タチは、≪プレイタイム≫を見た14歳の男の子が「映画が終わって街に出たら、そこでも映画が続いていた。それがとても楽しかった」という感想を書き送ってきたことを大変誇らしげに語っている[Daney, Henry et Le Péron 1979:15]。実際、タチの変わらぬ意図は映画の中の世界と外の世界を連続線上に置くことであり、だからこそ、彼が映画の中で提起する問題は、観客自身の人生の中の問題と繋がってゆくのである。

ヌリア・ロペス (2006), 映画を感じること―映画における存在論的ユーモア, 箭内 匡 (編), 映画的思考の冒険―生・現実・可能性, 世界思想社, pp.128-129.

映画の魅力を語るために哲学的・技法的な面から論理的な追及を重ねた、でも意外に飲み込みやすい論考が揃っていて読み応え十分!です。


で、この本は、キアロスタミ監督の『風が吹くまま』の1シーンが表紙となっているのですが、この表紙を遠くから見ていた娘が「この道は鳥みたいだね」と言ったんですね。ちょっと驚きました。
死と生がテーマの中、ジグザグに続く村の道が印象的だったこの映画。蛇行して続いていく道は人が生きていく道=人生の象徴と思っていたのですが、こうやって遠くから眺めると、それはまるで大空を自由に飛べる鳥のようにも見えるなぁ!と。

遠くから眺めてみたり、近くに寄って見てみたり。
映画の世界を存分に楽しんで、またしっかり人生に戻るのであります。


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Posted byはなまるこ

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