『オートマタ』 (2014/スペイン、ブルガリア)

はなまるこ

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オートマタ [Blu-ray]


●原題:AUTOMATA
●監督:ガベ・イバニェス
●出演: アントニオ・バンデラス(兼製作)、ディラン・マクダーモット、メラニー・グリフィス、ビアギッテ・ヨート・ソレンセン、ロバート・フォスター、ハビエル・バルデム(声の出演) 他
●2044年、太陽風の増加により荒廃した地球。人類は衰退し、人口はたった2100万人に激減していた。不足した労働力を補うため、大企業ROC社によってAIを搭載した人型ロボット(オートマタ)のピルグリム7000型が開発され、土木建築から家事に至るまで、あらゆる分野で人間のサポート役として活躍していた。ROC社では膨大な数のオートマタを管理し、その安全を担保するために2つの制御機能(プロトコル)を組み込んでいた。1つめは“生命体に危害を加えてはならない”、2つめは“オートマタ自ら修理・改造をしてはならない”というもの。しかしある日、何者かによって改造禁止のプロトコルが無効化されたオートマタが発見される。ROC社の保険部で働く調査員ジャック・ヴォーカンは、プロトコル変更という不正に手を染めた者を突き止めるべく調査を開始するが…。





ブルガリアには、ヨーロッパ最大の規模の、そして最新鋭の特殊効果やデジタル技術を誇る「ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオ」(Nu Boyana Film Studios)という撮影所があります。

巨大なウォータープール等も完備し、ニューヨークや中東の街並みのセットはもちろん、『テルマエ・ロマエⅡ』で見られたような古代ローマのコロッセオの組み立ても可能、ツンドラの森にもニュージランドの風景にも表情を変えられるという大自然をバックに持つこの場所には、映画の"夢の世界"が広がっています。ローマのチネチッタみたい!


今回のスペイン&ブルガリア合作映画『オートマタ』は、そのブルガリア Nu Boyana Film Studiosで撮影され、スペイン人監督によって製作された、英語による【SF映画】です。



派手なアクションはほとんどなく、それほど多くの込み入ったことも起こらず、驚くような大どんでん返しもなく。比較的ゆっくりと物語は進み、"人間が作り出したもの"に翻弄される人間のエゴや愚かさを、アメリカ製の映画とは異なる新しい視点から描いています。







舞台は、2044年。
酸性雨が降り注ぎ、夜の街中には巨大なホログラム広告が怪しく光る、荒廃した近未来。


先ほどわたくし、"アメリカ映画とは異なる新しい視点"と書きましたが、これら映像に関してはですねぇ・・・・例外ですね(笑)。「影響を受けてはいませんよ」とは言わせませんよ、というくらい『ブレードランナー』そのまんまの風景が初っ端から堂々と出てくるんですもん。これを"オマージュ"と捉えるか"クリシェ"と言ってしまうのか・・・。うーん、ここまでくると最早"テッパン"と受け取って、「解りやすいからいいんじゃないの!」と割り切ってしまうのが正解かもしれません。主人公の奥さんの名前なんて「レイチェル」だったりしますしね。


ですが、こういった割と解りやすい"近未来"を描いた映画の中でも、今回この映画の中でちょっと目新しいな、と感じたのは【Automata】(オートマタ)といわれるAI搭載の人型ロボット【ピルグリム】のビジュアルでした。


映画『オートマタ』の舞台設定は、高度化した人工知能が人間を超越し世界に変化をもたらすと言われている【技術的特異点(Technological Singularity】を迎える前年となっています(←いわゆる「シンギュラリティ」「2045年問題」を目前とした世界)。

それなのに、そんな高度な世界を目の前にしているというのに、この映画のマシンたちの外見はあまりにもロボットロボットしているのです。

二足歩行もやっとの程で、ギッチンガッチンと音を鳴らしながら人間に命ぜられた任務をこなしていく、その姿のなんと健気でいじらしいこと!よくSF映画で見かけるような設定「人間と見分けのつかない滑らかな動き」だとか「強靭な肉体と高い身体能力」「理想的で魅惑的なプロポーション」といった特色は全く備わっていません。ガッチガチのロボットそのものです。


というのも、この『オートマタ』という映画の世界では、人間がそのように意図的にデザインしてきたからなんですね。彼らが人間の能力を超えないように、彼らが人間のサポートだけに徹するただの"ロボット"として存在するように。彼らを人間と同等のものとして扱おうとすることを決して目指していないからなのです。あくまでも「ロボット」であるように。






そう、この映画での「オートマタ」のそもそもの存在意義。
それは元々、太陽フレアの影響や核による汚染が酷くなっていく地球上で、絶滅の危機に瀕している人類を救うために作られた「ロボット」だった、という点にあります。AI搭載「ピルグリム」は人間のために忠実に働くもの、という目的で作り出されたものなのです。



そこで、『オートマタ』のガベ・イバニェス監督が、この点についてとても興味深いことを話しているインタビュー記事を見つけました。この映画の根本にあるテーマとは、ロボット創造における人間のレイシズムなのだ、と。そしてこれは全くの偶然ではないということを述べています。


An underlying theme in Automata is an underlying theme of racism of humans toward their robot creations, and Ibanez suggests that this is no accident. “The word ‘robot’ comes from a Czech word for ‘slave.’ The very term robot refers to slaves that work for humans,” he explains.

AUTOMATA Director Gabe Ibanez Ushers in the Robot Evolution 【FreakSugar】

「ロボット」という言葉はチェコ語の"奴隷"という言葉に由来していることを指摘した上で、「まさしくロボットという言葉は、人間のために働く奴隷を指している」と語っているのです。


ロボット (岩波文庫)


そもそも、英語の「robot」という単語の語源は、1920年、劇作家カレル・チャペックが戯曲「ロッサム万能ロボット製造会社 R.U.R.」において、チェコ語の"退屈な仕事""強制労働"を意味する「robota」と、スロバキア語の"強制労働者"を意味する「robotnik」を合わせてつくった言葉なんですね。
日本玩具文化財団「ロボットの歴史」より


続けてイバニェス監督は、恐らく人類にとって最も痛い点を突いてくるのです。


“When the machines become intelligent, when they become self-aware, that is when they become slaves.” 

AUTOMATA Director Gabe Ibanez Ushers in the Robot Evolution 【FreakSugar】

マシンがインテリジェンスを身につけた時。
彼らが自身の存在に気が付いた時。
その時こそが、彼らが"奴隷"になる瞬間なのだと。



ただの"ロボット(robot)"でいる時には、自分を"奴隷"だとは気が付くこともなかった「オートマタ」。

≪自ら修理・改造をしてはならない≫というプロトコルが解除されたマシンが現れた時、人間の、自分勝手な都合で生み出した彼らは「生きたい」と願うのです。






物語が中盤に差し掛かるころ、メラニー・グリフィス奥様(バンデラスとはこの後、離婚)演じるデュプレ博士と、ある一体のオートマタが登場し、物語を新たな方向へと導きます。


サイボーグ並みにお顔のあちことを吊り上げられたであろうグリフィスの表情は置いておいてですね、彼女の特徴である独特の甘く柔らかな声は健在で、その耳元をくすぐるような魅惑的でスウィートな"声"が人間の欲望を満たすための"娼婦ロボット"「クリオ」に与えられていることに、私は魅力を感じました。

バンデラスの言葉に反応して睫毛をパチパチっとしばたたかせるクリオは、次第に不思議な魅力を発していきます。筋肉などの動きのない能面のように無表情に見えていた彼女が、次第に人間の感情を受け止めているかのように感じさせる瞬間を僅かに見せるのです。


ヒトは不完全なものに心惹かれると言われています。完璧ではないもの、どこか足りない部分があるものに対して「補ってあげたい」「助けてあげたい」という心が働くからです。

バンデラスとの対話で、そつなく会話を続けることの出来る高度な知能があるにもかかわらず「目が似ている」という言葉に、詰まるクリオの健気さ。ほんの少し顔を傾け、瞬きをし、目を見つめてくる小さな動き。それはまるで人形浄瑠璃の人形が、その動きの中に"命"を宿しているかのように感じる瞬間にも似ていて、観る者に奇妙で背徳的な魅力を残すのです。無表情の"能面"の中に喜怒哀楽の感情を落とし込むことが出来る日本人のDNAを受け継いでいる者としては、正直、ドキリとさせられるものがありました。







思えば、この映画のオートマタは、よくあるSF映画のマシンたちのように人類を滅亡に追い込んだり、世界を征服しようと目論んだりはしないのです。≪自ら修理・改造をしてはならない≫を解除しているにもかかわらず、第一プロトコルの≪生命体に危害を加えてはならない≫を忠実に守り、それどころか無抵抗のままであり続け、人間を傷つようという思考を持たないのです。


ボストンコンサルティングの御立尚資は、今年、来日した外国人たちとの会議で何度となくこう言われた。「なぜ日本の社会にはロボットやIoTにアレルギーがないのか?」欧米では「機械が人の仕事を奪う」脅威論が、日本人の想像以上に激しいという。
(中略)
日本人の大半は、ロボットは人を助けるものだと信じて疑わない。子どものころから毎週ロボットが人間と一緒になって社会悪をやっつけるアニメを見て育ち、ドラえもんに至っては対等な「友だち」で、仕事を奪うどころか仲良く遊んだり、人間の家に住んで一緒に食卓を囲んだりしている。こんなに仲良くロボットと共生する社会を描いてきた国は他にあるだろうか?

日本と西洋の間には、「自然を征服するか共生するか」の違いがあるように、「ロボット観」も異なる。子どものころから刷り込まれた日本人のロボット観が、今になって産業界をアシストしようとは手塚治虫や藤子不二雄も予想すらしなかっただろう。

西洋と異なるロボット観、「ドラえもんの国」日本の勝ち筋とは【FORBES JAPAN】


心優しい科学の子・みんなの友だち「鉄腕アトム」を見て育った子どもたち。みんなみんな叶えてくれるとっても大好き「ドラえもん」と遊ぶことに憧れた子どもたち。自分の勉強机の引き出しに「もしかしたらタイムマシンがあるんじゃないかな・・・・」と足を突っ込んでみたことのある子どもたち(それは私です)。日本人には、ロボットを友だちとして、正義の味方として、親しい存在として感じてきた下地が出来上がっているのでしょう。

ですから、この『オートマタ』という映画を観ていると、恐らく日本人が「こうであってほしい」と思うようなロボット像に近いものを感じるのです。



谷の向こうの人間が汚した大地と、人間の"善"を受け継ごうとするオートマタ。スキンヘッドのバンデラスが彼らの姿と重なって見える、とても印象的なラストでした。

シンギュラリティの先にある地球の未来。
それはきっと、人類の知能を遥かに超えたAIたちが美しい地球を取り戻す方法を解明し、太陽の光に輝く海を取り戻し、何度も目にした"カメ"のような生物が生き生きとその海の中を泳ぎ渡る・・・・そんな"新しい世界"をこの映画は見せたかったのかもしれない。私はそんな風に感じました。それは私が日本人だからなのかなぁ。


それから、非常にインパクトが強かったのは、まるで自らの体を犠牲にして次の世代を生み出すかのように・・・・まるで破水したように粘液がしたたるマシンの姿でした。命とは、命を生み出すとはどういうことなのか?そんなことを考えさせられる、或いは突き付けられる強烈なカットだったと思います。


ハリウッドのエンタテイメント大作映画に比べれば予算も少ないのでしょう、テンポもゆっくりとしたものですし盛り上がりに欠ける部分もあるかもしれません。それでも、今のスペイン映画が表現できる、新しい未来を見せてくれる物語であり、そんな意味で私の記憶にはしっかりと焼き付いた作品でした。観るならぜひ、高画質の画面がオススメです。






最後に。
映画『オートマタ』をご覧になっていない方でもビックリ、ご覧になった方はバンデラスの演技の集中力にさらにビックリ!な映画のメイキングを。



人形浄瑠璃という言葉、あながち的外れではなかったと知って私もビックリ!(笑)
因みに、オートマタを動かしている黒子のような方たちは、撮影地ブルガリアの伝統的な人形遣い(puppeteer)の方々だそうです。特殊効果やデジタル技術がいくらでも使えるこの時代、監督はあえてオートマタをそこに存在する個性を持ったクルーの一員として、生身の役者たちと共に撮影していたのですね。

クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』で見た人工知能搭載ロボット「TARS(ターズ)」と「CASE(ケース)」の温かみのある存在を思い出しました。


LYT: So it was puppeteers activating [the robots]. Were these people who had a background in puppetry, or was it more general special effects people?

GI: No, we worked in Bulgaria, and in Bulgaria there is a big tradition of puppeteers. We already had a lot of people that were puppeteers. So we worked with special effects people from the States, but also with special effects people from Buglaria, and these puppeteers that work in theater for children and this kind of thing. We find these hassles in defining exactly how it has to be moved, and the material we need to do this, but at the end I was quite happy.

The robots have their own personality, and the fact to be real and to be there on the set gives to the actors the chance of working in a very realistic way, and had the work kind of relation between the robot and the actor. Every day on the set, it was like part of the crew – they are almost real, they are there every day. Very different to when you are working with computer graphics. No, robots are important in the movie, so I prefer to have something real.

TR Interview: Automata‘s “Visionary” Director Gabe Ibanez on His Asimov Riff 【The Robot's Voice】


オートマタたちを、決して架空のものとしてCGなどで描かなかったガベ・イバニェス監督。彼のこの姿勢が、映画『オートマタ』にあるような"人間とロボットの未来"であってくれればいいな、と思いました。


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