『軽い男じゃないのよ』 (2018/フランス) ※NETFLIX映画 少~しネタバレ

はなまるこ

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I Am Not an Easy Man (Original Motion Picture Soundtrack)


●原題:Je ne suis pas un homme facile / 英題:I Am Not an Easy Man
●監督、脚本:エレオノール・プリア
●出演:ヴァンサン・エルバズ、マリー=ソフィー・フェルダン、ピエール・ベネジット、セリーヌ・メンヴィル、ブランシュ・ガールディン、クリステル・テュアル、オリヴィエ・パジョット、レミ・ジェラール 他
●男女の立場が逆転した世界を舞台に描いたNetflix製フレンチコメディ。常日頃から女性を見下して生きてきた独身男性ダミアンは、街中で頭を打って気絶したことをきっかけに、不思議な世界に迷い込んでしまう。そこは女性ばかりが社会で活躍し、男性は差別的な扱いを受けながら家事や子育てに従事する男女逆転の世界だった。戸惑いながらも、人気女性作家の助手として働きはじめるダミアンだったが・・・。



"人は女に生まれるのではない、女になるのだ。"
On ne naît pas femme : on le devient.


これは、フランスの作家で哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir)が著書「第二の性 (Le deuxième sexe)」に記した有名な言葉。 "女らしさ"というものは生まれつき(本質主義)ではなくて、"社会的環境"が作り上げるもの(構築主義) だ、という考え方です。

これね、私は娘を育てていてよく思いましたよ。

ある日突然、娘に「ママはガラスの靴持ってないの?」と聞かれたことがありました。幼稚園に入る前くらいのことかな。当時は「かわいいおにいちゃんねー!」なんて言われてしまうほど超ショートカットヘアスタルで、大好きだった『カーズ』のマックィーンTシャツ&短パン姿が大好きだった娘。「カツンカツンていうお靴のことだよ」というので、いわゆるヒールの高い靴のことなんだなと思いました。ごめんよママは持ってない。それで「そんな靴どこで見たの?」と聞いたら「DVDで見た、可愛いの。女の人は履くんだよ」と言われて、うぉー!と衝撃を受けたことがありました。「ママはイヤリングしないの?」とか「クチビルを赤くしないの?」とかいろいろ言い出しまして。女のヒト=ママがしていないから、不思議に思ったんだろうなぁ、と。

テレビのCMや絵本の中で見るひらひらのドレス。大きな瞳に長いまつげ。色とりどりのリボン。つまり、子どもなりに知り得た情報(環境)から可愛い存在になること、「可愛いらしい」と褒められること、「愛らしい」と認められることを求めていっているのではないか、と。そして、その先にあるものとは、社会の中で男と生きていく上で「女になる」ことで少しでも生きやすくなることを目指していくことなのかも・・・・と。





今回観たこの『軽い男じゃないのよ』というフランス映画は、「商品化された女性の性がどれだけ世の中に溢れているか」「男性が如何に女性を性的なモノとして見ているか」ということを"男女逆転"の視点から気付かせてくれるという、ユニークなアイディアが面白かったですねぇ。

夢を抱えながらも社会の底辺で必死に生きる男たちを描いた『二十日鼠と人間』は『二十日鼠と女』へ。「こんなはずではなかった」と結婚生活に苦悩する『ボヴァリー夫人』は『ミスター・ボヴァリー』となっている世界ですからね。 女は体を鍛えて社会を動かし、男は家庭に入って子育てに勤しむ、という。


それまでは女性を見下し、セクハラ発言連発だった主人公ダミアン。彼はひょんなことから男が女の目から評価される世界に入り込んでしまいます。ダミアンは、当然のことながら肌をツルツルに仕上げるためにボーボーのスネ毛や胸毛などワックステープで全身脱毛したり、窮屈でも体の線を出してアピールすることを当然とするファッションでオシャレしたり。はたまた「オシリがどうやったら可愛く見えるか?」を鏡の前でポーズをとって研究してみたり。

だんだん"周りの目"に慣れてきたダミアンは、困った時にはヨヨヨ・・・・と泣き真似したり、愛されメロドラマを見てボロ泣きしちゃったり。行動の基準や判断が、次第に"周りの目"からの評価になっているんですよ。

ここは完全にコメディなんですけどね、でもそんなダミアンを滑稽だな!と思ってアハハと笑いながらも「そうだよねー、するんだよねー、しなきゃいけないんだよねぇ・・・・」と思ってしまう自分も確認してしまったりして。うーん、実は"強いられている"ことだったのかなぁ、当たり前になると分からなくなるものだなぁ、と思ったりも。


しかもね、この映画、ちょっと面白いのが「外見だけで人を判断するなんて不愉快で酷い世界だね!」→「だから男性は反省した方がいいね!」といった、所謂【ハリウッド王道映画】になりそうなところを、安易にそんな流れにしてこないんですね。「値踏みするような厭らしい視線を一方的に投げてくるバカ」の目に、なんとダミアン少し嬉しそうなんですよ!自分の外見的魅力に自信のあるダミアンは、"評価する側"の女たちから道を譲ってもらえたり、ちょっと丁寧に扱ってもらえたりするんですね。そう、まだ、チヤホヤしてもらえる!・・・・でもね、そんなの若いうちだけですから!"周りの目"を自分に有利になるよう利用するダミアン。すごく現実的だな。




一方、"評価する側"にいるのが当然の女たち。社会の中心にいるのも、決定権があるのも、すべて女性の側。可愛い男の子たちにはチョッカイ出すのも当然。男は女の意見に従うものと思い込み、自分の欲望を相手に圧しつけるのだって当然。

でもね、彼女たちがメイクも殆どなしに、飾り気のない機能的なスーツで自信満々、堂々と振る舞っているのを目にして私は思いましたね。若さ、媚び、装飾など一切ナシに資質以外の評価には左右されることのない美しさがあるんだな、と。 もちろんセクハラはダメですけどね。

・・・・これ、ちょっとだけ言ってしまいますけどね、ラスト、主人公が元の世界(のような所?)に戻ったシーンで、道を歩いている女性たちがミニスカートから脚を出してパンプスを履いて歩いている姿が映るんです。これって、私が普段見慣れている世界なんですよ。にもかかわらず「なんて異常なんだ!」って本当に本当に衝撃を受けました。 何のために、女性だけが無理して小さくて痛くて歩きにくいパンプスを履いて、オシリの見えそうな寒い恰好で人前を歩かなきゃいけないの?って。あぁ、私はなんてこの世界に対して鈍感だったことか。


※そうそう、ダミアンが惹かれているアレクサンドラはこの世界では【作家】なんですよね。
活版印刷術の発明によって、住む地域も階級も職業も異なる多くの人々が共通の認識を持つようになっていったと言われる書物。彼女は「女性とはこういうものだ」「男たるものこうあるべきだ」という共通認識を人々に与え、物語を書くことによって多くの人たちに影響を及ぼす文筆業なのです。ダミアンの元いた世界ではアシスタントだった彼女が、こちらの世界では書く側に居る点もなんだか象徴的で面白いなぁと思いました。





スカーフを巻いている男性に対してオーダーを拒否する女店員の姿や、相手を好きな気持ちを利用されて性暴力を受けたと告白する親友の息子。「浮気されても、夫婦間の同意なきセックスも、自分(男)が我慢すれば良いのだから」「男がいないと女は子どもなんだから」。こんな風にして男たちは「酷い事をされても黙っていればいい」と自分たちの辛い思いを心の内に閉じ込めてやり過ごそうとします。でも、こんなことって結局自分への価値付けでも何でもなくて、ただ相手の横暴さを許して助長させているだけ。

それならば、【性差別が横行する世界】では「男が悪い」のか「女が悪い」のか。


『軽い男じゃないのよ』というこの映画では、そういうことを言ったりはしません。

「ボクの世界では男が女を支配する」
「私の世界では女が強いから子供を産む」


ダミアンとアレクサンドラはそう言い合います。が、二人の言い争いを見ているうちに、どちらがどちらを支配するとか【被害者】と【加害者】でしかいられない世界など意味がないのでは?と思い始めるのです。

「歯を磨き過ぎる」という強迫性障害らしきものを抱え、自分ではコントロール不可能な何かに不安感を抱いているダミアンが、社会(男性優位)の役割として当てはめられた"らしさ"の中でもがく孤独。これは、アレクサンドラが居る社会(女性優位)の中で、彼女が苦悩していることと一致しているんですね。二人とも、常に強くなくてはならないという"あるべき姿"に囚われていて、だからこそ解り合う部分があり、分かち合える。同等に、真っ直ぐそのままの相手を受け止めて愛すればいいだけなんだ、「男女で団結を!」ってそういうことなんだな。 そう思いました。





人は誰にでも「アンコンシャス・バイアス=無意識の偏見」というのがあって、自分の経験や周囲の環境、習慣などから先入観を持って物事を認知、判断するといいます。

誰にでもありますよね。「女性はか弱いから、重い荷物は持てないだろう」とか「男性は力強いから肉体労働をお願いしよう」とか。でも、男女という枠だけでなくどんな状況に置かれているか等の背景は人それぞれで、出来ることも得意・不得意も、コンディションだって皆それぞれ。風邪をひいているとか、細かい作業が苦手ですとか、介護をしていて疲れているとか、連休をとっていてバリバリ元気ですとか、アイディアを出すのが得意ですとか。



会社でお茶を出すのも、届いた手紙を仕分けするのも、植物に水遣りするのも、みんな大事な仕事。美味しいカップケーキを作れることだって、家族を和ませてくれる存在も、みんなみんな大事。

どちらかが一方を評価して、相手はそれに従うことで価値を見出す。その方が生きやすい。そんな世界って、やっぱりすごくヘンですよね。この映画を観終わった後、ちょっと世界を見る目が変わりました。


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Posted byはなまるこ

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