最近観た【アラン・ドロン映画】を まとめて二本 ~『ビッグ・ガン』『フリック・ストーリー』

はなまるこ

はなまるこ

フランスを代表する俳優、アラン・ドロン。
私の好きなイタリア人俳優マルチェッロ・マストロヤンニに比べれば、映画の中で見かけるポーカーフェイスなイメージが少し苦手な俳優さんではあるのですが、何せ出演作品が多くてフランス映画やイタリア映画を観ようとするとどうしても当たってしまう、絶対に避けられない、そしてやっぱりなんだかんだ言っても毎回その陰のある魅力に惹かれてしまう俳優でもあります。

そんなドロンの70年代作品からまとめて2本。書いておかないと彼が演じたキャラクターの区別がつかなくなっている自分がコワイ、ということもあるので(笑)。





『ビッグ・ガン』 (1972/イタリア、フランス)





ビッグ・ガン [DVD]


●原題:TONY ARZENTA / 英題:NO WAY OUT もしくは BIG GUNS
●監督:ドゥッチオ・テッサリ
●出演:アラン・ドロン、リチャード・コンテ、カルラ・グラヴィーナ、マルク・ポレル、ロジェ・アナン、アントン・ディフリング、ニコレッタ・マキャヴェリ 他
●息子の誕生日を機に組織から足を洗おうと決心したトニー。しかし、それを首領に打ち明けた数日後、妻と息子は無残にも殺されてしまった。復讐を誓った彼は組織幹部を次々と倒していくのだったが・・・。




『ビッグ・ガン』のオープニングで「Ho sbagliato tante volte ormai che lo so gia'・・・」とオルネラ・ヴァノーニが歌う「L'APPUNTAMENT0」。いつもBS日テレの「イタリアの小さな村」という番組を観ている私は「・・・こ、この曲だったのかぁぁ」と早々にテンションが上昇。「これまで私は幾度も間違いをおかしてきた」と優しく歌い上げるこの曲は、アラン・ドロン演じるトニーの心を映し出しているかのよう。

悲しい運命に対するこのメロディ。切な過ぎます。

いつか観たことのあるような「冷徹な殺し屋」というアラン・ドロン。
爆破後のカーチェイス&復讐が始まってからは思わず見入ってしまいました。イタリアンマフィアによるバイオレンスの定番や、裏切りと復讐が込められたストーリーは正直なところ月並みなのかもしれないけれど、感情を内に秘めたドロンの役ゆえに、その冷たい表情は逆に言えば目線や口元など本当にちょっとした変化でハッとさせられるものがあり、この物語の最後の最後まで【役者としてのアラン・ドロン】を見ていて飽きることは全くありませんでした。これが彼の圧倒的存在感の凄さだと思う。

ちなみに、イタリア語版wikipediaの「Alain Delon」の項には、彼の出演作におけるイタリア語吹替の担当俳優名も載っていて、『ビッグ・ガン』のイタリア語吹き替えはLuigi La Monica氏(イタリアでは大ベテランの声優・俳優)とのこと。当時のアラン・ドロンはある程度のイタリア語は出来たと思うのだけれど、口元を見る限りは簡単な単語以外は母国語のようでした。伊仏の映画にはよくあることだけれど、イタリア語吹替えの作品は聞き取りやすい標準語で話されるので、イタリア語を勉強する者にとっては有難いものです。








『フリック・ストーリー』 (1975/フランス、イタリア)




フリック・ストーリー [Blu-ray]


●原題:FLIC STORY
●監督:ジャック・ドレー
●出演:アラン・ドロン、ジャン=ルイ・トランティニャン、クローディーヌ・オージェ、マリオ・ダヴィッド、レナート・サルヴァトーリ、アンリ・ギーベ、アンドレ・プース、モーリス・ビロー、ポール・クラウシェ 他
●脱獄した凶悪犯エミール・ビュイッソンの捜査の担当となった敏腕刑事ボルニッシュ。ビュイッソンの隠れ家を突き止めたボルニッシュだったが、彼を取り逃がしてしまう。その後もビュイッソンは殺人を繰り返していき・・・。実在の刑事、ロジェ・ボルニッシュの実録小説にアラン・ドロンが惚れ込み、製作と出演を手掛けたサスペンス。





ヘアスタイルにもスーツファッションにも1ミリも隙のないアラン・ドロンが演じる泥臭い魅力。彼が演じる理想主義的なる有能な警官ボルニッシュの手をすり抜けては逃げていく残忍な極悪犯ビュイッソンは、その不気味な存在感がピッタリのジャン=ルイ・トランティニャン。

クラシックなフィルムノワールの香りを漂わせてクールな雰囲気を纏ってはいるものの、ボルニッシュの「彼を救いたい」というセリフが入って、あ、彼は情に厚い刑事だったのだなと。そこでこの映画に対して熱く強い印象を持ちました。彼らの人間性における対極的なエピソードが幾重にも重ねられていくのだけれど、クライマックスの舞台となる郊外のレストランでの、仲間・音楽・食事・会話における二人の対比がなんだか切ない。




「対極」にいる二人がどうして心通じるものがあるのかと思ったのだけれど、よく考えてみれば対極とは同じ軸の裏と表でもあり、もとは同じカテゴリに属する人間なのかもしれない。二人が近づいていく過程があっさりとナレーションによって省略されているのが少し残念な気がしたけれど、クライマックスからラストかけてあれほど静かに淡々と過ぎゆく時間の流れや、ボルニッシュが最後にカメラに向かって投げかけた視線に、アラン・ドロンの生い立ちや彼の制作者としての強い思いを感じて一気に胸に迫るものがありました。


あぁ、それにしても。
映画の中のアラン・ドロンは、溜め息が出るほど美しい・・・

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